播磨アルプス 高御位山と22峰縦走
更新2020.5.29/2006.10.15やまぼうし
■日時:2006.10.9(月)快晴 無風
■山名:高御位山304mとその連山(大平山、地徳山、鷹巣山、小高御位山、中塚山、北山奥山)
■場所:加古川・高砂・姫路市境界 2.5万加古川
■メンバ:トッキーズ山岳会8名
■ルート
(1)JR曽根駅(0910)→豆崎登山口(0915)→経塚古墳(0940)→大平山(豆崎奥山)(1000)→地徳山(1035)→鹿島神社五叉路(1045)
(2)五叉路(1045)→百間岩→鉄塔(1115)→鷹ノ巣山(1140)→第11P263m(昼食12401305)→高御位山(13201340
(3)高御位山(1340)→小高御位山(1400)→中塚山(1430)→北山奥山(1445)→太閤岩(1500)→峠の地蔵(1525)→一等水準点(1550)→JR宝殿駅(1605)
Route Mapはここ

<第17P中塚山付近から高御位山と縦走コースを振り返る>
JR曽根駅から高御位山(たかみくらやま)を盟主とする播磨アルプス22峰を縦走してJR宝殿駅に至る。300m余の低山とは思えない山容、数々の岩稜のアップダウン、瀬戸内から六甲、北摂、播磨、但馬に至る360度の素晴らしい展望はさすが兵庫50名山である。

「豆崎登山口」
 トッキーズ山岳会メンバー8名がJR山陽線曽根駅に集合する。今日は体育の日で、快晴の絶好のハイキング日和だが、下車したのは我々一行だけ。全山縦走は少数派のようだ。念のため、ガイドブックの豆崎登山口を駅員さんとタクシーの運転手さんに尋ねるが、知らないという。高御位山ならその辺から這い上がればいけるとそっけない。鹿島神社から登るのが一般的で、ここから徒歩30分はかかるとのこと。タクシーに乗って欲しそうだ。

豆崎登山口

最初の露岩帯を登る
 豆崎のR2の歩道橋をわたり、横道に入るとすぐに民家駐車場脇からヤブへ入り込む踏跡を発見、危うく通り過ぎるところだった。手製の高御位山の札が木にぶら下がっているから間違いないが、皆さんエエーこんなところからと驚く。すぐに大岩で行き止まり、左右の雑木林の道に布テープが下がっているので左(西)に進むが一向に登る気配がない。バックして右(東)を進むがこちらも山を巻いている。どうもこの岩を直登するようだ。高さ30mほどの岩場を這い上がるとヤブの中に続く道を発見する。ここで20分のロスだったが、ハナミズキの両手に栗の実がいっぱい。
「豆崎奥山」
 背後に加古川・高砂市街の展望が広がってきた。右から登山道が合流してきた。まもなく道の中央に洞穴が、説明版で経塚古墳と分かる。背丈ほどのヤブ道から再び岩稜を這い上がると標高159mの第1P、続いて第2Pの大平山三角点(点名大岩1、155.7m 豆崎奥山とも言う)を通過する。

第4P地徳山(194m)から豆崎奥山の稜線を振り返る(右下は小学校)
道は岩の上を歩くようになり、路傍にはかわいいマルバハギが咲く。第3P(161m)を通過して第4Pの地徳山194mに立つ。眼下にため池群と銀色に光る鹿島神社の鳥居が、はるかに続く稜線上に高御位山が展望する。

地徳山から鹿島神社鳥居と高御位山
地図上では直線で2kmだが、かなり遠く見え、前途多難を思わせる。ここから先は、盟主高御位山を仰ぎながらの山歩きとなる。
「百間岩」
 正面に、百間岩の斜面を登るハイカーが豆粒のようにみえる。稼いだ高度を一気に吐き出して、標高88mの五叉路に下る。多くのハイカーは鹿島神社からここへ上がってくる。円形の展望台から先の露岩帯が百間岩で、標高差100m、平均斜度30度の岩登りは、今日のハイライトである。

地徳山下りから百間岩を望む

百間岩の登り
広大な一枚岩に白丸ペンキが点々と続く。体力消耗を避けるためジグザグにゆっくり登る。登り詰めた第5P(210m)には鉄塔が立ち、続く第6P(215m)には反射板がある。西に姫路市街、南に高砂・加古川市街と家島群島・小豆島、東に明石大橋から淡路島、六甲連山が展望する。
「鷹ノ巣山」
 双耳峰の大きな山塊が眼前に迫る。第7P250m)の鷹ノ巣山、吊り尾根を経た第8Pには三角点(点名地徳264.2m、鹿島山ともいう)がある。登山道のど真ん中にある三角点はハイカー踏まれて汚れ、かわいそうだ。北側谷間からパンパンと銃声が聞こえるのはクレー射撃場のようだ。

