千苅水源池西岸を歩く
UP 2020.6.2改定/2009.12.19やまぼうし
 ■日時:2009.12.12(土) 曇のち時々雨
 ■場所:千苅水源池西岸(道場〜波豆) 2.5万地形図 武田尾
 ■参加者:35名
 ■主催:エコグループ・武庫川
ルート
JR道場0940→千苅橋1020→水源池西岸→太陽と緑の道分岐1045→千苅ゴルフ池 昼食(1140〜1200)→水源池西岸→普明寺(1350〜1410)→波豆八幡(1430〜1500)…(田園バス1511)…JR宝塚1610
歩行約9Km   Route Mapはここ(更新)
千苅水源池は神戸市民の飲料水を確保するために大正8年に完成したダム。完成から約90年たった今でもその役割を果たし、神戸市へ水道用水を供給している。武庫川を歩くシリーズを続けているエコグループ・武庫川の千苅水源池西岸ハイクに同行する。

明治43年帝国陸地測量部2万分の1地形図

平成12年国土地理院2万5千分の1地形図
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千苅水源池
神戸市の水道として、布引貯水池、奥平野浄水場、烏原貯水池に続いて大正8年に完成した貯水池。武庫川最大の支流である羽束川を堰きとめて造られた。池の面積112万u(満水時)、貯水量1160万m3、堰堤高42m、同長さ106m、池の周囲23Kmに及び、神戸市水道の13%を担っている。堰堤は国指定文化財で大正中期時点で最も高い水道用粗石コンクリートダム(Aランク)である。武庫川の総合治水を検討している武庫川流域委員会では、水源池の治水活用を提言している。

歴史

千苅の「苅(かり)」は「束(そく)」のことで、刈り取った稲の束数を表している。水源池で水没したところには「千苅」のほかに、「八百苅」の地名が見える。明治初期に神戸にコレラが発生し、水道を作る計画が持ち上がり、布引、烏原に続いて明治39年(1906年)に水量豊富な羽束川の千苅が候補に挙がった。明治43年(1910年)初めて水没を知った波豆集落では大騒ぎになり、堰の高さを下げるよう要求するも聞き入れられず、翌年工事着工。明治45年(1912年)波豆集落は村集会で対抗委員会を結成、堰高の半減や親水地域の減少を西谷村を通して神戸市に陳情したが、僅かに堰高の低減が受入れられただけ。大正3年(1914年)に住民の意向を無視して工事が強行され、土地所有者に用地買収価格と移転料を通知。価格値上げも応諾されず、ついに同年8月買収移転が総会席上で決定し、波豆村田畑、山林原野が収用される。大正8年(1919年)千苅堰堤竣工。さらに、大正15年(1926年)の拡張工事で堰堤20尺嵩上げが決定し、波豆村民の陳情もむなしく、昭和6年(1931年)に工事完了。結果、家屋22戸と23町歩の土地が水没した。(宝塚市史から抜粋)
2007.12千苅水源池東岸歩きの資料に同じ

道場から千苅橋へ
 2007年12月に千苅水源池東岸を歩いたが、今日は西岸を歩く。道場駅に集まったハイカーは35名で東岸歩きに比べると半数である。ミーティングでは、ガイドをつとめるグループ代表のI氏から、前日の雨で道がぬかるんでいることと、落葉に隠れた岩に注意の忠告。3回も下見したそうである。

道場駅前広場からスタート

不動岩の麓を歩く(右手は武庫川)
武庫川に沿って、ロッククライミングのメッカ不動岩の下を通り、神戸市千苅浄水場に行き当たる。ここは千苅水源池を水源として、昭和42年に新しく創設された北神水道の浄水場で、神戸市北区の22万人に給水している。ここから支流の羽束川(地形図では波豆川)を遡る。羽束川(はつかがわ)は武庫川最大の支流で、大阪府能勢町天王の深山(標高791m)に端を発し、篠山市後川、三田市高平を経て宝塚市波豆で波豆川(はずがわ)と合流して千苅水源地に注ぐ。武庫川には神戸市道場で合流する。長さ32km、流域面積95千km2、高低差360mで武庫川本流よりも勾配が大きい。

旧千苅浄水場の庭(桜の季節には開放される)

