UP 2008.2.28 やまぼうし
丹生山系縦走
■日時:2008.2.23(土) 曇時々雪
■行先:神戸市北区 藍那古道、丹生山系縦走路、黒甲越東道  2.5万地形図 淡河、有馬
■山名:丹生山(515m)、帝釈山(585.9m)、稚子ヶ墓山(596.3)、花折山(573.6*
     金剛童子山(565.3m)*、大蔵山(452.8m)* (*は登頂せず)

■同行:トッキーズ3名
ルートタイム
神鉄藍那0900→(藍那古道)→山田1005→丹生山1130→帝釈山(12051230)→岩谷峠1310→稚子ヶ墓山1355→肘曲1420→花折山分岐1435→金剛童子山分岐1505→黒甲越分岐1520→(黒甲越東道)→屏風谷出合1555→大日如来1615→大蔵山南峠1625→八多深谷BS1655・・・JR三田
Route Map1Route Map2
丹生山系縦走とは、神鉄粟生線の藍那駅を起点とし、藍那古道、丹生山系、黒甲越東道を経て神鉄三田線の岡場駅まで総延長27Kmのルートを言う。そのルートの殆どが自然のままの山道であり、義経や清盛、秀吉などがたどった歴史の道でもある。
トッキーズ現役組のお誘いで、丹生山系縦走は、山道の終点北区八多町深谷までの23kmを歩く。10年以上前に個別に歩いたところもあるが、全山縦走は初めて。途中エスケープも視野に入れつつも、無事完走できてほっとする。

藍那古道
 神鉄は新開地駅から標高300mの鈴蘭台駅まで一気に駆け上がる。粟生線に乗り換えて三木に向かう途上の無人駅藍那(標高220m)を降りたのはトッキーズ4人だけ。車道を下り、藍那小学校手前から藍那古道に入る。

神鉄藍那駅付近

藍那の集落
別名義経道、義経の軍勢が三草山から淡河を経てこの道を南下し、ひよどり越えに向かったという伝承が残る。線路を挟んだ山の斜面に残る古民家の集落が歴史を偲ばせる。

藍那古道入口(正面 藍那小)

藍那古道はモトクロスの道
舗装の道は長坂山への道を分けて左の山に取り付く。丘陵地帯をアップダウンを繰り返し北上する。放置された廃車が古道のイメージをぶち壊す。2台のモトクロスバイクが追い抜いていったが、えぐれたぬかるみの道は彼らの仕業だ。

時雨の山田の里

丹生神社第1鳥居
約1時間で山田の里に降りてきた。正面の丹生山系が時雨に霞む。目印の丹生神社の鳥居に向かい、田んぼのあぜ道を進む。
丹生山系縦走路
 山田川にかかる麓橋を渡ったところに丹生神社宝物殿があり、その先の道の真ん中にある地蔵が丹生山表参道25丁(2.8Km)の起点になる。丁石は月参りした平清盛がつけたものであるといわれている。

丹生山表参道25丁の起点

丹生山系縦走路が始まる
まもなく「太陽と緑の道」と「丹生山縦走路」の道標があり、左折して竹やぶを急登する。丁石が24、23、22、21、20と続く。平坦な雑木林を北上すると、左手から衝原・千年家からの道(義経道)が合流、ついで帝釈山麓に至る旧鉱山道を右手に分ける。

丹生山(18丁付近から)
左手が開け、丹生山の全貌が覗く。せり上がった山頂の神社の森が印象的である。谷が狭まる。12丁を過ぎた分岐点(標高300m)に「延命地蔵」があり、左折は表参道、直進は裏参道である。兵庫森林浴50選の看板は14年前と同じだ。表参道に入るとすぐ11丁の石柱が立ち、石造りの丹生山橋(にゅうやまばし)を渡ると本格的な上りになる。

11丁の丹生山橋、手前分岐に延命地蔵がある

丸太、石の階段が続く表参道
標高差200mにわたり、丸太や自然石の階段が続き、汗びっしょりになる。6丁、5丁、・・・1丁でようやく平坦になり、史蹟 「丹生山明要寺跡」の石碑に到達する。
丹生山
 3段となった丹生神社の境内には嘗て明要寺の伽藍や僧坊があったという。平清盛が比叡山にみたてて月参りしたという寺も、秀吉の焼き討ちや明治の廃仏稀釈で廃寺となり、今は無人の丹生神社だけが残る。ちなみに帝釈山は明要寺の奥の院、稚子ヶ墓山は、秀吉の軍勢に追われた稚児たちがここで追いつかれ殺されたことに由来する。

丹生神社第2鳥居

丹生神社拝殿(515m)
第2鳥居を潜り、石段を上って山頂(515m)の丹生神社にお参りし、帝釈山に向かう。境内の切り開きから六甲山系が覗く。
帝釈山
 少し下り、スギ、ヒノキの樹林帯に入る。ふかふかの落葉が足腰に優しい。再びアカマツ、コナラの雑木林となり、稜線の南側を東進する。起伏を繰り返し、帝釈山のピークに到達する。

