2007.8.5 やまぼうし

丹波 武庫川もうひとつの源流

―篠山・天神川―

■日時:2007.8.4(土) 天気 くもり
■行先:篠山市 天神川流域と松尾山(687m)
     地形図 2.5万篠山
■同行:エコハイク参加者 26名
■主催:エコグループ武庫川
武庫川は全長65km、7市1町を流れる兵庫県有数の2級河川である。起点は、篠山市南矢代付近の谷中分水界、田松川と真南条川の合流地点にあるが、その源流は真南条川上流の愛宕山にある。しかし、一方には古市の西、白髪岳と松尾山を源とし、古森で本流に合流する天神川がある。今回は、エコグループ武庫川の主催するエコハイクに同行、西の源流と云われる天神川上流域を探訪し、最高点の松尾山に登る。
ルートタイム
古市駅0940→不来坂0950→集1020→住山登山口1045→(寺谷林道)→不動の滝1125→阿弥陀堂跡(1145〜1205)→卵塔群(1215〜昼〜1250)→仙の岩1305→松尾山1325→白髪岳分岐1340→林道親水池1400→(ワン谷林道)→住山登山口1440→古市駅1530
Route Mapはここ

住山最奥民家から天神川源流の松尾山を望む

「古市」
JR古市駅に集合したのは男女26名。ここはJR福知山線の最高地点(標高210m)にある無人駅である。ほとんどが阪神間在住の皆さんで、櫻守の会の顔見知りも多い。地元からは油井在住の郷土史研究家、81歳の長老酒井氏と古市の農家の方が同行する。今日のガイドはエコグループ武庫川代表で櫻守の会の事務局長でもある伊藤氏であるが、酒井氏が要所々で補足する。聞くところによると、この方は長らく地元の教職にあって、今でも請われて丹波の歴史を教えているという。

古市駅前で(左端2名は地元の方、右手前は丹波新聞記者)

杜氏も通ったくらがり街道、古市宿を歩く
簡単なミーティングと人員点呼をして出発。地元丹波新聞の記者の見送りを受ける。古市は宿場町で、駅前の道は旧くらがり街道。かつては丹波杜氏が朝早立ちしてここを通ったという。昔ながらの民家が軒を連ね、商店といえばJAの売店と日用雑貨店が目に付くのみである。

赤穂浪士ゆかりの宗玄寺

左大坂道、右はりま道
街道を西に進むと、左手に宗玄寺がある。赤穂浪士の一人不破数衛門の父母と二児が身を寄せていた寺で、毎年12月14日には義士祭が行われるという。街角に「左大坂はりま、右はりま道」の道標がある。裏側には「すぐたんご、但馬、いせ道」とある。古市はR176とR372の分岐点である。その根本には古市村の道路元標が見える。これは大正年間に全国の各村の中心に設置が義務付けられたものという。

不来坂(このさか)を行く
「天神川」
R372に出て、踏切を渡ると天神川が見えてくる。この辺を不来坂(このさか)という。平家追討に向かう義経軍が、この峠で待ち伏せしていると考えた平家軍が来なかったところから「平家来ぬ坂」と云ったと伝えられる。丹波黒大豆とごぼう畑が多い。地中を通る川代導水路を跨ぐ。H4年、川代ダム、大川瀬ダム、呑吐ダムをつなぐ東播用水の整備により、従来ため池に頼っていた農業の安定と近代化が図られた。

水害復旧記念碑

天神川は3面張り
緑の田畑が広がる天神川流域はのどかに見えるが、実は昭和58年の台風10号の集中豪雨で山腹崩壊、橋流失、住宅浸水など甚大な被害を蒙った。水害復旧の碑には「春水四澤満」とある。天神川は3面張りの川となってしまった。
集(つどい)という集落を通る。義経軍がここに兵を集結したところからその名が残るという。三草山に向かう集坂がみえる。「一眞坊」という看板は「裁ち切りそば」を売りとする鄙びた蕎麦屋さん。営業は11時から3時まで、庭で水車が回る。
「住山」

住山集落と松尾山
住山の集落に入る。谷あいの奥にあるところから「隅山」からきたという。平家が敗れた後残されて尼になり、住山に移り住んだ人の歌碑がある。「恋しくば尋ねても来む白髪峰隠れはあらじ住山の奥」。正面に松尾山が見えはじめる。急峻な山容は霧にかすんでいる。

登山案内図は平成元年製の古いもの

住山登山口、松尾山へは寺谷林道を遡る
「寺谷川」
天神川は住山の最奥で松尾山を源とする寺谷川(右俣)と、白髪岳と松尾山の谷を源とするワン谷(鰐谷)川(左俣)に分かれる。ここは白髪岳・松尾山の登山口(標高260m)でもある。我々一行は松尾山をめざして、寺谷川を遡る。寺谷林道は舗装からすぐに地道へ、茶畑を過ぎると、手入れの行き届いた杉林に入る。林道終点から沢沿いの山歩きとなる。前日の雨で、しずくに濡れた木々が覆いかぶさり、道はぬかるみ、暗い。風もなく、まるで蒸し風呂のようだ。一人の女性が登頂を断念して引き返す。

