丹波 五台山から五大山へ
更新 2016.8.21/2003.7.15やまぼうし
■山名:五台山(655m)、小野寺山(645m)、鷹取山(566m)、愛宕山(570m)、五大山(569m)
■場所:氷上町 2.5万 市島
■日時:2003.5.3(月)晴れ、暑い
■同行:ハナミズキ、トッキーズ山岳会員6名
■コース:
岩滝寺10:00→独鈷の滝10:10→五台山(11:25〜12:05)→小野寺山12:15→鷹取山(13:00〜13:15)→愛宕山14:30→五大山(14:55〜15:10)→迷走→安養寺16:10
                                           Route mapはこちら(改定)
5月連休の1日、会社仲間とともに、五台山系約10kmを歩く。快晴無風で真夏日に近い暑さであったが、滝、渓谷、森林、岩場、藪と変化ある新緑の尾根歩きを楽しんだ。ダウン寸前のメンバーがあったり、藪で立ち往生もあったが、全員無事踏破できてほっとする。

五台山頂から五大山方面

2014年8月の台風及び豪雨の土砂災害で登山道が崩壊し一部通行不能です(2016.4現在)!


「岩滝寺」
 あらかじめ予告してあったJR石生(いそう)に集合したのは、やまぼうしとハナミズキほかトッキーズ山岳会員6名(女子1名)であった。今回から1名増えたので山岳部から山岳会に昇格したという。2台の車を安養寺駐車場に置いて、残り2台に分乗して登山口岩滝寺駐車場へ向かう。どっしりとした五台山鷹取山の鋭鋒が前方に広がる。
名刹岩滝寺(がんりゅうじ)の鐘撞き堂の門をくぐると、ご住職(尼さん)が庭仕事中。3年前の遭難でお世話になった方だ。久しぶりにお会いして、ハナミズキ共々あらためて当時のお礼を申し上げる。杉の古木の参道を独鈷の滝へ。落差15mで水量も豊富である。マイナスイオンのシャワーを全身に浴びる。森林の中の滝は最もマイナスイオンが多く、市街地の1000倍の量だそうで、体を癒してくれる。横の階段を急登すると、右に浅山不動尊覗くと大きな岩の裂け目に不動明王が祀られている。

岩滝寺にて

独鈷の滝
「五台山」
 五台山まであと2231mの表示板があり、いよいよ登山開始である。ここで標高200mである。独鈷の滝を巻いて、美和峠への分岐を見送り、不二の滝を下に見る。二股になった川を渡り、藤の目川に沿って植林帯の渓谷を登る。兵庫ふるさと50山のひとつとして、ハイキングコースが整備されているから歩きやすい。もう汗が背中に抜ける。途中休憩して、半そでシャツに着替える。何度か丸木橋を渡り、約30分で一ツ岩(370m)に到着。ここからはだんだん沢を離れて山腹を回るようになる。あと1000mの表示を過ぎて、支尾根に出ると小峠(450m)である。 植林帯の尾根筋を右に左にうねりながら登る。ここは最もきついところだ。休憩が頻繁になる。あと800mとか500mとかの表示で、残りの距離が縮まることだけが励みだ。

一ツ岩

あと500m
前日、有馬富士でトレーニングしてきたテッチャンが先頭に立っていたが、一番若手のテニススタイルの短パンボーイが一気に飛び出す。4日連続のゴルフに明け暮れた “三田の白熱電球”は、大きく遅れだす。デジカメを押す元気もなさそうだ。大岩を過ぎて、尾根の鞍部に出た。左手に5分で五台山頂(655m)にたどり着く。文殊菩薩が涼しい顔で迎える。岩滝寺から1時間30分だから、予定より少し遅れただけである。先行の2,3グループが昼食中だ。

五台山展望デッキで
もう腹ペコなので、昼食を繰り上げてここで大休止とする。頂上のベランダから田植え前の氷上盆地が眼下に、千ケ峰など播州の山々、これから辿る五大山連峰が霞む。日陰を求めて昼食を摂る。オサムちゃんから冷えたビールの差し入れだ。弁当忘れても、これだけは毎回忘れない。金属ボックスの中にあったノートに全員記帳する。テッチャンが用意してきたかまぼこプレートを木に結ぶ。トッキーズ山岳会と記す。
「鷹取山」
 ベランダと文殊菩薩さんの前で記念撮影する。鞍部に戻り、展望所のある小野寺山(645m)へ登り返す。途中、しゃくなげが群生し、白、ピンク、赤の大きな花を咲かせている。山頂には、しゃくなげを見に来たという女性二人連れが伸びている。方位盤はかなり剥げかけていた。

