UP2020.5.28 /2008.10.17 HRY
木曾 赤沢の美林を歩く

■日時:2008.10.9(木)10.10(金) 天気 晴
■行先:長野県 赤沢自然休養林/木曾御嶽山/開田高原
■交通:日交トラベルバス
■宿泊:赤沢 去来荘
■参加者:環境科40名+森林ガイド3名(赤沢)

 木曾といえばヒノキ。青森のヒバ、秋田のスギとともに日本の三大美林に数えられる。木曾谷のひとつ、ここ赤沢自然休養林には江戸時代から守られてきたヒノキの美林が存在する。木曾のヒノキは平安時代から広く知られ、以後伏見城を建てる材料として利用され、江戸時代以降は大量に切り出された。その結果山は荒れ木々も少なくなり、山を管理している尾張藩は「木一本、首ひとつ」のお触れを出して厳しく山の木を守ってきた。ヒノキと合わせてサワラ、アスナロ(ヒバ)、ネズコ、コウヤマキの五木を停止木として伐採を禁止した。これは後に「木曾五木」といわれるようになる。しかし、戦後再び木々が大量に切られるようになったので、赤沢地域は「材木遺伝資源保護林」「植物群落保護林」に指定されて保護されている。今回の旅では、自然保護林の意義を考え合わせながら木曾の自然と歴史を学び、木曾御嶽山の紅葉やアルプスの展望など自然を楽しむことができた。
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第1日 10月9日(木) 晴れ
「大阪発8:00→養老SAの後:40分ビデオ「思い出の木曽森林鉄道」「赤沢森林鉄道」放映→元起(昼食)11:25〜11:45 赤沢・去来荘着13:05

保護林観察13:20〜16:10(ガイド概要説明 森林鉄道乗車→丸山渡下車→駒鳥コース:ひのき大樹・御神木伐採跡地など→ふれあいの道・床堰・渓流広場) 去来荘着16:15  去来荘夕食・懇親18:00〜21:30
「木曾谷」
本計画は4月から始まる。事前の研修はもちろん、5時間余りの車中では木曾の歴史や森林鉄道についてのビデオを放映する。

車中研修

赤沢自然休養林入口
 中央高速道中津川ICを下りて国道19号に入り木曾谷を曲折、北上する。山麓斜面の僅かの耕地にトタン屋根の民家が並ぶ。藤村の夜明け前の書き出しを思い出す。「木曽路はすべて山の中である。あるところは岨づたいに行く崖の道であり、あるところは数十間の深さに臨む木曽川の岸であり、あるところは山の尾をめぐる谷の入口である」。上松から赤沢川を遡る。大型バスの運転技術が問われる道だ。標高1080m、終点の広場が赤沢自然休養林入口であった。渋滞もなく、予定よりも1時間早い到着である。
「森林鉄道」
 「木曾のなー、中乗りさん。木曾の御岳山さんはなんじゃらほい」と木曾節に歌われた中乗りさんとは、伐り出された木材を木曽川で運んだ筏師のこと。森林鉄道の歴史は古く、大正5年から多くの路線があり、上松までヒノキを運搬していた。蒸気機関車からディーゼルへ、やがて林道が整備されトラック輸送へと切り替えられていった。昭和30年の最盛期には総延長428kmにも及び、木材運搬ばかりでなく人々の生活に大きなかかわりを持っていた。通学ばかりでなく、理髪車両も連結していたという。
ここに残る森林鉄道は、昭和50年5月に王滝線を最後に廃止された森林鉄道の旧小川線跡に、昭和62年に観光用として復活したもの。森林鉄道記念館〜丸山渡間1.1kmを15分で運行している。

赤沢森林鉄道駅で蒸気機関車ボールドウィン号をバックに(左端前、中、後、3名がガイドさん)
 まずは宿泊先の去来荘に荷物を降ろし、森林鉄道記念館駅集合。日付入りの木札の切符を購入しホームへ。列車の到着の間、森林インストラクター横井さん、上条さん、特別参加の吉川さん(女性)の紹介や、これから巡る赤沢自然林の説明を受ける。

駅のホームでガイドさんの説明を聞く

森林鉄道に乗って

終点丸山渡(まるやまんど)駅
 ほぼ貸切、木曾五木の名前の書かれた車両に乗り込み、時速7kmでゆっくり赤沢川支流の道川本谷を遡る。ヒノキの森にマルバノキの紅葉が映える。

ことことと森林鉄道渓紅葉     二三弥

「赤沢自然保護林観察」
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樹齢300年のヒノキが立ち並ぶ赤沢の森
 終点丸山渡(まるやまんど)で下車、道川橋を渡り、ふれあいの道から駒鳥コースへ。木のチップを敷き詰めた足腰に優しい道は、木曽川を水源とする下流の中学校が毎年ボランティアでやっているという。