丹生山から帝釈山への道

帝釈山(586m)
岩ゴロの山頂には祠が祀られ、三角点(585.9m)がある。南側には、須磨の鉢伏山から菊水山、摩耶山へと続く六甲山系と、明石大橋を隔てて淡路島の展望が開ける。神鉄沿線の住宅団地が六甲の北斜面を覆う。風を避け、陽だまりでお昼とする。

帝釈山からの展望(左手に六甲山系、右手に明石海峡と淡路島)
先を急ぐ。下りに備えて膝サポーターをつける。起伏を繰り返しながら、道は北に向きを変える。振り返る帝釈山はドームのようだ。
稚子ヶ墓山
 R428に降り立つ(標高430m)。岩谷峠の少し南になる。次の稚子ヶ墓山への道標がないので、はじめてのハイカーは迷うだろう。取付きはR428を南下した双坂池(386m)からである。国道の正面に稚子ヶ墓山が見える。池の縁を回った取付きの道標には、あと1100mがんばれとある。

R428を南下して双坂池へ、正面稚子ヶ墓山

ルートで最もきつい稚子ヶ墓山への上り
岩のゴロゴロする一直線の上りは、ルートで最もしんどいところである。おまけに雪が降り出す。一組の若夫婦が下りて来た。無動寺への分岐をすぎて、やっとのことで稚子ヶ墓山の頂上に到達する。ここは丹生山系の最高峰で、山名のいわれを書いた古い案内板と、三角点(596.3m)がある。展望はない。

稚子ヶ墓山ピーク(596m)

稚子ヶ墓の墓標
東寄りには稚子ヶ墓山伝説遺跡と書かれた墓標が立つ。里人は、近くの山から手折ったきた花を供えて、あわれな稚児達を供養した。花をよく手折った東の峰を花折山と呼ぶようになったという。切り開きから六甲山系や明石海峡、淡路島が展望する。
花折山・金剛童子山
 グリーンスポーツ施設への道を右に分けて、暗い渓谷を下る。下りきったところが肘曲り(450m)で、原野、志久峠の分岐点がある。ここは志久峠方面に道をとり、ついで志久峠と花折山の分岐は花折山0.8kmに進む。

肘曲り

兵庫CC前を通過
再び花折山(573.8m)の道標があるが、今日は先を急ぐので、登頂せず、山すそをバイパスする。出てきたところは、鹿見山(ししみやま)の無線中継所へ通ずる舗装道路(530m)である。兵庫CCの前を通り、車道を谷上方面に下る。前方に金剛童子山(565.3m)が見えるが、取付きを確認してこちらもパスする。
黒甲越東道
 鰻ノ手(うなぎのて)池の手前で、車道から脇道に入り込む(470m)。立ち木もまばらな雑木林はモトクロスに格好の場所らしく林内には轍が縦横に走っている。

黒甲越分岐(右へ)

黒甲越東道を行く
黒甲越(くろこうごえ)分岐を右にとり、黒甲越東道に入る。しばらく杉林を歩き、やがて谷を右手にみて雑木林を北進する。神鉄大池から天下辻への道が右手から合流する(370m)。冬枯れの落ち葉道は雰囲気がある。屏風川の流れをわたり右岸に出る。谷が深まり、瀬音も小さくなる。足元に注意しないと、数十メートル下の谷に滑り落ちかねない。

屏風谷出合

崩れかけた石垣の道
小さな峠を越えて、再び流れを渡る。屏風谷出合(350m)である。道は屏風川の谷を左下に、山腹を縫いながら少しづつ高度を上げていく。ところどころに石垣の跡が残っているのは何であろうか。路傍に榊の供えられた地蔵と木柱が鎮座している(420m)。大日如来を祀っているとのこと。しばらく巻いた道はぐっと上り詰め大蔵山南峠(450)に達する。

大日如来

大蔵山南峠450m
八多
 雪が激しく降り出す。後は八多(はた)町に向かって林道を下るだけであるが岩の凹凸道は足に堪える。エメラルドのビクニ池を過ぎて、あと一息というところで左膝が痛み始める。バスの時間も迫ってきた。皆に遅れまいと必死に後を追う。舗装道路に変わり、墓地と最奥の民家が見えてきた。先ほどの雪で田畑は白く薄化粧。どうにか八多町深谷バス停にたどり着く。予定より1時間遅れたが、藍那をスタートしてから23km、8時間に及ぶ歩行は六甲縦走以来2番目に長い。

ビクニ池

八多最奥の民家
縦走の最後は神鉄岡場駅だが、ここから4kmは市街地歩行となるので割愛し、バスで三田へ向かう。寒風吹きすさぶ街中は山よりも寒い。ビールと鴨鍋で乾杯、今日一日の行程を思い浮かべながら反省会。心配した膝痛も翌朝には回復した。

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