文殊菩薩

しゃくなげ
ハイキング道はここまでで、これからが山歩き本番である。いきなりの藪の急降下である。短パンボーイは長ズボンに履き替える。靴といい、どこまでもテニススタイルだ。全員軍手をはめて木の根や幹を掴みながら、踏跡とテープを目印に行進する。展望はないが林の中、落ち葉と腐葉土のふかふか道は足腰に優しい。起伏を繰り返しながら下り切った所から、いきなりの激登りになる。白いロープが張られているが、ぼろぼろで何人もぶら下がると危なっかしい。4ヶ所連続のロープ場はかなりこたえる。この登りが麓から見ると槍のように見えるのだ。
登りきったところが鷹取山の頂上(566m)だ。様変わりしている。東側が大きく伐採され、展望が開けたが、○○観光協会と書かれた街の公園にあるようなカラーベンチが4台もならべてある。その上、大きな展望図が、それぞれの方向に3枚も立てかけてある。パノラマ写真を撮ろうにも絵が邪魔だ。いささか興ざめだ。

ロープ場

鷹取山頂

鷹取山から市島方面
ノブコが青い顔でうずくまっている。ロープの激登りがこたえたようだ。白熱電球も足をさすっている。前方の愛宕山五大山はまだまだ遠い。小休止して息を整える。再び杉と桧の森林を下る。途中またしてもカラーベンチが置かれている。程なく美和峠(460m)に着く。派手な金属性の案内板が立ててある。美和地区側から登ってくるとこの看板に突き当たり、鷹取山五大山への案内になる。独鈷の滝への小さな手製の表示があるが、これは要注意だ。何を隠そう、ここから独鈷の滝へ降りようとして迷走、結果的に遭難したからである。

美和峠
「愛宕山」
 五大山方向に南下、ゆっくりとした登りとなる。緩やかなピークで右への分岐がある。うっかり進むと西へ張り出した548ポイントへの支尾根に乗ってしまう。再び下り、愛宕山の直下へ着く。激登りが待っている。登りに備えて充電する。白熱電球は足がつってしまったようだ。いつも携帯しているパンテリンは今日は忘れてきた。正露丸じゃどうもならない。今度はトラロープの登りだ。軍手が滑って危ない。2回目のトラロープをよじ登ると神社の後ろに出てきた。愛宕山(570m)の山頂だ。京都愛宕山が拝観できるというが、林に囲まれて展望がない。記帳のノートが雨に当たったのか湿っていて、書きにくい。丹波たぬきさんの記帳を見つける。


愛宕山神社

「五大山」
 右に下りる道は安養寺からの参道のようだが、お堂の正面方向に進み、五大山を目指す。結構険しい道で、またトラロープが張られている。途中の絶壁から、安養寺が眼下に望めるが、足がすくむ。鉄塔NO.112に下りる。ここから五大山へののぼりは僅かだが、古びたはしご段がある。この周辺はヒカゲツツジが群生している。時期は過ぎてしまったが、わずかの花びらが残っていた。今日五つ目で最後の山、五大山頂(569m)だ。振り返れば、辿ってきた愛宕山から鷹取山五台山へ続く稜線が青空にくっきりと映える。3回目の記帳と、最後のかまぼこプレートを結びつける。目障りなカラーベンチを片付けて、記念撮影する。


五大山から五台山、鷹取山を望む

「迷走の下山」
 正面のピークへに向かい、稜線を下る。鞍部から右手に下りればいいはずだ。ところが、道はだんだんトラバースして、暗い植林帯に入っていく。様子がおかしいと思ったが、関電巡視路を示す火の用心の三叉路があり、安心する。鉄塔NO.111に向けてここから下る。すぐに鉄塔に着く(420m)。しかし巡視路はここまでだ。手分けして下る道を探すが、植林の中それらしいものはない。右往左往のうちに、植林と雑木林の境界に、下草が刈られて一直線に下っている道?を発見する。そこには幸世村境界の石柱がある。夕暮れに林の中をうろうろするのは危険だ。全員をこちらに呼んで藪に近い道を、がさごそ踏み分けながら一気に下る。ところが、植林帯の先端で、背丈を越える本格的な藪に突き当たってしまった。一同茫然と立ちすくむ。谷筋に下りなければならないが、まだ遠そうだ。一人ならば、藪漕ぎするところだが、全員に強制するわけにはいかない。地形図はあるが、現在地点がわからない。

