2013.6.6やまぼうし

京都:ベニバナヤマシャクヤクの里 美山と芦生トロッコ道を歩く

■日時:2013.6.3(月) 天気 晴れ
■集合:阪急宝塚駅 7:50 貸切バス
■行先:京都府南丹市美山町内久保
     ベニバナヤマシャクヤク自生地
     美山かやぶきの里・京大芦生研究林トロッコ道
■ガイド:内久保環境・史跡保存会(美山町)
■参加者:MNC山歩会25名
京都府南丹市美山はかやぶきの里として有名ですが、平成21年度に京都府のレッドデータブックに絶滅寸前種として登録されているベニバナヤマシャクヤク(ボタン科)の群生が平屋地区内久保で発見されました。その数6000本以上、群生地は地元の内久保環境・史跡保存会によって保護活動が進められていましたが、平成23年からは花の時期と実の成る時期にそれぞれ一般公開されています。

このたびは、特別にお願いして、保存会の皆様の案内で自生地を観察させていただきました。観察後はかやぶきの里や京大芦生研究林トロッコ道をハイキング、梅雨の中休みの好天にも恵まれ、緑のシャワーの中の有意義な山旅となりました。

行程

 8:00 宝塚駅発
      宝塚IC〜大山崎JCT〜京都縦貫道〜園部IC〜美山町 110km
 9:50 美山町内久保公民館着
10:00〜11:15
     保全活動の概要説明
     山林内ベニバナヤマシャクヤク観察
     (案内:内久保環境・史跡保存会 栢下(かやした)さん、三船さんほか)
11:20〜12:00 昼食 内久保公民館周辺
12:10 かやぶきの里(美山散策者下車)
12:45 芦生山の家駐車場着
12:50〜15:10 京大芦生研究林 トロッコ道ハイキング(赤崎谷往復)
15:40 かやぶきの里 (美山散策者乗車)
15:50〜16:15 安掛 道の駅「美山ふれあい広場」
16:20 出発
17:50 宝塚駅・解散

1.ベニバナヤマシャクヤク自生地

案内図

 京都縦貫道が名神高速とつながり、美山・芦生は阪神間からずっと近づいた。2時間足らずで目的地の美山内久保公民館に到着する。今日は3団体の観察が予定されているが、2日の一般公開では350名の方々で賑わったそうです。
 内久保環境・史跡保存会 栢下(かやした)さんから、ベニバナヤマシャクヤクの発見の経緯から保護・保全のご苦労をお聞きする。京都府の絶滅危惧種に指定されており、林内には6000株以上が群生しているが自然のままに保全していきたい。スギの間伐、下枝払い、下草刈り、遊歩道の整備など守る会の皆さんでがんっばておられる。花の命は僅か3日だそうで、5月の暑さで開花が早まり、本日は少し遅いようです。
 芦生のネイチャーガイドでもある区長の三船さん、上杉さんほかの女性の案内で、裏手の杉林に移動。扉の施錠をあけて最初の観察地に入りました。私有地とのことですがあちらこちらに白、ピンクの花をつけたベニバナヤマシャクヤクが点在している。ついで公共の杉林に入ります。観察路はテープで区切られ山林を一周するようになっています。群生といっても山林内の随所に数十本ぐらいがかたまっている感じでしょうか。一目何千本というわけではありません。すこし遅かったでしょうか、花弁の落ちかけのものが多く、大きくなった子房が目立ちます。ベニバナヤマシャクヤクは、ヤマシャクヤクとは違い、雌しべの先(柱頭)が渦を巻くように曲がるのが特徴です。ベニバナといっても白い花弁のものもあり、途中からピンクには変わるわけではありません。

内久保公民館

ベニバナヤマシャクヤクの保全について 栢下(かやした)さん

ゲートを開けて入林 

三船ガイドの案内

ベニバナヤマシャクヤクは3日の命
 
散策路はテープで仕切られています

 <成長の過程>

播種から2,3年で3出複葉の形で発芽⇒4年後一つの茎に一つの花が出る⇒5月下旬から6月開花⇒9月下旬〜11月中旬子房がはじけて内側が真っ赤、黒い種子ができる


観察を終えて内久保公民館前で

*現地はヤマビルにご注意ください。

21013年秋の一般公開観賞会は10月5日、6日に行われます(保全協力金\300)

2.美山かやぶきの里

 内久保公民館で昼食後、芦生へ向かいますが途中、美山かやぶきの里を見学する2名の方が降りました。もともとかやぶきの里歩きが本命だったんですが、すぐお隣が芦生なので、芦生を希望する方が増えてしまいました。"かやぶき"と"新緑"はなかなか絵にならいとカメラマンのHさんのお言葉でした。

