UP 2017.4.10改定/ 2010.6.14 やまぼうし
東六甲 譲葉山4峰
 ■日時:2010.6.1(火) 晴
 ■山名:譲葉山4峰
 ■場所:宝塚市 2.5万地形図 宝塚
 ■同行:
単独

譲葉山周辺地図(2013.1.20改定)

 我が家の裏山は東六甲の譲葉山系だが譲葉山とはどの峰を指すのだろうか。国土地理院の表記は現在は514Pにあるが、過去には526Pにあった。明治末期の陸軍測量地形図では北峰524Pを指している。また甲冑埋蔵伝説のある謎の山でもある。六甲縦走路を歩き探索してみた結果、4峰を確認した(Route Map参照)。以下、勝手に譲葉山東、中、西、北峰と呼ぶことにする。

六甲縦走路ゆずり葉台分岐(道標NO34)
「譲葉山東峰」514P
 まずは行者山北麓(370m)から縦走路(480m)へ登る。途中に岩倉山反射板と鉄塔#26への分岐がある。縦走路のゆずり葉台分岐道標NO34に出る。縦走路を西進するとすぐに左手にテープがありこれを辿ると譲葉山514Pに到着する。国土地理院ではこのピークを譲葉山514mと表記している。宝塚市測量図1/2500(平成10年作成)では標高512.9mとなっている。訪れるハイカーが多いのか、プレートがいくつかぶら下がっているが、526P(中峰)にあった標柱が松の木に縛り付けられていた。立ち木の中で展望は全くない。

譲葉山東峰(2010.6.1)  国土地理院表記
「譲葉山北峰」524P
 反対側(西)に下りるが踏跡は薄い。笹薮から縦走路に出る。こちらの取り付きには古い紐がぶら下がっている。縦走路を横切って西北西のヤブに入り込む。新しいテープを辿っていくと、こんもりしたところに磐座がある。天下泰平 文化14年丁丑(1817年)奉納と読める碑がある。こちらが譲葉山の元祖ではないだろうか。測量図では524.3mで、小山に立つと木立の間から、南に甲山や阪神平野、大阪湾を望むことができる。踏跡を北進すると赤子谷への分岐を分けて再び小山の上に出る。標高526.1mで、ここにも磐座がある。周りは立ち木で展望はないが、かつては北側の展望が開けたのかも知れない。名づけて譲葉山北峰とする。北進すれば赤子谷中央尾根に至る。郷土史研究家によればこの磐座は古墳ではないかといわれている。地形図をよく見ると前方後円墳の形をしており、六甲山の名の由来のひとつである甲冑埋蔵伝説(脚注)がある。

*明治末期の陸軍測量地形図1/20000は北峰を譲葉峰と記している。


譲葉山北峰磐座1(524m)

譲葉山北峰磐座2(526m)
「譲葉山中峰」528P
 縦走路に戻り、西進する。赤子谷右俣の道標を過ぎて、右に大きく回りこんだところから左手の山に取り付く。(*赤子谷道標の先に直登する踏跡あり(2013.1.8)。気をつけれて見ればテープがある。山を右に巻くように踏跡が続き、その途中から直登する。薄暗い林で、頂部がフラットなのでどこがピークかうろうろするが、プレートがぶら下がっている。ここには1991年製兵庫労山の標柱があったが前述のように「譲葉山 東峰」に持っていかれてしまって、土台の小石だけが残っている。526mといわれるが、測量図では528.1mである。立ち木の薄いところを狙ってエデンの園へ下る道の途中に出て、縦走路へ登り返す。

譲葉山中峰528m(2010.6.1)

同左(2001.4.1)
「譲葉山西峰」555P
 西進を続けて岩原山分岐に至る。道標NO33が立ち、ここは6叉路となっていて、岩原山、岩原山迂回路、赤子谷、譲葉西峰に至る道が縦走路と交わる。東に戻るように踏跡を登る。かなり明瞭な道が続く。やがて出たピークは立ち木が切り払われて明るいが、展望はない。譲葉山系の中で岩原山を除いて最高峰で標高は555.2m(測量図)である。譲葉山西峰と呼ぶことにする。この先東に踏跡を辿ればエデンの園へ下る縦走路分岐へいけるが、本日はやめてもとの6叉路へ戻る。

岩原山分岐(道標NO33)

