UP 2012.5.5やまぼうし
丹波 石龕寺から石戸山
■日時:2012.5.3(木) 天気 曇・時雨
■行先:丹波市 山南町
     石戸山(548.8m) 岩屋山(506m) 頭光嶽(439m)
     1/25000地形図 柏原
■同行:ハナミズキ
紅葉の名勝として名高い石龕(せきがん)寺からふるさと兵庫50山で一等三角点の石戸山へ登る。新緑のモミジの参道、足利尊氏ゆかりの歴史を秘めた社殿とは対照的に、無残にえぐられた岩屋山の鉱山跡が痛々しかった。
コースタイム:
・往路:宝塚1020・・・(若狭舞鶴道)・・・丹南篠山口IC1130・・・山南町井原・・・石龕寺P1210
・帰路:石龕寺P1610・・・(篠山市火打岩)・・・丹南篠山口IC1750・・・宝塚1900

石龕寺山門1225〜奥の院1305(昼)〜頭光嶽1340〜金屋鉱山跡1400〜岩屋山1420〜石戸山1435〜岩屋山1510〜#56鉄塔1530〜石龕寺1550
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一等三角点の石戸山は1997年高見城山へ登って以来の取り残された山。5月連休の朝突然思い立って石龕寺へ車を飛ばす。願わくば高見城山まで往復と思ったが、いかんせん出立が遅すぎた。そのうえ急峻な山容に足をとられ、石龕寺から石戸山周回で時間切れとなった。
「石龕寺」
石龕寺は1998年に紅葉の丹波3山(高原寺、円通寺、石龕寺)めぐりに立ち寄った記憶があるが、R175からの道路も整備され、駐車場も新設されていた。連休の真っ只中であったが駐車場は空っぽ、売店も閉鎖のままで、お墓参りの家族を1組見かけただけであった。紅葉で有名なお寺ではあるが、新緑のモミジも素晴らしいものがある。

石龕寺仁王門
『岩屋山石龕寺は毘沙門天王を本尊とする高野山真言宗の名刹で、587年聖徳太子の開祖と伝えられている。鎌倉・室町時代に隆盛を誇り、南北朝時代には足利尊氏が帰依し2代将軍義詮が逗留したと太平記にある。その後織田信長の焼き討ちで仁王門を残してすべて焼失、江戸時代以降に徐々に復興し、奥の院、毘沙門堂(本堂)、持仏堂、庫裡、客殿などが整備されている』

毘沙門堂(本堂)とコウヨウザン

奥の院登り口 右へ

スギ・ヒノキのつづら折れを登る
「奥の院」
 重要文化財金剛力士像の山門をくぐると苔むした参道の石垣やモミジの緑が鮮やかである。県下1のコウヨウザンの巨木のある毘沙門堂(本堂)にお参りし、七福神のある場所(標高205m)から奥の院への道を登る。小さな五輪塔の町石が続くつづら折れのスギ・ヒノキの植林帯を登ること0.7Kmで、標高350mの鐘楼のあるピークに出る。林床の白い小さな花はイズセンリョウ。鐘楼の眼下には参道と山南町井原の家並みが広がる。遠くの山は石金山だろうか。
 思い切り鐘を撞く。鐘の音は里から新緑の山々に響き渡る。なかなかいい音色で1分ぐらいは余韻が残る。50秒以内に続けて撞かないよう注意書きがある。この先に灯篭が続き、石窟に食い込む様に奥の院地蔵堂があった。これが石龕寺発祥のいわれだそうである。遅い昼食を摂る。

奥の院 鐘楼(350m)からの展望  石金山を望む 

18基の灯篭と鐘楼

石龕寺発祥の石窟・奥の院地蔵堂
「頭光嶽」
頭光嶽(ずこうがく)まで0.3kmの道標に従って更に登り続ける。(ふるさと兵庫100山のガイドブックには頭尖嶽(とうせんがく)と書いてあるが、現地説明板は頭光嶽(ずこうがく)です)。10分ほどで高圧線鉄塔のある"はげ山"に到達する。標高439m、鉄塔は奥多々良木線#57。由来は聖徳太子が毘沙門天像を求めてこの地に来られたときこの山よりまばゆい光が発していたので一寺を建て名づけられたという。
 
頭光嶽 奥多々良木線#57鉄塔(439m)