手入れの行き届いたスギの植林地

難所の丸木橋を一人ずつ渡る
難所の丸木橋にかかる。4、5本渡してある丸太はつるつるで、その上朽ちかけたものもあり、しなって揺れる。両岸からロープを張り、一人ひとり慎重に渡る。

不動の滝

滝を左手から巻いて登る
登山道から僅かに外れて、不動の滝に寄る(420m)。不動明王の滝ともいわれる落差25mの2段の滝で、行者達がここで身を清めていたというが、黒ずんだ泥岩を伝う流れは細い。滝の左手の、岩と木の根の露出する道を、ロープに掴まりながら、ジグザグに登り、滝の上にでる。地形図ではすぐに右からの尾根道が合流するようになっているが気付かずじまい。
「高仙寺跡」

高仙寺阿弥陀堂跡と三地蔵

高仙寺本堂跡の愛宕堂
何度か丸木橋をわたり、急登したところが高仙寺阿弥陀堂跡(510m)である。スギの木立に囲まれた小広場は、雑草が刈り取られ、礎石が残っているのが分かる。三地蔵が寂しく佇んでいる。倒れかけた案内板によると、松尾山南側中腹には、大化元年(645)法道仙人開基、最盛期の鎌倉時代には七堂伽藍や25もの僧坊を持つ高仙寺があったという。今は南矢代の地に移転している。

卵塔群
2人が落伍したようで、幹事が迎えに引き返す。結局、3人は本隊に追いつくことなく、遅れてついてくることになった。小休止の後、愛宕堂の残る高仙寺本堂跡を経て卵塔群(540m)で大休止とする。ここには55基の僧侶の墓が並び、酒井氏の解説によると、1600年代12基、1700年代7基、1800年代2基が判明しているそうです。愛宕堂の少し先の谷筋が寺谷川の源流であったが、うっかり写真を撮り忘れ、帰宅してから後悔しきり。
「松尾山」

仙ノ岩

千年杉
卵塔群から松尾山ピークに向け、最後の登りが始まる。標高差約100m、ロープの手を借りる。もう誰も無口だ。歓迎するかのように、綺麗な声でしきりにさえずっているのはオオルリか?露岩が現われ出すと頂上が近い。松尾山南峰にある仙ノ岩(670m)に着く。突き出た大きな岩盤から東の展望が広がるが、生憎の曇り空で、辛うじて武庫川本流域を認めるのみ。

松尾山(高仙寺山)頂上
低いクマザサの道になる。千年杉といわれる樹齢400年ぐらいの巨木を過ぎて上り返すと、すぐに松尾山(別名高仙寺山)頂上(687m)だ。酒井城址と書かれた案内板は朽ちかけて、辛うじて説明文が読み取れる程度。戦国時代、ここには酒井氏治の山城があったが、明智光秀によって滅ぼされた。名残をとどめる山頂平坦面には、クマザサが生い茂り、アセビ・イヌツゲ・モミなどが疎らに生えて展望はない。白髪岳まで1.1Km、文保寺まで1.3Kmの新しい道標が立っている。
「ワン谷川」

白髪岳、文保寺分岐

ワン谷川源流
白髪岳への道をとり、大きく下った鞍部の十字路を左手に下る。道標が立ち、直進は白髪岳、右手は文保寺への道であるが、これから下る道の案内はない。地形図にはないが、杉林の中に広々とした道が緩やかに下っている。途中で白髪岳を望むポイントがある。僅かに染み出る水はワン谷川源流だ。今度はしっかりとカメラにおさめる。すぐ伏流となり流れが消える。

親水池

白髪岳登山口
ワン谷林道に降り立つ。東屋があり、ここから白髪岳への登山道標もある。ツバキの森を経て1.2kmとある。少し上流で林道は終点だが、ここには治山ダム2基が設けられ、親水池として利用されている。治山ダムは谷川の土砂が流失して両側の山腹が崩壊するのを防止するためである。

ワン谷林道と松尾山を振り返る(住山登山口)
ワン谷林道を下る。東屋と大きな案内板が設置してあるもう一つの白髪岳登山口をすぎる。沿道にはソメイヨシノを植栽した「桜公園」や「鹿物語起源の地」の碑が立つ。長い林道歩きの末、往路で別れた住山登山口に戻ってきた。もう一度松尾山を振り返ってみる。武庫川もう一つの源流天神川探訪は、歴史ハイキングとなった。

関連ページ:武庫川源流 松尾山(2014.6.14)

*本文は一部武庫川エコハイクのガイド資料から引用させていただきました。

トップへ戻る

inserted by FC2 system