ふれあいの道

駒鳥コース

ヒノキの大樹
 駒鳥コース途中のヒノキの大樹を観察する。大樹とは神宮備林として管理された際に直径60Cm以上だったものを指す。林床はアスナロの幼樹が多く見られます。明日はヒノキになろうというというのは俗説ですが、自然更新により日陰に強く、耐久性の強いアスナロにいずれ取って替わられることを恐れているそうです。

御神木伐採地(昭和60年)

「きやりうた」を歌う吉川さん

三点を残して斧を入れる「三紐伐り」の御神木
 ついで昭和60年に伐採された御神木伐採地へ。ご存知、伊勢神宮の20年ごとの式年遷宮には、木曾のヒノキが御神体納めに使われる。御神木は2本が選定される。その伐採は三点を残して斧を入れる「三紐伐り」といわれるもので2本の御神木を交差するように倒す「たすき掛け」という方法をとる。伐採する際には「御杣始祭」という儀式が行われる。昭和60年の儀式の責任者は誰あろう、今回特別参加の吉川さんのご主人である。夫の見よう見まねと謙遜しながら、御神木伐採跡地で当時を偲ぶ「きやりうた」を歌っていただく。森に染み渡る声に我々も感動し、最後の「ヨイショー、ヨイショー」は共に大きな声で合唱する。

神木の木株に斧跡雁渡る     二三弥


床堰

マルバノキ

紅葉の始まった渓谷
 再びふれあいの道に戻り、森林鉄道と道川本谷沿いの道を下る。丸葉橋、あすなろ橋を経て、元の森林鉄道駅前渓流広場へ。途中に床堰(とこぜき)の跡がある。水量が少ないときに水をためて一気に木材を流すための堰である。
 赤沢自然林は昔から手の入った保護森で、天然林ではない。自然はなすがままにしておくほうがいいと考えもあるでしょうが、人間が一度手を加えた森は、最後まで人間が面倒を見なければならないのではないでしょうか。2時間余にわたるガイドさんとここでお別れ。もう一度訪れたい森です。ありがとうございました。

「去来荘」
 去来荘は、樹齢300年の木曽ヒノキが並び立つ赤沢の森の奥深くある素朴な宿。「何もない、何もしない、ただそこにいるだけ」。それが去来荘の過ごし方ですが、本日は宿始まって以来の40名の宿泊客を迎えます。今上天皇もご逗留された別邸「三木荘(さんもくそう)」も女性用に開放します。

素朴な民宿去来荘、奥の離れが三木荘

行燈の灯る廊下

三木荘はヒノキ風呂
 料理は地元の山に育った天然の食材、山菜・野菜・川魚・山肉をふんだんに盛り込んだオリジナルメニューです。一品づつ出て来る手料理は、すべて違った葉っぱの上に並びます。まさに去来荘文化財ですね!ご主人の若宮さんは自然を愛し、お客を大切にと、家族皆さんで、心からのもてなしをしていただきました。(料理メニューはこちら)

去来荘若宮さんご夫妻

島さんの音頭で乾杯

環境科の皆さんに感謝の歌をうたう新人さん
 夕食後の懇親会では新人さんの歌あり、枚方合唱仲間の合唱や、皆で、「静かな湖畔の森の影から・・・」の輪唱、最後は青木さんの「木曾節」で締めくくります。2次会でもしりとり歌と続き、楽しいひと時を過ごしました。(去来荘のHPはこちら

色づきし木の葉の器去来荘       幸子


第2日 10月10日(金) 晴れ
早朝観察6:00〜7:10(向山コース)、朝食7:30〜去来荘発8:30→御岳山ロープウエイ:鹿ノ瀬駅10:10→飯盛高原駅(乗鞍岳、奥穂高、前穂高岳、槍が岳、木曽駒ヶ岳:8合目付近の紅葉を展望:しらびその小径など探索→鹿ノ瀬駅発11:35→開田高原12:10(霧しな:昼食→木曽馬の里)13:20発→レストイン木曽13:50(寝覚の床展望:夕食積み込み)14:20発→多賀SA(夕食)17:50〜18:20→大阪着19:30
「早朝観察(向山コース)」
 有志で、食事前の朝6時から1時間余り、赤沢橋を渡って「向山コース」を散策します。気温11度、暖かい朝とはいうものの上着を羽織って朝霧の森林に入ります。熊よけの鈴を鳴らしながらの散策です。ふかふかのチップの道はやがて木の根道にかわり、樹齢300年のヒノキが立ち並ぶ森に入ります。300年といえど成長の遅いヒノキは大木というわけではありません。年輪が均一で木目細かいのだそうです。

