作成2009.11.4 やまぼうし
北摂 寺山と広照寺山
■日時:2009.11.3(火) 晴れ
■山名:寺山(492.4m) 広照寺山(445m)
■場所:三田市 2.5万地形図 木津
■同行:ハナミズキ

日本昔話を思わせる寺山と広照寺山(右) 2009.11.3
波豆川公民館11:20→殿垣内(取付き探し)→殿墓12:15→広照寺山南西尾根→広照寺山(13:10〜13:30)→寺山(13:45〜14:00)→鞍部14:05→谷道→殿垣内(15:00〜15:25)→波豆川公民館15:35
Route Map
 文化の日は各地で冷え込み、大山をはじめ四国石鎚山、剣山でも初冠雪、平地でも初霜・初氷の便りが相次ぐ。あまりにも天気がいいので、紅葉には少し早いが、宝塚・三田の境界の山々、広照寺山から寺山、高畑山へと縦走してみたくなった。
 思い立ったのが朝食時、すでに出足は遅く、スタートの三田市の波豆川公民館に着いたのは11:00過ぎ。それでも、順調に行けば縦走の終点高畑峠まで15:00には行けると踏んだが甘かった。広照寺山から寺山でリタイアとなってしまった。広照寺山への取り付きが見つからず1時間以上をロスしてしまったのである。
 思い返せば、この山に登ったのは丁度10年前の今日であった。殿垣内の集落のはずれから谷筋を登り、鞍部に達して両山に登り、同じルートを下った。谷筋ではイバラで傷だらけになった思い出があるので、今回は広照寺山の尾根筋を辿って行きたい。
「取付き探し」
地形図を見れば、広照寺山の南東尾根に踏跡がありそうな感じがする。殿垣内(とのがいち?)の2,3の民家で道を尋ねながら、南麓の耕作地からイノシシ柵を開けて森に入り、墓地に達する。ここは殿墓といわれているようで、一般のお墓(兵庫一族が多い)もあるが、歴史を感じさせる五輪塔もある。傍らの石碑には貞享(じょうきょう)二年とあるので後で調べてみると元禄の前にあたる1685年のものである。

広照寺山南麓

シシよけ柵左手の奥にお墓

お稲荷さん
墓地裏手から登れそうな道もないので、一旦柵を出て、東側の柵を開けて森へ入る。結構広い山道が東南尾根に向かっているのでこれに違いないと思ったが、赤い鳥居のお稲荷さんで行き止まり。東へトラバースする踏跡があったが再び藪と化す。参ったね。再び柵を出て、ため池で焚き火中の男性に道を尋ねる。道なんかない、尾根と思われるところをどんどん登れば広照寺山には行けるという。昔は、シキミとりによく山に入ったという。

殿墓
思案の結果、南東尾根をあきらめて、もう一度お墓の裏手から取り付くことにする。もう1時間もロスして、正午のサイレンも聞いた。ヤブを覚悟する。お墓の裏手の尾根に取り付くと小さな祠がある。地形図では破線が西へ下っている。
「広照寺山」
ヤブコギスタート。とにかく、方向を見定め、上を目指せばいいから迷うことはなく、あとは体力勝負だ。密集したヤブではないが、倒木の連続、落石しそうな小石がゴロゴロしている。2人上下に並ぶのは危険なので、並列行進する。標高350mぐらいから傾斜が増し、立ち木を掴みながら、時には四つんばいになる。巨岩が立ちはだかり、右や左に迂回する。展望はない。ところどころで立ち木の間から、麓の民家が覗く。こんなところで足でもつったらどうしようもないな、など考えながらやっとの思いで広照寺山西端(440m)へ。白いテープを発見する。南東尾根から続いているのだろうか。

広照寺山から寺山を見る

広照寺山頂部
広照寺山の頂部は東西に長い。波豆から見上げると寺山と端正な双耳峰をなすが、宝塚側から眺めるとフラットな頂で、寺山だけが尖がって見える。10年前は一寸した広場の感じだったが、今は立ち木が密集して横枝がうるさく、昼飯のスペースも取れない。一番東端(445m)の少しだけ広い場所で昼の握り飯を食む。前方立ち木の間に寺山の鋭鋒を望む。風が冷たい。
「寺山」
鞍部に下りて、立ち木を掴みながら寺山(492m)へ激登する。僅かのスペースに4等三角点(点名鳥ノ上)が埋まり、2、3のプレートがかかる。展望は落葉前なので僅かだが、南に六甲山地が、西に大船山を望む。予定では、北の稜線を高畑峠を目指すはずだったが、すでに14:00で、この先難渋しそうなので、下山することにする。

4等三角点

寺山頂上
鞍部(435m)から谷筋を下る。テープや目印はなく、落葉で踏跡も定かでない。380m付近に石積みの炭焼窯跡が2箇所ある。このあたりで道を失い谷底に下りてしまったが右側の山腹に沿った踏跡を発見する。人工の石碑か自然石か、そのとなりに台場クヌギならずモミジの巨木がある。踏跡も定かでない岩ゴロの道から低木のヤブ道に変わり、シダやイバラが現れる。U字溝の道となり明らかに里に続く道と分かる。Y字分岐に下りてきた。もう一方の道はため池に続いていた。

炭焼き窯跡

石碑と台場モミジ

ヤブを掻き分ける
「殿垣内」
民家の裏手に出る。イノシシよけの高圧線がぐるりと取り巻き、出口がないか偵察する。薪割りをしていた民家の主人が我々に気づき、電気の通じていない線の間を潜り庭先に案内してくれた。奇しくも、10年前に道を尋ねたHさん宅であった。親しく話しかけられる。仲間とともに付近の山の整備をされており、この辺り知らない道はない。広照寺山へ直登する道はないこと、昼ヶ岳から烏帽子山、高畑山から寺山にかけては何回も歩いており、毎年元旦には大船山へご来光登山する。兵庫50山は踏破済みなど山談義に話が弾む。さらに庭先で鉢植え栽培しているご自慢のブルーベリーのお話を伺う。築130年という蔵のある茅葺の大きな家には2人だけという。10年前のご老人は自分の父親でもう他界されたようである。お別れに自家製のミカンを一枝いただく。ありがとうございました。

Hさん宅

波豆川公民館
波豆川公民館まで戻ってきた。振り返れば茅葺屋根の向こうに寺山と広照寺山の秀峰が西日に輝く。日本の原風景がそこにある。まもなく全山紅葉する。いつまでも残しておきたい風景である。高畑峠まで行けなかったが、里人の人情に触れたいい一日であった。
鈴成りの蜜柑の一枝賜りぬ     ハナミズキ
関連ページ 山装う寺山から高畑山(2009.11.25)
        寺山と広照寺山(1999.11.3)

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