琵琶湖疏水を歩く
三井寺〜蹴上
2010.4.12 やまぼうし
・日時:2010.4.9(金) 晴れ
・集合:京阪三井寺 10:15
・行先:琵琶湖第1疏水 (京阪三井寺〜京都蹴上)
・同行:41名
◇ルート◇
琵琶湖取水口10:15〜第1トンネル10:45〜三井寺10:50〜小関越え11:20〜藤尾橋12:00〜昼食(12:10〜12:45)〜諸羽トンネル12:50
〜山科疏水公園〜第2トンネル13:40〜第3トンネル14:00〜蹴上分水点14:40〜インクライン15:00・・・(疏水記念館)
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琵琶湖畔の三井寺から京都鴨川まで約11km、琵琶湖疏水が続く。1890年(明治23年)に完成、京都に命の水を与えてくれた琵琶湖疏水は、日本人のみによって行われた最初の近代的な大土木事業であり、明治期における日本の土木技術水準の到達点を示す近代遺産です。先人の偉業をしのびつつ、満開の桜が続く疏水べりを歩きました。

琵琶湖疏水 山科藤尾橋からの景観
 京都にとって琵琶湖の水を引くことは永年の夢でした。明治維新のころ第3代京都府知事 北垣国道氏主導のもと土木技師の田邊朔郎氏に頼み明治18年から5年の歳月を要して明治23年に完成させた水路です。当時は舟運も盛んであり、翌年の明治24年には蹴上発電所が完成した。水力発電を採用したおかげで新しい工場が生まれ、路面電車も走り出し、京都は活力を取り戻しました。それから20年後、更に豊かな水を求めて第2疏水を建設し、同時に水道と市営電車を開業したことで今日の京都のまちづくりの基礎ができあがったのです。京都市民の生活のベースとなり文字通り京都市民の命の水となって今なお脈々として引き継がれています。(京都市水道局のページから)

琵琶湖取水口〜小関(こぜき)越え

 琵琶湖疎水の建設工事は最も難関が予想された小関越えの第1トンネル2,436mから取りかかることになり、施工方法についてもトンネルの両側からの掘削の他、日本で最初の試みとしてトンネルの途中に竪坑(深さ47m)を掘削する方式も採用しています。れんが、材木も直営で生産し、ほとんど人力だけで工事をしました。

スタートポイント 取水口の碑文「我は湖の子」前で

琵琶湖からの取水口

第1疏水の閘門

疏水第1トンネル

第1トンネル東口洞門の扁額 伊藤博文「気象万千」

三井寺

小関越え(標高200m)

小関越え〜山科〜蹴上

 疏水のトンネルは、歴史的環境に配慮した煉瓦造りで、そのトンネルの洞門には、工事が国家レベルの大事業であったことを示すように、明治の元勲が筆をふるった扁額があります。
第1トンネル東口 伊藤博文「気象万千」、西口 山県有朋「廓其有容」、第2トンネル西口 西郷従道「随山到水源」、東口 井上 馨「仁以山悦智為水歓」、第3トンネル入口 松方正義「過雨看松色」、西口 三条実美「美哉山河」等。

小関越え途中の竪坑跡(深さ47m)

第1トンネル西口洞門 山県有朋「廓其有容」

疏水べりに満開の桜が続く(藤尾橋)

四ノ宮付近

花吹雪の中で弁当を広げる

諸羽トンネルの四ノ宮船だまり

第2トンネル東口 西郷従道「随山到水源」

第2トンネル西口 井上 馨「仁以山悦智為水歓」

第3トンネル東口 松方正義「過雨看松色」
蹴上・インクライン
 インクライン(傾斜鉄道)は日本で初めての試みで、これによって船を標高差36mの南禅寺の平地へ下ろすことが可能となり、舟溜から鴨川までは鴨東運河で結んでいます。1891(明治24)年には米国コロラド州アスペンの水力発電所を参考にした日本最初の水力発電所が蹴上に完成し、同年11月に送電を開始しています。インクラインの運転動力もこの電力を利用しています。水力発電は新しい産業の振興に絶大な能力を発揮し、京都市発展の一大原動力となりました。インクラインは京津電気軌道(現京阪京津線)の開通の影響で昭和26年に長い歴史の幕を閉じたが、赤瓦の発電所は現役を保っている。

第3トンネル西口 三条実美「美哉山河」と第1疏水と第2疏水の合流点(蹴上) 

疏水分水 南禅寺〜銀閣寺方面へ

インクラインの台車

蹴上 水力発電所導水管

土木技師 田邊朔郎像、20代での偉業

インクライン
この疏水の水は、現在においても水道用水の他、発電、防火、工業など多目的に利用されており、京都市民の生活を支える重要な役割を担っています。
やまぼうし

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