譲葉山西峰555m(最高峰)
 岩原山より西、大谷乗越までにまだ2つのピークはあるが、一応ここまでとして、合計4つの譲葉山ピークを確認した。今は国土地理院の表記がある514P(東峰)を譲葉山としているが、昔は磐座のある北峰が譲葉山として信仰されていたのではないかと思われる。

ゆずり葉台 岩倉橋からのビュー
譲葉山伝説
六甲山の名の由来は諸説ありますが、甲冑埋蔵伝説の譲葉山もその一つです。『三韓征伐の帰り神功皇后(じんぐうこうごう)を迎え討つため兵を挙げて待ち構えていた香坂王(かごさかのみこ)と押熊王(おしくまのみこ)。香坂王は戦勝を占うための「誓約」(うけい)の結果宝塚の亥の谷で赤い猪に襲われ殺されてしまい、一方の押熊王は戦いに敗れて殺害されてしまう(中山寺埋葬)。香坂王の亡骸は殉死した5人の家臣らと甲冑とともに宝塚の譲墓岳(ユツリハカ岳)=譲葉山北峰に葬られます。譲墓岳は香坂王ら6人の甲冑が埋められたので六甲山(ムコ山)=武庫山と呼ばれ六甲山の名の由来となる。六甲山の旧名称には「弓弦羽嶽、譲葉山、譲墓岳」があり、天保12年(1841年)の古地図に譲墓岳の名がある。
 麓から見ると、譲葉山北峰(譲墓岳)は譲葉山系の稜線上に突起しており、人工的に手が加えられたような峰で、地形図をよく見ると前方後円墳の形をしている。枕の草子にある「ユズルハノ峰」は六甲山を指していると思われる一文があって、譲墓岳は過去において六甲山の主体とみられるほどの存在だったのではないか・・・』 (宝塚物語 いにしえの女神たちの物語 石原良二著 宝塚市立図書館所蔵より抜粋)

譲葉山北峰(JR中山寺マーケットスクエア中山寺屋上から)2017.4.22

その2

冬枯れの譲葉山(再訪) 2013.1.8(火)/2013.1.20(日)/2015.2.4(水)

譲葉山周辺地図(2013.1.20改定)

 譲葉山へ千石ズリからのルートがあったので探索してみました。行者山とエデンの園(ゆずり葉台口)を結ぶ道の途中に、中峰と東峰の谷を登るルートがある。取付き進入路に行止まりの赤い看板が立つが、テープがずっと続いていて東六甲縦走路へ出ることができる。古い地図では焼石原とか千石ズリの地名表記があり、かつては土砂で埋め尽くされていた谷と思われる。取付きのすぐ近くに兵庫県の3級基準点がある。この界隈にはH22年ごろ相次いで基準点が設置され、これからたどる道筋にもいくつかある。地すべり警戒地域なのだろう。
 
譲葉山中峰と東峰(右) 行者山から
 
千石ズリ取付き進入路
「中峰」
 シダと小松の踏跡道を緩やかに登っていくとすぐに堰堤に出る。ここから谷を直進して東六甲縦走路へ至る道と、堰堤を横断して譲葉山中峰へ至る道がある。手製の木札に上級者向きと書かれている通り、藪の中の踏跡道である。しかし残置テープが続いて、これを拾っていけば迷うことはない。枝道に迷い込まないことである。
 
明るいシダの道
 
堰堤分岐
(1)縦走路へ
 谷を直進してみる。次々と現れる古い堰堤を左に見て登るうちに堰堤は尽きる。ここから急斜面を立ち木を掴みながらジグザグと登ると、東峰と中峰の間でちょうど北峰の南側の縦走路に出る。縦走路を歩いていても何の変哲もない場所だからほとんど気づかない。東峰は右(東)、中峰は左(西)へ行く。

千石ズリ最後の堰堤 
 
縦走路へはテープたより
 
縦走路へ出る
(2)中峰へ
 堰堤を横断して中峰の東南尾根に取りつく。取付いたところに左へ(西へ)の分岐があり山を巻いてエデンの園の方に向かっているが、木の枝で通せんぼしてある。少し探索してみたが、すぐにテープはなくなり、かすかに踏跡があるが今回はパスする。宿題の道だ。尾根の直登が始まる。すぐに基準点がある。落ち葉で滑る道は立ち木を掴みながら登る。下りは難渋するだろう。右手に東峰が、振り返れば樹間に阪神平野や甲山を望むことができる。落葉した今の時期は思わぬ展望があるものだ。傾斜が緩みはじめるところで、再び左へ(西へ)の分岐があり、水平道が伸びている。エデンの園へのメモ書きがあり、またまた宿題の道である。1月20日に探索した結果、ナダウラ堰堤から縦走路へ登る道(慈癒の小径)の途中に合流した。途中に基準点があり、しっかりした道である。

