但馬 雪の竹田城跡
UP2023.11.18/2011.3.18
■日時:2011.3.18(金) 8:00〜18:00 天気 晴
■集合:大阪駅第4ビル前 8:00 日交トラベルバス
■行先:朝来市 竹田城跡/(奥多々良木発電所)
■参加者:環境科38名
この記録はシニア自然大学校環境科の研修ツアーの一部です。
竹田城跡(10:45〜13:00)
 竹田城跡は、天守台を中央に南千畳・北千畳・花屋敷が放射線状に配され、城の築かれている山全体が、虎が臥せているように見えることから「虎臥城(とらふすじょう」とも呼ばれています。竹田城跡は、嘉吉年間(1441〜43年)に但馬の守護大名・山名宗全が基礎を築いたとされ、太田垣氏が5代にわたって城主となりましたが、織田信長の命による秀吉の但馬征伐で天正8年(1580年)に落城。最後の城主・赤松広秀が豪壮な石積みの城郭を整備したと言われます。
 縄張り(平面構成)の規模は南北400メートル、東西100メートルに及び、完存する石垣遺構としては全国屈指のもので、平成18年には日本城郭協会により「日本100名城」に選定されました。自然石を巧みに配置した近江穴太衆による石垣は、安土城や姫路城と同じ「穴太(あのう)積み」という技法が用いられ、400年を経た今でも当時の威容を誇っています。雲海に包まれた竹田城跡は、まさに天空に浮かぶ城を思わせ、この幻想的な風景を一目見ようとたくさんの人々が訪れます。(以上和田山町観光協会パンフレットから引用)
本日は前夜の雪があがり快晴。思いがけない雪の竹田城跡登山となりました。積雪は約20cmで春先には珍しい大雪とのことです。
 健脚組31名は、ボランティアガイド津本さんの案内(朝来市商工観光課上山さん同行)で、JR竹田駅から駅裏登山道約45分を登り、虎伏山頂(標高 354 m)の竹田城跡へ。頂上で竹田城の歴史について説明を聞き、城跡の雪景色、穴太積の石垣、眼下に広がる大パノラマを楽しんだ後、南登山道から下山しました。散策組7名は駅周辺、寺町通りを散策して竹田の町並みを見学する。

Route Map 周辺地図はここ


天守から南千畳を俯瞰

ガイド津本さん 竹田駅前で

駅裏登山口

登山道 標高差250m

穴太積の石垣 大手門で

北千畳で竹田城の歴史を聴く

北千畳から天守と南千畳を望む

天守の三角点

南千畳と天守

粟鹿山(奥)と朝来山

竹田の町・城下町散策

 竹田の町、城下町の寺町の4ケ寺を、まず城山の登り口すぐ横の法樹寺へ。寺町は元武家屋敷のあった所で、住職の話では法樹寺は城主、赤松家の屋敷跡で、当時この屋敷からは、向いの朝来山の千本の桜がみごとで、夜空には満天の星が輝いて見えたとのことです。そして、この寺は平成16年の水害で円山川の氾濫と裏山の土砂崩れで本堂、墓地を失い、鐘楼は鐘がつりさげられたまま山側に押し流されたとのことです。
本堂の前に災害の供養の碑が建てられています。ここには芭蕉の弟子であった住職(魚潜)の句

                           月に動き月に静まる心かな    魚潜

と心に残る句が月塚の前に刻まれていました。常光寺には、初代竹田城主の太田垣光景の墓所があり、本堂裏手の高台まであがり墓所を拝見させて頂きました。

竹田城跡から竹田の町並みを望む

寺町通り

法樹寺

初代竹田城主の太田垣光景の墓

注:観光客の急増で、登山道の通行規制や観覧料(¥300)の徴収が始まっていますので現地にお問い合わせください(2013.10.18)

関連ページ:2010.11.24 朝来山と竹田城跡

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