第6P反射板付近から第7P鷹ノ巣山(250m)と第8P(264.2m)の双耳峰
馬の背コースの分岐を過ぎて第9P(245m)から緩やかに下る。少し登ると第10P210m)で市ノ池コース分岐がある。再び下り坂となり、標高200mを割る。鞍部から長い登りの末、第11P(263m)にたどり着く。取り付きのロスタイムと炎天下のアップダウンで体力消耗激しく、予定が大幅に遅れている。先ほどからNさんの足が止まり気味で、グループも3つに分かれてしまった。携帯で先頭を呼び出すも応答なし。12時30分を廻る。高御位山頂上で全員揃っての昼食はあきらめて、最後尾組4人はここで大休止とする。
「高御位山」
 見つけた木陰で弁当を広げ、やっと一息つく。スギ、ヒノキの植林がなく、低い雑木と露岩が続く登山道は日影がない。炎天では日傘必携だ。30分ほど休んでから出発する。頂上の反射板が近づいてきた。今日4回目の露岩帯を登ると第12P( 280)へ、そして第13Pの高御位山頂上に到着。「天乃御柱天壇」と書かれた石柱と方位盤が設置されている。瀬戸内から六甲、北摂、丹波、但馬の山々が一望であるが、羽束山はそれと分かる。

山頂の御柱前でトッキーズ一行
先発隊と合流して記念写真を撮る。絶壁の巨岩の上に立つ。ここが最高地点304mだが、風に吹かれたら転落必至だ。神社の柱の影にある三角点(299.8m)にタッチ、お参りする。正月には、初日の出登山であふれんばかりの人出だそうだ。

高御位山ピークと北山奥山縦走路、鉄塔左手が小高御位山、遠方に六甲連山が霞む
1340、予定を1時間オーバーして腰を上げる。眼下に、これから辿る北山奥山方面の稜線が続く。Nさんは反射板横から長尾へ下ることにするという。エスケープルートが沢山あるから体力に応じて楽しめる山でもある。

高御位神社

高御位山を東側参道直下から見る
「小高御位山」
 山頂は沢山のハイカーで賑わっていたが、ここから先の縦走路には誰もいない。広大な露岩帯を2回にわたって下る。ここも白丸ペンキでルートが示されているから迷うことはない。砂礫がないので滑ることはないが、雨天時は危険だろう。

第15P小高御位山(185m)から稜線を振り返る。遠方左端が豆崎登山口
14P(180m)から第15P小高御位山185mへ立ち寄る。小さな祠が祀られており、違った角度から高御位山が見える。岩稜の山容はとても300m級の山とは思えない。
「北山奥山」
 露岩帯を下り鉄塔の下へ。さらに高度を下げて、鞍部から小高くなったところが第16P( 135m)である。豆崎奥山から、百間岩、鷹ノ巣山、高御位山、小高御位山まで辿ってきた稜線が一望である。

鉄塔の向こうに中塚山、北山奥山

第19P北山奥山(183m)から城屋敷(旗振り山)を見る
小松林を緩やかに登ると第17P中塚山170mだが、ここには中象山183mと書かれた四国キティ山岳会の手製札が掛かっている。名称といい標高といいどうもおかしい。第18P (165m) は鉄塔であった。ここから北山登山口への分岐があり、所要20分とある。次の第19P183mの北山奥山である。縦走路は周回するように北池登山口へ下るようだが、我々は東の稜線に進む。
「峠の地蔵へ」
 第20P (160m)からは、南方向に伸びる稜線に石切り場が見える。隣が第21P(160m)で、山城があったことから城屋敷と呼ばれているが、米相場を伝える旗振山であったと説明書きがある。少し下ったところが太閤岩で秀吉が志方城攻めの采配を振るったところの説明書きがある。

太閤岩と最後の第22P(100m)

第22P先の鉄塔から見た高御位山
最後のピーク第22P (100m)が眼下に迫る。山火事にあったのだろうか、ピーク周辺の立ち木が黒こげである。コースは北へ振り、鉄塔から雑木林をジグザグに下ると車道に降り立った。目前の「峠の地蔵」に、播磨アルプス22峰を無事完走したことを報告する。
「一等水準点」
車道を宝殿駅に向けて歩く。かこタクシー乗り場と書かれたコミュニティバス停が興味を引く。高速道路を潜り、石の宝殿 一の鳥居下にある一等水準点3.5mに立ち寄る。

峠の地蔵に無事帰還報告

一等水準点と石の宝殿鳥居
16:05JR宝殿駅着。歩き始めて7時間、万歩計は28000歩を示す。国体高校野球の会場となった宝殿も、今日はシャッター通りで閑散としている。反省会は新快速電車の中で、缶ビールで乾杯。翌朝、腰痛で起上がれず、1週間安静の憂き目に。22回のアップダウンが相当こたえたようだ。
秋の晴れ二十二の峰縦走す     ハナミズキ

(注)本ページは加古川観光協会ご紹介の、「はりま歴史の山ハイキング」神戸新聞総合出版を参考とさせていただきました。

関連ページ:ささゆりの高御位山 2015.6.10

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