ヤブ迷走

林道はネットでストップ

GPSの登場だ。緯度経度を測定し、地形図と照合する。標高は300mだ。減量目的で参加した“ケサヤン”がここで実力を発揮する。植林帯を北に約100m横切れば破線に出られはずだ。再び植林の中を、手がかりを求めて歩く。白熱電球は足の痛みを忘れたか、列の先頭に立って道探しだ。地形図の破線はあてにならないものだが、やがてテープ発見の声が響く。植林の中になんとなく踏跡らしいものがある。瀬音が近づき、やがて流れに沿って下る明瞭な道となってきた。左にネットが現れる。林道に飛び出した。助かった。
「安養寺」
 林道はネットでふさがれている。愛宕山登山口の少し上だ(200m)。この愛宕山登山口は地形図にはない。安養寺に向かい林道を下る。かんぬきの掛かった鉄柵のゲートから安養寺の駐車場に到着。ハナミズキとテッチャンはいつの間にか、しっかりとワラビを手に持っている。

安養寺と愛宕山
危うい場面もあったが、落伍者もなく、無事で踏破できた。テッチャンの提案で、本日の打ち上げは国領温泉に決定する。

五台山遭難始末記
1999.11.27(土)

本文は当時の記録を元に2014.7.21再現したものです。


香良からの五台山1999.11.27
「出発」
 1999年11月27日、朝起きて地形図をながめながら、予てよりマークしていた五台山に登ることを思い付く。
インターネットHP(かねやんHP)と「丹波の山」の情報から、独鈷滝から五台山(654m)、小野寺山(645m)、鷹取山(566m)を周遊し元の滝に戻る計画を立てた。本当は愛宕山、五大山縦走としたいが時間と駐車の関係で途中から元に戻らざるを得ない。妻は何やら忙しくしているので、単独で氷上の山へ行ってくるとだけ告げ、10時半頃自宅を出発した。装備はいつものデイバッグに地形図とHPのコピー、たまたまいつもは持たないポケットヤッケと下着の着替え2枚もザックにつっこんだ。服装は紺のトレーナーズボンと長袖のポロシャツ、その上に紫色のテニスジャンバー。
西宮北ICから舞鶴道春日ICで下り、途中氷上町のローソンで2個入りおにぎりとサンドイッチ、写真のフィルムを買う。また小さなポカリスエット入りの水筒では水不足と思い、独鈷滝の分岐道付近の自販機でお茶を買い込んだ。後にして思えばいつもより備えが多かった。

香良からの五台山(左)・鷹取山(右)
「五台山」
 天気快晴、五台山の稜線が正面に見える。紅葉を期待したが緑の植林帯が広がっている。写真を撮る。登山道の案内に従い大きな駐車場に車を停めた。
12:20頃手製の杖を片手に駐車場を出発、16:00頃には十分下山出来るとのつもりであった。滝へ向かう途中、もう下山してきたと思われる若者とすれ違う。大きな岩滝寺の門をくぐり、境内をぬけ独鈷滝へ。高さ20mぐらい、この辺では一番大きな滝。観光客も多いのか立派な案内板やベンチがある。登り口を探すが良く分からない。滝の右手に登り石段があり、観光客風の中年の男が下りてくる。尋ねると石段の上に登山道があり、今若者が下りてきたところで、頂上まで約45分と言っていたとのこと。なるほど登山口の看板があり頂上まで2230mと書いてある。路は滝の上に続き、やがて藤の目川沿い何度か丸木橋を渡りながら登る。良く整備されており、途中あと何メートルの表示がある。やがて沢を離れ植林帯に入る。急勾配に所々階段がつけられており、汗だくになる。一つ岩から小峠の分岐へ、一方の路は香良病院裏へ下る、急坂危険の表示。

