up 2011.12.8やまぼうし
六甲 蓬莱峡・座頭谷から船坂
◇日時:2011.11.21/11.28
◇行先:知るべ岩〜座頭谷〜船坂
     2.5万地形図 宝塚
◇同行:単独/MNC24名
行程:
宝塚駅0910・・・知るべ岩バス停0921→蓬莱峡堰堤0930→砂防事業案内板1000→(座頭谷)→4段堰堤1030→座頭谷源頭(1120〜1200)→六甲ハニー1230→船坂集落(1315〜1400)→船坂バス停1453・・・宝塚駅1513
地図はこちら

座頭谷と船坂集落(ナガモッコク尾根から)
 蓬莱峡は、六甲山の裏側を有馬高槻−構造線に沿って西から東へ流れる大多田川(おたたがわ)の上流部にあり、風化した花崗岩が鋸歯状の鋭い岩峰の稜線を見せる峡谷です。断層破砕帯にあたり、地質学では「バッドランド(悪地)」と呼ばれています。六甲山ではもろい花崗岩のため土石流災害が頻発し、現在500以上の砂防ダムがありますが、ここは兵庫県砂防事業発祥の地です。今回は荒涼たる蓬莱峡の自然と環境を考えながら座頭谷を遡り、段丘上に発達した船坂の集落を探訪する。

―蓬莱峡座頭谷―

「知るべ岩」
 宝塚駅から阪急バスで11分、知るべ岩バス停で降りる。すこし先のガードレールのすき間を河原に降りると知るべ岩の石碑がある。「右ありま道」は秀吉の筆になるものといわれ一見の価値ある道標だが、道路からは案内表示もわかりにくく、急斜面をロープの助けを借りて下りなければならないので訪れる人も少ない。今回はパスする。
 太多田川(おたたがわ)はここで座頭谷川を分ける。県道の土手に眼をやってみると、落石よけフェンスの内側に明確な花崗岩断層の露頭を見ることができる。地質に関心のある人は必見である。

蓬莱峡堰堤(万里の長城ともいう)

知るべ岩
「座頭谷」
 座頭谷は有馬に湯治に向った京都の座頭が谷に迷い込み、行き倒れになったことに由来する。芸術的な曲線を描く蓬莱峡堰堤、通称曲がり橋(万里の長城)とも呼ばれる)を渡る。座頭谷川上流に続く自然石の堰堤は周囲の景観とマッチして美しい。下流の立派な架橋は尼崎信用金庫蓬莱峡山荘へ行くためのもの。このあたり、昭和15(1940)年〜25(1950)年、蓬莱峡温泉(冷泉・炭酸泉)があったとのことでその名残だろうか。
 座頭谷川の右岸を遡ってすぐの堰堤脇に、兵庫県砂防事業発祥の地の案内板が立つ。いわく、太多田川上流では武庫川への土砂流出による氾濫防止のため、明治28年から砂防工事が行われてきており、自然石を積み上げた堰堤など砂防史上有数の構造物が今なお健在である。

鎧積み堰堤が続く座頭谷川

兵庫県砂防事業発祥の地
 大谷川の流れを渡って進むと、4段の堰堤が見えてきた。3段目までは自然石や鎧積み堰堤である。鎧積み堰堤は昭和初期の技術であり、鎧のようなふくらみを作り落水が直接目地に当たらない工夫がなされている。最上段は阪神大震災後に建設されたコンクリート製であった。
 堰堤脇の急階段を登って最上段に立つと、その内側は土石流で崩れ落ちた大小の石がゴロゴロ転がる広大な河原である。上流にはまだまだ沢山の堰堤があるが、座頭谷の土砂を受け止める最後の砦のようである。道はなくなり、土砂と岩石の転がる河原を足場のいいところを拾いながら遡る。流れは僅かである。行く手に座頭谷を囲むむき出しの切り立った岩壁が迫ってくる。

4段堰堤
 
堰堤を乗り越えて

花崗岩の土砂と石で埋まる4段堰堤の内側

座頭谷上流の岩塔群を望む
「岩搭群」
 いくつもの堰堤が立ちはだかる道なき河原をどう進めばいいのか。初めての人は戸惑うが、左岸右岸を良く見ればテープや紐で誘導してくれている。まずは右(左岸)から、ついで左(右岸)から乗り越えて行くと源頭部に達する(ルート図参照)。足をひねらないようにしっかり岩をとらえて歩くことが肝要である。奥に進むにつれて、落石で埋まった谷を囲むように、切り立った断崖、鋸歯状の鋭い岩峰、大剣・小剣が屹立する荒涼とした風景が展開する。100万年前の六甲変動による断層破砕と風化した花崗岩がつくる地形である。岩搭群はトアと呼ばれいるそうで、花崗岩の方丈節理の密な部分は風化が進んでまさ化し、疎な部分は風化しにくく岩として残るためにこのような奇形になるということです。落石を避けるよう河原の真ん中に陣取り、昼飯を食べながら岩石ウォッチングを楽しむ。

岩塔群に囲まれて昼食

屹立する大剣小剣

松の木岩

人面岩 
 
ローソク岩
 
滝もある

座頭谷川源頭の風景
―船坂集落―
 座頭谷を脱出する。源頭の植生の集中するところに棚越という手製表示やテープが集中しているので取付きとわかる。自然林の中の道が谷川沿いに続くが、やがてジグザグに登りだす。一箇所危険な斜面があるが、補助ロープがついている。標高差約120mを20分で登りきり段丘の上に飛び出す。県道82号線(棚越新道)が目の前を走っている。六甲ハニー農場に寄り道する。県道に面した入口は閉鎖されているが、敷地内には車が止まっている。御用の方は鐘を鳴らすように張り紙してあったが人の気配はない。ちょっと休憩させてもらい、県道を船坂集落に向けて下る。天気が良く、棚田の続く台地の上から遠く、北摂の剣尾山や深山を望むことができた。
 船坂は太多田川の扇状地の上に発達した人口500人余の集落で、標高約400mの高地にある。寒冷な気候を利用して寒天作りが盛んであったが今は一軒もない。善照寺の天水桶はどうも寒天づくりの大釜のようであった。
 一昨年廃校となった西宮市で最も歴史のある船坂小学校を訪ねる。校庭には昔懐かしい二ノ宮金次郎像と記念碑が並ぶ。明治5年学制が布かれた翌年(1873年)に善照寺の本堂を仮校舎として開校し、平成22年(2010年)3月、138年の歴史の幕を閉じる。時計は今も時を刻んでいた。旧湯山街道沿いに茅葺屋根の民家がまだ4軒残る。一軒の屋根には大きなカラーマットがのっている。アートなのだろうか?船坂ビエンナーレ(里山の生活をバックにした現代美術展覧会ー隔年実施)というイベントで村おこしが始まっている。

里の秋 船坂の風景
 

旧船坂小学校

茅葺屋根の家
船坂は西宮北有料道路の開通により便利になった。西宮市内と結ぶさくらやまなみバスも開通した。有馬街道との交差点には大きなコンビニができ、いつも車でいっぱいだ。昔懐かしい山里も大きく変貌しつつある。

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