千苅橋と千苅堰堤

千苅堰堤と放水路 高さ42m

大正8年(1919年) 竣工記念碑
千苅橋までの間の左から注ぐ小さな支流に「村雨の滝」があると地図にあるが、M氏が探索したがそれらしいものは見つからなったそうである。駐車場広場のある古い千苅浄水場の門前から、近畿自然歩道の道標に従って施設を回りこむように進むと、行く手に壮大な千苅堰堤(国指定文化財)が見えてくる。渇水期で放水の姿が見えないのが残念である。放水路の左階段をジグザグに上る。途中から見下ろす放水路の描くカーブが美しい。大正8年(1919年)竣工の記念碑のある堰堤横に立つ。
「近畿自然歩道」
 ここから千苅水源池の西岸を歩く。湖面までは切り立った崖で、フェンスを巡らしてあるが、切れ目もあり、よろけたり、足を滑らせると湖にドボンする。(2018.2現在落石通行止め→2020.3バイパス道ができた) しばらく湖岸沿いを歩き、やがて入江の渓谷を登り、湖から離れる。堰堤に行き当たる。ここが光明寺方面へ続く太陽とみどりの道との分岐で、波豆に向かう近畿自然歩道は堰堤の上を歩いて対岸にわたる。

千苅ダム堰堤

堰堤を上る(太陽と緑の道分岐)
立ち木に掴まりながら、本日最も急な登りをこなし、高台のザレ地に立つ。一服、僅かに展望が開け、六甲山が見える。隣は武庫の台ゴルフ場である。アップダウンを繰り返しながら雑木林の小道を進む。開けたところは千苅ゴルフ場横の池。少し早いがここで昼食とする。波豆までのほぼ中間点である。(2018.2池は立入禁止

雑木林のアップダウンを繰り返す

千苅ゴルフ場横の池で昼食
「西岸歩き」
 ゴルフ場から、荒れた渓谷を湖岸へ下る。前日の雨で道はぬかるみ、落葉に隠れた岩も滑りやすく、倒木も多い。再び湖岸歩きが始まる。入江に沿って道は曲折し、フェンスもないから転落注意。峠を越えた岩場から対岸の布見ヶ岳が展望する。小雨がぱらつきはじめ、それぞれカッパを着たり傘をさしたりの歩行になる。

千苅湖岸に下る

峠から千苅水源池を望む
竹やぶにさしかかる。左の谷沿いにヤブと化した旧三田街道の面影をみる。石の道標が立ち、左京あたごと読める。竹やぶを抜けると前方がぱっと開け、畑地に出る。ヤブに隠れるように、近畿自然歩道の看板がある。

入江を巡りながら波豆へ

竹やぶを歩く
普明寺
 白壁に囲まれた大きな民家の脇を通り、普明寺(ふみょうじ)の参道入口につく。やんでいた雨が再び降り出す。普明寺の本殿まで参道を上り、しばし雨宿りとトイレ休憩。普明寺は源満仲の第4子頼平が阿弥陀如来を祀り出家して満照と号したところ。寺宝として有馬馬の頭が龍馬神として祀られている雨乞いの寺。お寺には、千苅水源池建造の歴史に隠れて、昭和21年に起こった西谷女学生水難事故の墓碑があることがわかりました。記録にとどめておきたいと思い、宝塚てくてくの記事をここに掲載しました(こちら)

竹やぶに立つ三田街道の道標

普明寺参道

普明寺本殿

普明寺橋と羽束山
「波豆八幡神社」
 水源池に架かる普明寺橋を渡り、車道に出る。羽束山が小雨に煙る。近畿自然歩道の道標があり、道場駅まで8.3kmとある。波豆八幡神社の境内に入る。ここは多田院の荘園であった波豆の鎮守社で創建は1403年。文化財として、本殿(国指定)、石造鳥居(県指定)は藍本酒垂神社と同様式で水源池築造時に移築、宝筺印塔(県指定)、板碑(県指定)など14〜15世紀前半の石造文化財が多い。

波豆八幡から布見ヶ岳を見る

波豆八幡 宝筺印塔と板碑
波豆八幡で解散し、阪急田園バスで宝塚駅へ出る。西岸の道は思った以上に長く、荒れてはいたが、落葉を踏みしめ、倒木を乗り越え、岩壁を伝いながらの変化に富んだコースであった。今はすっかり自然の風景に溶け込んだ千苅水源池であるが、建造の歴史を偲ぶ山旅ともなった。(了)

湖岸に立つ石造鳥居

波豆八幡神社本殿
*本文の一部と地図はエコグループ・武庫川の資料を引用させていただきました。
関連ページ:大荒れの千苅水源池西岸を歩く 2018.2.3
  千苅水源池東岸を歩く 2007.12.8

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