独鈷滝登山口

小峠
ここから明るい南の稜線上を登る。見晴らしはない。あと1000m位かかなりしんどい。やっとのおもいでで主稜線の鞍部に出る。左五台山、右小野寺山。13:30五台山頂着。兵庫50名山の一つ。立派な碑とベンチ、谷にせり出すように展望ベランダ。360度の展望が開ける。汗だくのシャツを着替えてしばし休憩。

五台山頂上

展望ベランダから氷上盆地
「小野寺山」「鷹取山」
 先程の鞍部に戻り展望図のある小野寺山(645m)へ。神戸からの年配夫婦登山者と会話。14:00ここで遅い昼食。一般の登山者はここで元来た路を下山するが、私は稜線上を更に南下して鷹取山(566.4m)を目指す。新しい赤テープの目印があり迷うことは無い。鷹取山直下は白いロープが4本もある急傾斜。鷹取山頂には大正6年建立の雷大御神の碑がある。さらに稜線を下り鞍部の峠(460m)へ。ここには市島町と氷上町境界の大看板2枚あり。また小さな手製の表示板に右「独鈷の滝」とある。

小野寺山から五台山を振り返る

小野寺山

小野寺山から鷹取山を望む

鷹取山
「迷走」
 ここから稜線を離れ「独鈷滝へ」の表示に従い下山を開始する(15:00)。その後テープもなく不安ながらも、明確な路が続いている。植林地帯を左巻きに緩やかに下山、しかしいつの間にか路を失い、倒木が多い土手の上を歩いている。途中ビール空缶やネットがあり、人が入っていることが分る。ところがしばらく下ると急峻な崖に行き当たる。眼下に滝への車道や人家が見え、水音も聞こえる。もう少しで麓に着くと思ったが、目印もなく、崖を無理に降りて谷に迷い込む危険があり引き返すことにした。引き返す途中に分岐路らしきものがあり、再び踏み跡をたよりに下山したがやはり先ほどと同様断崖に行き当たってしまった。ここで山の鉄則に従い元来た路を引き返して下山することを決心し稜線上の町境界看板に戻る。この間約1時間の迷走で相当疲労。(以下写真撮影の余裕なし)
「引き返し」
 既に16:00、これから鷹取山へ登り返し、さらに小野寺山へ登りハイキング道を下山するとなると約1時間半かかると計算。日没にかかることは必至です。焦る気持ちに疲労が重なり、両足共痙攣つってしまった。杖に寄りかかりながら登り降りの繰り返し。途中の鷹取山下山で路を誤り、慌てて山頂に引き返すなどまた急坂で何回も転倒、とうとう右膝を捻挫してしまった。
小野寺山展望台に戻り着いたのは17:00、もう辺りは暗く、下界の夜景が輝いています。稜線の鞍部から下山道に入ると一寸先が見えません。いつもはザックに入っているペンライトがありません。杖と手探りで何回も道を失い薮に迷い込みながら、小峠の看板、一つ岩から沢沿いまで何とか下りて来ました。三度目の丸木橋をわたってしばらく、川に行き当たりました。確か昼間の登りに川をわたったことを思い出し、飛び石づたいに対岸に渡ろうとしたところ、対岸の木の幹が頭に当たった弾みで尻餅、腰から太ももにかけてずぶぬれになってしまいました。沢に沿って下るもどうも路ではなさそう。また戻ろうとしても先程の渡航地点が不明。
「決心」
 これから先岩場があること等を考え無理な下山は危険と判断。18:30ここで野宿を決心した。3枚目の着替えとジャンパーの下に携帯ヤッケを着込む。濡れたシャツは木の枝に広げて掛け、発見の手がかりになるようにする。闇夜でも白は見える。
予備のパンを半分かじり、木の根元に寄りかかり、しばし家族のことなど考え呆然の時を過ごす。携帯ラジオがありましたが山中で雑音が多く良く聞き取れません。それでも気を紛らすことが出来ましたが、かがんだ拍子に胸ポケットから落下。蓋が割れ部品や電池が行方不明になってしまいました。心細さに加え、濡れたズボンで体が冷え寒くてかないません。これから夜明までの12時間気の遠くなるような長い時を待たねばなりません。(翌朝柏原の最低気温2℃)
ザックを探っていたところ、昔禁煙した頃の使い捨てライターがあることが分かり、焚火を思い付きました。
