UP 2010.4.6 やまぼうし

 西宮 名塩川を歩く

■日時:2010.3.13(土) 曇
■場所:西宮市
     地形図 1:25000宝塚
■参加:67名
■主催:エコグループ・武庫川
 名塩川は武庫川の支流のひとつ。源流を赤坂峠付近に持ち、左岸から読売ゴルフ場を源流とする細野谷川、猪切谷川、右岸から西宮高原ゴルフ場を源流とする尼子谷川が合流する。武庫川渓谷の最下端で本川に合流する。延長6.2km、流域面積15.6ヘクタール(武庫川流域の約3%)。流域は有馬層群の流紋岩質。武庫川エコハイクに同行して、河口から源流へ歩く。
ルート
JR生瀬駅9:35→生瀬宿9:45→木之元地蔵10:20→名塩川河口10:40→JR西宮名塩駅11:00→名塩川渓谷11:30→蘭学通り11:40→八幡神社(11:55昼12:40)→谷徳製紙(12:45〜13:20)→教行寺(13:30〜13:45)→名塩和紙学習館13:55→茶園町バス停14:50〜15:00→赤坂峠15:20→独鈷水15:25→赤坂峠バス停15:45・・・JR宝塚駅16:00

歩行約10km、Route Mapはここ


名塩の町を蛇行する名塩川(蘭学通りから)
「生瀬宿」
 JR生瀬駅に集合したのは老若男女67名。エコグループ・武庫川の主催する武庫川ハイクも36回を重ねる。今日は武庫川の支流名塩川を源流まで遡る。丹波杜氏が通った道「くらがり街道」が沿う。西宮道、丹波道ともいう約65km の道は、朝暗いうちに丹波を発ち、夜中に西宮に着いたから「くらがり街道」と呼ばれたという。
生瀬駅から宝塚寄りにくらがり街道を戻る。生瀬は旧宿場町。有馬温泉への入口であり、阪鶴鉄道の時代は有馬口駅といった。街道沿いには妻入り住宅が並んでいたが阪神大震災の被害で今は2軒を残すのみ。明治44年、武庫川の鮎を使って駅弁鮎寿司を売り出した淡路屋の旧家も廃屋と化して哀れである。再び生瀬駅前を通り、トラックの行き交うR176号沿いに木之元地蔵へ向かう。悲しい伝説の琴鳴山も砕石で無残な姿を晒している。
木之元(このもと)地蔵は、聖徳太子が一木から3体の地蔵尊を作られたという日本三体地蔵 (近江国木の本、紀伊の木の本)の一つ。火事から赤ん坊を守ったという伝説から、「火伏地蔵」と呼び親しまれている。境内の13重塔は赤松満政一族憤死の場所。琴鳴山木元寺、西山浄土宗。

正面に琴鳴山、右手は生瀬駅

妻入り住宅が残る生瀬宿(2014年撤去)

淡路屋の旧家屋(2012年撤去)

車往来激しいR176沿いを歩く

木之元(このもと)地蔵境内

木之元地蔵本堂
「河口〜名塩ニュータウン」
 R176を横断して、武庫川渓谷廃線跡へ下りる。すこし遡ったところが名塩川との合流点である。写真でも分かるように水の色が白濁している。どこから流れ出るのか追跡してみよう。流れを遡り名塩の駅へ向かう。沿道の茅葺屋根の民家が往時のくらがり街道を偲ばせる。

武庫川渓谷廃線跡(名塩川鉄橋)

武庫川に合流する名塩川

くらがり街道の古民家(芝辻邸)

街道のクスノキ

名塩ニュータウンの斜行エレベーター
「名塩川渓谷」
 名塩川は3面張りとなる。西宮名塩川駅から斜行エレベーター脇の階段を上り、ニュータウンの中央公園で一服する。急斜面にマンション群が立ち並ぶ。谷に下ると、町中とは思えない自然林の道となる。堰堤の下から、再び山道へ入ると名塩川も渓谷の様相を示す。水音が一段と高くなったと思ったら滝がある。名塩下滝というようである。渓谷に架かる橋を渡るとR176に合流して旧名塩の町へ入る。目の前が蘭学通りである。

名塩川渓谷

名塩下滝
「名塩の町」
 蘭学通りを歩く。名塩は蘭学者緒方洪庵夫人八重の生誕地であり、塾頭伊藤慎藏が文久2 年(1862)にこの地に名塩蘭学塾を開設した。現在はJA 名塩支店となっておりその面影はないが、八重夫人の胸像がある。また名塩は和紙で栄えたところで、江戸中期から明治にかけて名塩千軒といわれるほど、ほとんどの村人が和紙に関わったといわれる。現在は人間国宝谷野武信氏がその伝統を守っておられる。雁皮を原料とし、特殊な土を配合して変色しにくく、虫がつかない特徴があり、襖絵、書画用壁紙神社のお札に使われる。

「蘭学の泉ここに湧き出ず」緒方洪庵夫人八重の胸像

名塩和紙 谷徳製紙所

人間国宝 谷野武信氏の紙すき実演
 八幡神社で昼食後、谷徳製紙に立ち寄り、武信氏の紙すきの実演を見学する。小さな座敷の展示室では息子さんが案内に立ち、茶菓まで用意して歓迎いただいた。次いで名塩の町を見下ろす教行寺(きょうぎょうじ)へ。室町時代文明7(1475)年蓮如上人が、この地を訪れ、草庵を設けられたのが創建。当時の名塩の集落は24軒だったという。その後信仰を集め、現在地に移築、名塩御坊と呼ばれ、名塩は寺内町の様相を呈した。境内に「お箸杉」があり、蓮如上人が土にさした箸が生長したという伝承がある。浄土真宗本願寺派。

名塩の町を流れる名塩川(八幡神社より)

名塩八幡神社

教行寺鼓楼

教行寺境内

本堂
「名塩川源流へ」
 教行寺から名塩和紙学習館を見学して、名塩に和紙をもたらした東山弥右衛門の顕彰碑のある墓地に立ち寄る。弥右衛門が越前に行き、製紙家の婿養子になり、製紙の技術を習得し、妻子を残し、名塩に帰り製紙の技術を広めたという。これにより名塩の和紙作りは大いに繁栄した。
妻子が弥右衛門を追って名塩に来たが、村人が弥右衛門を引き止め、家族の再会を認めなかったため、妻は名塩川に身を投げたという悲話があり、これを作家水上勉が小説「名塩川」として発表した。

名塩和紙学習館

東山弥右衛門の顕彰碑のある墓地

東久保 赤坂峠
 茶園(ちゃえん)町バス停で一応解散として、健脚者はさらに源流の赤坂峠独鈷水(どっこすい)をめざす。R176の側道から東久保(とうくぼ)集落を歩いて赤坂峠バス停へ。そこから独鈷水はすぐ近く。秘境を期待したが、道路下の民家横の湧き水であった。しかしここでも水は白っぽく濁っており、有馬高塚清水(有馬温泉上流)、筒井の清水(神戸市北区長尾町上津)と並ぶ有馬三名水の一つといわれているが、どうも飲む気にはなれない。塩に関係するのだろうか。宿題が残る。本日はウォーキングというより、歴史探訪のハイキングとなった。こういったハイキングも面白い。

名塩川源頭 独鈷水
本ページは一部武庫川エコハイクの資料を参照させていただきました。
2010.4.6 やまぼうし

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