2015.10.8改定/2008.9.23 やまぼうし
宝塚 今井岳と三蔵山
■日時:2008.9.23()
■山名:今井岳382m 三蔵山411.4m
■場所:宝塚市、猪名川町 2.5木津
■同行:ハナミズキ

ルートタイム

宝塚市営墓苑11:00→今井岳(12:0012:25)→墓苑13:05→マテバシイ取付き13:15→三蔵山(13:5514:10)→墓苑14:45

Route Mapはここ

今井岳と三蔵山をつなぐ南麓は嘗てゴルフ場であったが、その一部は宝塚市営墓苑となった。墓苑の視察方々久しぶりに両山に登ってみる。やっぱり荒れたヤブ山であることに変わりはなかった。

旭国際宝塚CCクラブハウス付近から三蔵山を望む

「墓苑」
旭国際宝塚CCのクラブハウスの前を通って墓苑まで舗装道路が延伸。墓苑の管理事務所は、東に三蔵山、西に今井岳、南方に西谷の古宝山や城山、中山連山、大峰山、はるかに六甲連山を望むロケーションにあり、なかなかの展望である。
「今井岳」

墓苑から今井岳(左が382ピーク)
さて、今井岳へ行ってみよう。管理事務所(標高290m)の裏に続く土手にのぼり、今井岳の方向に歩いて取付きを探す。それらしい気配がないので、藪をかき分けてとにかく土手の反対側に降りる。果たして林道の跡のような道に行き当たる。ずっと下って行くと木津峠西の「じげ池」に出るが、途中に尾根筋に取付く道があったはずと探してみるがどこも藪。仕方なく折返して、林道跡の終点から斜面に取り付く。前回の下山ルートを上るはずであったが、踏跡の影もない藪である。立ち木に必死に掴まりながら尾根筋(350m)にようやく這い出る。汗びっしょり。尾根筋には鉈目があり、ところどころに古いテープが現れるからこれを辿れば間違いない。

林道跡のような道

第2ピーク付近
踏跡を辿ること約10分でテープの集中するピークについた。テープに今井岳頂上とマジック書きしてあるが、ここは第2ピークで、GPSで見ると地形図の382Pはここから200mほど南である。一度下って上り返した平坦部分が382Pと思われる。戦国時代には山城があったと聞く。南に向かって踏跡が続くが、徐々に高度が下がっていく。そこには一際大きな朽ちた赤松があり、あたりはソヨゴ、リョウブ、コナラ、ヒサカキの林で、もちろん展望はない。思わぬ時間をとってしまったので、昼飯とする。

今井岳382P
元きた道を引き返す。立ち木の間から三蔵山や墓苑の一部が覗くところもあるが見晴らしはない。ヤブコギで到達したポイントに戻ってきたが、尾根筋に踏跡が続き、境界杭もあるのでそのまま下ることにする。

尾根途中から三蔵山を望む

取付き付近(右手に池)
やがて往路の林道跡に出てきた。振り返ってみても、ここが取付きであることは分からない。もう一度林道跡を上り、その終点から墓苑の土手に戻る。この道は木津峠から長谷に抜ける道であったものが、ゴルフ場で寸断されて廃道となったようである。
「三蔵山」

墓苑からの三蔵山
墓苑の土手の上を三蔵山を目指す。マテバシイの大木付近からヤブに突入すると、はたして見覚えのある踏跡道があった。倒木で荒れた林を抜けると、露岩のごろつく急激なのぼりとなる。立ち木を掴みながらの登りだが、不安定な岩が多く、うっかり足場にすると落石を起こしかねない。巨岩に突き当たっても白テープが誘導する。

今井岳取付き付近から墓苑事務所と三蔵山

倒木で荒れ果てた山麓

露岩地帯を登る
頂部はフラットで、山城であったことをうかがわせる*。三角点はリョウブ、コナラ、ヒサカキに囲まれた小広場にあった。13年前にあった測量旗の残骸が横たわっていた。ここからの展望はないが、少し先に出ると、西谷の山々や眼下のゴルフ場が望めるところがある。

三蔵山の三角点411.4m
テープが中三蔵山方向に続いているが、時間が遅いので元の道を引き返す。上りに気付かなかったが、立ち木の間に、今井岳や大船山、羽束山を垣間見るところがあった。取付きのマテバシイの木のところに降りる。振り返る三蔵山は端正な姿をしているが、今井岳同様手ごわいヤブ山だ。

頂上周辺はフラットで山城を思わせる

途中から今井岳を望む

取付きポイントのマテバシイの木
*佐保姫伝説:約400年前の戦国時代、木津三蔵山城には「佐保姫」という明智光秀の娘が預けられていた。その佐保姫と篠山の八上城城主波多野秀治の息子貞行が恋に落ち、結婚の約束をしていた。ところが光秀の主君織田信長は光秀に八上城を攻めるように命令し、城を落城させた。貞行はからくも城を逃れたものの、姫とは泣く泣く別れいずこともなく消えた。その後姫の住む城も落城し、姫は目の前を流れる猪名川に身を投げ、白い蛇に化身した。猪名川道の駅のある万善には「佐保姫」という地名が残り、姫が入水したところは「姫ヶ淵」と呼ばれ、案内板が立つ(猪名川町史より)。

造成中の墓苑(対面は中山連山〜六甲) 2008.9.23

すみれ墓苑2015.8.14現在

墓苑は宝塚すみれ墓苑と命名された。

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