堰堤を横断する

堰堤を左から乗り越えて

尾根上の基準点
 中峰の南に出てきた。ほとんどフラットな中峰だが等高線が2m間隔の宝塚市測量図によれば、南に標高526.8mのふくらみがある。北上すると分岐(切株あり)で、そのまま直進すると縦走路の赤子谷の標柱のある場所に下る。左折すると中峰ピーク528.1mである。かつて、兵庫労山の山名標柱があったが、今は何の表示もないからうっかりすると通り過ぎてしまう。そのまま進むと縦走路のエデンの園へ下る分岐に下りてくる。暗い林の中は迷い易い。テープもあるが、地面に木の枝を並べて道を作ってくれてある。大変な作業だったと思う。ありがとう。

譲葉山中峰ピーク528.1m

譲葉山中峰の南ピーク526.1m(木の枝の道)

樹間の展望 阪神平野と宝塚ゴルフ場

縦走路からの取付き 右エデンの園へ
「西峰」
 さて中峰を経て縦走路へ出てきたので、西峰へ行ってみる。すぐに西峰への取付きがある。縦走路と平行に緩やかな尾根をたどっていくと、譲葉山の中で最も高い西峰555.2mである。頂上らしくないし、立ち木の中で何も見えない。GPSの測定で、前回ピークと思った伐採地点は最高点ではなく、もう少し東寄りの林の中であった。1月20日の探訪では4峰の中で、唯一雪が残っていた。さらに西進すると明快な道になり、やがて道標NO33の6叉路へ下りてくる。その手前の水平道は西峰の南を巻いて、エデンの園へ下る道の途中に出る。分岐に手製の「慈癒の小径」の看板があった。

西峰への道
 
西峰ピーク555m

慈癒の小径
「北峰」
 縦走路を東に戻る。中峰を通り過ぎて、赤子谷分岐道標から北東側の尾根を少し登ったところが北峰の一つのピーク(524.3m)。磐座は健在であった。立ち木の間からかすかに甲山が見える。北峰のもう一つのピーク(526.1m)にも立ち寄る。立ち木の間から名塩方面の景色が覗く。縦走路へ戻る。

北峰の磐座1(524m)

北峰の磐座2(526m) 
「東峰」
 国土地理院の514m表記のある譲葉山は東峰である。南北に長い頂上で、最高点の514m(測量図512.9m)は立ち木の中で、手製のプレートがある。南側の林が伐採され、兵庫県3級基準点が設置されていた(H22.3.1)。おかげで少し南の展望がある。
 
縦走路から東峰への取付き 右へ

東峰ピーク514m

東峰の基準点
 縦走路へ戻らず、東に続く尾根をたどる。明解な道はやがて藪となるが、わずかの藪漕ぎで、関電鉄塔#26の近くに下りる。鉄塔周辺は広く立ち木が伐採されて、展望が開ける。本日一番の展望は、南に行者山、甲山、阪神平野、大阪湾を、東に岩倉山反射板、西にごろごろ岳、社家郷山系を望む。巡視路をたどり、縦走路NO34とエデンの園を結ぶ途中に出る。エデンの園へ向かって下ると往路の千石ズリに戻ってきた。

#26鉄塔から阪神平野と大阪湾と甲山

東峰から鉄塔近くに下りる

行者山俯瞰
 
岩倉山反射板を望む
冬枯れの譲葉山は、木々の間から思わぬ展望が開ける。冬こそベストシーズンだ。2年前に比べるとテープが増えて迷い込むことは少なくなったが、まだ宿題の残る道がある。もう少し探索を続けよう。
2015.2.4譲葉山4峰を巡回
(行者山→縦走路NO.34→東峰→北峰1→北峰2→中峰→西峰→縦走路NO.33→細谷→ナダウラ堰堤→エデンの園)。手製のプレート類は撤去され、どこがピークなのかわからなくなっていた。国土地理院の地形図(新版)はこれら4峰を合わせて譲葉山と表記するように変更された(2017.6.4)

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