万葉の森 二上山
更新 2004.2.14やまぼうし
■山名:二上山 雌岳(474.2m) 雄岳(517m)
■場所:大阪府太子町 2.5万大和高田
■日時:2004.2.11(水)天気 晴れ
■同行:ハナミズキ
■コース
竹内街道万葉の森駐車場1320→鹿谷寺跡→岩屋分岐→雌岳(1400〜15)→馬の背→雄岳(1430〜45)→岩屋峠(1515〜30)→石切場→古代池→駐車場1600
Route Mapはここ
建国記念日、橿原神宮参拝の帰路、自宅から大阪平野を挟んでよく見える双耳峰の二上山(にじょうさん)をたずねる。万葉の歴史の山は遊歩道が整備され、府民憩いの場であった。

當麻寺付近からの二上山

万葉の森
 奈良県當麻寺側から竹内(たけのうち)街道に入る。今はR166号だが、ここはわが国最古の国道で、万葉の時代は遣唐使や渡来人が、難波津から都に入るために往来していたとのこと。
竹内峠を大阪寄りに少し下ったところに、二上山登山口の看板と万葉の森無料駐車場がある(標高220m)。釣堀、茶店とトイレがあり50台くらい停まれる。街道に沿って少し登ると、お地蔵さんの分岐点に案内板がある。石畳の道と山に直登する道があり、案内図からはどちらへ行けばいいのか戸惑う。取り敢えず丸太階段の続く直登道を選ぶ。マイペースの単独中年女性と前後する。途中から左の展望台への道はパスして、十三重石塔のある鹿谷(ろくや)寺跡へでる。

登山口

鹿谷寺跡
お寺の裏からごつごつした岩山を急登する。岩場のピークから眼下に竹内街道が、遠くに羽曳野方面の大阪平野が広がる。PLの塔が一際目を引く。

一汗掻いて、岩屋峠からの道と合流する(380m)。軽四が通れる道が山腹に沿う。若いアベックや家族連れが増える。右手に螺旋階段の展望台があり、その脇の階段道を急登する。左の広い道は馬の背に続く。馬の背と雌岳の中間尾根(450m)に出てきた。一息の登りで雌岳の頂上に立った。

展望所から羽曳野方面

丸太階段が続く
雌岳
 広場中央には大きな日時計があり、その横に三角点(474.2m)が鎮座している。ベンチは家族連れでほとんど埋まっている。360度の展望で、北に雄岳、東に大和平野の大和三山が浮かぶ。南は葛城、金剛山のシルエット、西は大阪平野がスモッグに霞む。

雌岳山頂から雄岳(手前は日時計)

大和平野(中央畝傍山)
雄岳
 一度鞍部の馬の背(440m)に下り、雄岳をめざす。再び階段だが、今度は梯子段の連続で注意しないと踏み外す。雌岳より高い雄岳(517m)は雑木に囲まれた広場で、楠木正成の山城跡でもある。入口に美化協力金200円をお支払い下さいのプレートがある。山守のお兄さんが近づいてきた。展望がよくない上に有料のためか、一組の夫婦がいるだけであった。葛城二上神社と少し下の大津皇子の墓をお参りする。

雄岳山頂

大津皇子の墓
馬の背で、祐泉寺方面から登ってきた元気なご老人とベンチに並ぶ。若い時はアルプスや大峰山系を隈なく歩いたそうで、使い込んだドイツ製の登山靴が自慢だ。岩屋峠への道を教えてもらう。

千年杉が道をふさぐ

岩屋石窟
岩屋峠
 岩屋峠の直下には岩屋と呼ばれる石窟寺院の跡が残り、台風で倒れた千年杉が道をふさぐ。この辺一帯は凝灰岩地帯で、古墳時代は切り出された石は都へ運ばれた。高松塚古墳の石棺に使われたという近くの石切場跡を訪ねる。

万葉朝がゆ会の東屋や古代池を通り、元の駐車場に帰ってきた。夕暮れが近いのに、これから山に登る御仁がいるほど地元に密着した存在であるようだ。

石切場跡

遊歩道
帰路、穴虫峠を経てR165号へ合流するつもりが、葡萄栽培のビニールハウスが散在する広域農道を迷走ドライブして柏原ICにでる。

万葉の森

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