幸い周囲に枯枝がたくさん落ちています。山火事を起こさないよう川沿いの適当な場所を確保、一晩中薪拾いして火を絶やさないようにすることを今晩の仕事と考えることにしました。しかしライターで直接萱に火がつかず、結局握り飯のトレイが役立ちました。また火勢が強く薪はすぐになくなってしまうため、小火で節約を考えました。深夜を過ぎて月が桧の植林帯の天空にかかり僅かに光が差し込み、周囲の様子が分かって来ました。対岸に道らしいものが見え深く迷い込んでいないことが分かり安心しました。夜の間中、唯一焚火だけが心の支えでした。
「下山」
 長い時が過ぎ6:30頃薄ぼんやりと明るくなり始めました。残りのパンを噛り、川の水で消火、足を引き摺りながら下山開始。沢を渡り、岩場道をやっと滝口に到着。夜営地点は滝から約500mの上流であったことが分かりました。それにしても電灯無しで夜間ここを下りることは危険極まりないことです。夜営したことは結果的に正解であったと胸をなで下ろしました。
7時頃岩滝寺に助けを求めて飛び込み、早速家に電話しても留守電で家族は出ません。不審に思いながらも住職さん(尼さん)の暖いもてなしで昨夜のことをお話ししました。私が下山しようとした道は昔、牛馬が隣り村へ往来した道で今は薮であること、また下山道は峠から右手側へ下ること(私は左手へ下山)等を教えられ、この道は危険なので通行出来ないよう考えているとのことでした。とにかく家族が心配しているであろう、捜索願いでも出されたら大変な騒ぎになると冗談をいいながら早々に辞去、駐車場へ向かいました。(住職さんには大変お世話になりました)
「捜索願い」
 駐車場の前辺りに一人の消防団風の人がこちらを見ている。すれ違いに挨拶すると○○さんですかと尋ねられる。ここで初めて捜索願いが出されていたことを知り愕然とする。駐車場には警察署員、消防団員が10名ほど集まっておりこれから捜索に向かう準備中である。無線で発見の連絡をしている。警察のワゴン車に乗せられ、昨日のことなど事情聴取を受ける。血圧が高い、心臓病があるなど良く知っている。そのうち柏原署に待機していた従兄弟や家族全員がパトカーの先導で到着。とにかく平身低頭。やがて警察署員と消防団がそれぞれ整列敬礼。捜索体制解除。自分の軽率な行動で皆様に大変ご迷惑をかけたことをお詫びする。続いて妻が挨拶。
 一件落着かと思いきや、パトカーに乗せられて柏原警察署へ連行、調書を取られる。こってり絞られると覚悟していたが、こちらの平身低頭を見てか、無事で何よりであったと喜んでくれた。あとで妻に聞くと、昨夜9時頃宝塚警察へ110番捜索願い、すぐ柏原警察へ連絡。山名を告げずに出発したため,夜を徹して警察が手分けして沢山ある氷上の山の麓を捜索。五台山駐車場の車を発見。夜間の捜索は危険なので明日7時集合,山狩りすることと決まったそうです。家族は早朝柏原署に到着、すぐに調書、顔かたち、服装、趣味、病気など聞かれ、また警察犬の出動(兵庫県には2頭しかいない,また私の普段着を持参,犬に嗅がせる)と場合によってはヘリを飛ばすことも考えていたとのこと。警察犬は既に出動,駐車場に向かっていたが発見の連絡で途中で引き返した。新聞記者が今日の事件を知った場合は、新聞に出ることも了承されたいとのことである。自力で下山したこと、日曜日であったことも幸いして記事にはならなかった。また今回、町助役を筆頭とする消防団60名からなる人命救助隊が編成され、夜間から捜索出動したことを知らされた。
「終わりに」
 帰宅後とりあえず電話で御礼する。謝礼をどうしたものか思案するが警察は業務上のことであり、消防団からも固辞された。それでは自分の気持ちが治まらないので一週間後礼状とともに消防団の皆さんには○○券を御送りした。
山歩きに慣れていたとは言え、「懐中電灯を忘れた」「午後から登り始めた」「登山案内書を過信した」「引き返す決心が遅かった」等中高年の山歩きブームの危険性を他人事と思っていた自分に反省しきりです。それにしても地元の皆さんの暖かい心に触れる感謝の一日でした。ありがとうございました。

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