根上がり木
 伐採されたヒノキの根本が空洞となった「根上がり木」が目立ちます。倒れた木の上に落ちた種子が発芽成長し、土台の木を跨ぐように根をおろし、やがて土台の木は朽ちてなくなってしまうからです。フィトンチッドの香りに包まれた早朝散歩でした。

向山コース中間点 見晴台にて

朝食後、バス出発間際に森林資料館を見学し、赤沢自然休養林をあとにします。

赤沢自然休養林で(前列右端は去来荘主人)

「御嶽山」
 木曾御嶽山(3067m)を垣間見ながら、御岳ロープウェイ起点の鹿ノ瀬駅(かのせ)(標高1570m)へ。ここからゴンドラで一気に御嶽山7合目の飯森高原駅(2150m)へ登ります。ロープウェイ駅デッキから仰ぎ見る御嶽山は、紅葉の絨毯となり、振り向けば乗鞍、穂高、槍ヶ岳が、八ヶ岳連峰を挟んで木曾駒ヶ岳、はるかに甲斐駒ヶ岳も覗く絶好の展望です。高山植物園のあるシラビソの小径を散策したり、御嶽社にお参りしたり、健脚者は7合目行場小屋を往復して、しばしの時を楽しみました。

7合目飯盛高原駅から御嶽山剣ケ峰を望む(撮影:加藤さん)

ロープウェイ起点 鹿ノ瀬駅

ロープウェイから乗鞍、穂高、槍が岳を望む

ロープウェイ終点飯森高原駅
白檜曾の山の小道や櫨紅葉     二三弥

「開田高原」
 開田高原といえば蕎麦と木曾馬(農耕馬)の里です。「霧しな」で開田蕎麦をいただく。信州蕎麦はいろいろありますが、朝晩と日中との寒暖の差が激しい開田高原は、夏場はよく霧がでます。霧の下で育った蕎麦を霧下そばというのだそうです。
 そば雑炊(人参、たまねぎ、鶏ミンチとそばの実を一緒に煮込む)、ざるそば(外皮も一緒に引いてある)、辛味そば豆腐(そば豆腐の上に、青唐辛子を使ったピリ辛い味噌)いくちおろし)、あみ茸、大根おろしと小鉢、漬け物。ぽよよ〜んもち(開田産のトウモロコシと牛乳でクリーミーにし、くずで包んだもの)。そばビールも付いたこんなメニューでした。

開田高原 霧しな

昼食そばセット

ぽよよ〜んもち
 木曾馬の里 馬牧場へ。木曾馬の歴史は古く、奈良時代から飼育されていた記録もあるそうです。木曾義仲の時代は軍馬として活躍、その後はその耐久力から農耕馬の道を歩んだとのことです。白樺林とブルーベリー畑が印象的でした。

馬牧場 バスの向こうはブルーベリー畑

放牧馬を見る

白樺林と放牧馬

「帰路」
 木曾福島から帰途につく。途中、上松の寝覚めの床を見下ろす「レストイン木曽」で休憩し、釜飯を積み込み、多賀SAで夕食。19:30大阪駅着。お疲れ様でした、といいたいところですが、フィトンチッドで心と体も癒されていることでしょう(長谷川幹事)。

寝覚めの床(撮影:加藤さん)

夕食の釜飯

私のお土産(あんずとすもものジャム:去来荘)
「おわりに」
 赤沢自然休養林のヒノキの森とフィトンチッドの香り、去来荘の心づくしのもてなし、御嶽山の紅葉とアルプスの大展望と、絶好の日和に恵まれた学習の旅でした。早くから企画され、旅をリードいただいた青木さんに心から御礼申し上げます。去来荘ご主人からのお礼の手紙をもって、締めくくりたいと思います。
 「40名様の仕事は大変ですが、とても楽しく仕事をさせて頂いた事はただただ感謝の気持ちで一杯です。皆様も残す事無く、完食して頂きこの事も感謝です。このメンバーで「新芽を食べる旅」を計画して欲しく思います。40名分の山菜を集めてみたくなりました。大山蓮華を見ながら、山菜を食するのも良いものでは。是非計画を立てて下さい。勿論40名で。山菜の素晴らしさを知って欲しいメンバーです。御嶽山も素晴らしかった様で、最高の旅に乾杯です。ありがとう御座いました。皆様に心から感謝いたします。

<木曾五木>
本ページの作成にあたり、青木さん作成の資料や現地のパンフレットを参照させていただきました。また俳句は鈴木さん、秋山さんから提供いただきました。
撮影・編集 やまぼうし
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