金屋鉱山跡の岩壁を望む
「金屋鉱山跡」
頭光嶽から鉱山跡まで0.7kmの表示。尾根を歩く前方に岩壁が見えている。ジグザグに尾根を下っていくと、途中に廃屋(火薬庫であったところ)があり、谷底に降り立つ(430m)。そこは見上げるばかりの絶壁に囲まれた砕石場の跡であった。全く予備知識がなかったので驚愕の発見であった。

金屋鉱山跡
ここは金屋鉱山跡であった。大露頭には断層が走り、谷底には黒や赤紫、白など、いろいろな色をした岩石が転がっており、さび付いた重機が3台放置されていた。後で調べると、金屋鉱山は大正年間から昭和50年代まで”ろう石”を採掘していたという。ろう石は子どもの昔は、駄菓子屋さんで売られていて、それを使って道に落書きをして遊んだことがある。

断層の走る岩壁 トップが岩屋山頂

側面から見た鉱山跡
岩石については橋元正彦氏の「兵庫の山々、山頂の岩石」に詳しいが、白亜紀後期 有馬層群流紋岩質凝灰岩で、主成分のカオリナイトは耐火煉瓦、タイル、陶磁器の原料にされるとのこと。地質マニアには必見の場所だろう。
話し声が反響する。ハナミズキの取り出したオカリナの音が音楽ホール以上に反響し、10倍も上手になったようである。
「岩屋山」
谷を下っていけば金屋集落へ林道が通じているようだが、濡れ落葉に隠れたプラスチック階段の薄暗い道を急登して尾根筋に登る(495m)。十字路で、左:岩屋山(岩屋古城址)右:石戸山の道標がある。ここには岩屋城の掘り切りの跡が残り、北からの防備に備えたとの解説板がある。2つの東西に伸びる堀切を横切り、岩屋山頂上(506m)に立つ。この先は鉱山跡の絶壁であり、天気がよければ瀬戸内海も望める。石龕寺の山号である岩屋山も真っ二つに割られてしまった格好である。

岩屋山(岩屋古城址)506m

岩屋城堀切跡
「石戸山」
十字路に折り返し、自然林の快適な道を辿るとすぐに石戸山(548.8m)であった。立派な一等三角点があり、説明版があるが立ち木に囲まれて展望はない。案内では、少し北に360度の展望地点があるとのことなのでザックを置いて10分ほど歩く。ケルンのある賽の河原に出る。薄い板状の石は鉄平石(輝石安山岩の板状節理の発達したもの)。一向に展望はないので引き返す。立ち木が小さかったころの話かもしれない。また無線中継所もなかった。丹波悠々の森まであと5km。高見城山まで行きたかったがもう15時近くて時間切れ。時雨がやってきた。カッパを着けるほどでもないので岩屋山の十字路まで戻る。

一等三角点の石戸山(548.8m)

賽の河原 鉄平石のケルン(530m)
ここで迷走。道標の「石龕寺直通」方向が西の谷を向いているのだ。谷を下りてみる。なんとなく踏跡があるが目印がない。少し岩屋山寄りの堀切を下りてみるがこれも怪しい。結局岩屋山まで戻ると「石龕寺直通」の道標を発見した。十字路の道標は矢印を修正しないと、同じ間違いをするハイカーがいるに違いない。
「石龕寺」
快適な下り道は、途中でいくつかの分岐を分けるが、道標がしっかりしているので石龕寺の指示に向う。プラスチック階段が現れる。ジグザグのかなりの急勾配で、途中鎖場を下るところもある。目の前の大鉄塔(380m)は頭光嶽の隣の奥多々良木線#56。眼下に石龕寺への参道が見える。更に急降下を繰り返して、岩屋川の瀬音が近づくと石龕寺の焼尾神社前に降りてきた。石戸山から約1時間、直距離はないものの、岩屋山からの下りはかなりの難路であった。

雨に濡れた鎖場を慎重に下る

奥多々良木線#56鉄塔(380m)

岩屋川に下る

駐車場から振り返る石龕寺の背山(奥の院鐘楼、頭光嶽、岩屋山、金屋鉱山跡が見える)
毘沙門堂から参道の水琴窟の音を聞きながら山門へ。駐車場から振り返る石龕寺の背山は、山上に立つ2本の鉄塔と、奥の院鐘楼、岩屋山、金屋鉱山跡の絶壁を見る。鹿飛び越え防止の高いネットの中で農作業にいそしむおじさんにご挨拶して16:00石龕寺を後にする。雨が上がった。

 鐘撞いて新緑の山驚かす     ハナミズキ

◇◇◇

その2 2015.2.6 ハナミズキほか3名

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