北地区のかやぶきの里

3.京都大学芦生研究林トロッコ道

 芦生山の家駐車場に車を止める。目の前が研究林の入口です。所定の入林手続きを終えて、構内に入ります。最近事故が多いとのことで、ハイキングや観察の一般入場の場合は10名以下で、代表者名と入林者名を記載した入林申請書を提出します。今日は23名なので、3班編成としました。入口のポストに申請書を投函し、事務所に挨拶してから入林しました。

トロッコ道マップ

 構内にはタイムスリップしたかのような官舎が並んでいます。トロッコの線路がありました。由良川の鉄橋を渡り、左岸を緩やかに登っていきます、手入れをしているようで、線路が雑草に覆われているわけではありません。晴れ上がった炎天下は暑いですが、緑陰のトロッコ道は快適です。小さな木橋や、仮設の鉄橋がありますが危険というほどではありません。オオルリの歓迎です。カジカも鳴いています。あちこちで自然観察が始まり、隊列もバラバラとなってきます。往復で2時間の設定なのでどこまで行けることでしょう。

京都大学芦生研究林入口  右ポストに入林者名簿投函

事務所へご挨拶
 
官舎の佇まい

トロッコ道の始まり

由良川左岸に沿ってトロッコ道を歩く

灰野廃村あたり

30分ほどでやや広い場所に出ました。廃村となった灰野です。説明板によれば、寛永15年(1638年)から入植がはじまり木地師が定住していたようです。この奥の小モヨギ、大ヨモギまで入り込みましたが、ついに昭和35年の灰野を最後に廃村となりました。線路わきに残る鳥居のある社は部落の守り神であったのでしょうか。

灰野廃村跡

線路わきには 無人の社が取り残されている
 
説明看板から

赤崎谷(折り返し点)

最も健脚の人は、約1時間10分ほで奥の赤崎谷まで進みましたが、ここで線路は崩壊して川に落下、小モヨギ作業所まではいけませんでした。由良川の清流で汗を流し、再び出発点に戻りました。観察結果はいかがだったでしょうか。帰路バス中の反省会であがりました観察リスト、同行者が撮影した写真を掲げておきます。

赤崎で線路は崩壊して谷底へ

赤崎谷で

トロッコと軌道

<森林鉄道(トロッコ道)の歴史>

 演習林開設以前、この地域には道らしい道が整備されていなかったことから、演習林の開設と同時に林道の整備を開始した。主要な林道はなるべく自動車の通行が可能なように整備されたが、やむをえない場所については軌道で整備されることとなった。工事は1927年に事務所から大蓬までの軌道敷開削工事が完成、翌1928年には七瀬まで完成した。当初完成したのは路盤だけであったが、軌道の敷設工事も行われ、1934年には事務所 - 赤崎間にレールを敷設、1936年には大蓬まで延伸された。その後、太平洋戦争が始まると林産資源確保のために小野子谷への軌道延伸が計画され、1942年に由良川を渡る橋が完成、1943年には小野子東谷にあった作業所まで軌道の延伸が行われ、七瀬までの本線区間が本谷軌道と呼ばれたのに対して小野子仮軌道と名づけられた。1944年には小野子仮軌道の途中から分離して小野子西谷を遡上する区間が延伸されたが、この区間は仮軌道とは言いながらも線路を内務省の由良川堰堤工事事務所から借用したものを使用するなど、路盤も線路も本谷軌道より高規格のものが使用された。また、小野子仮軌道にはループ線があったという話が残っている。

 完成した軌道は伐採された材木や製造された木炭、栽培されたしいたけの搬出に使用されたほか、沿線に設けられた作業所や苗畑への通勤や資材の搬入にも使用された。また、灰野の住民への米やみそ・しょうゆといった生活物資の運搬にも使用された。小野子仮軌道からは主としてブナ材が搬出され、多くがプロペラのブレード(羽根)に加工された。

 戦後の1947年には小野子西軌道が撤去され、レールは元通りの直線に延ばされて内務省由良川堰堤工事事務所に返却された。1949年7月に来襲したへスター台風によって、森林軌道を全線に渡って大きな被害を受け、中でも小野子仮軌道は全区間埋没・流出して、その後復旧することはなかった。一方、本谷軌道については流出した由良川橋梁の復旧が行われたほか、1950年には軌道の敷設区間が野田谷まで延伸された。先に路盤が完成していた七瀬まであと少しの距離であったが、ついに七瀬までレールが延びることはなかった。

 1950年代以降の大規模伐採の時代には、赤崎西谷や赤崎東谷に引込み線が設けられ、伐採された材木の搬出に活用されていたが、1960年代中期に沿線での伐採事業が終了すると森林軌道の利用価値は低下、沿線の苗畑や作業所への通勤や資材、苗の搬入に使われる程度となった。それも1975年前後に終了すると、使用頻度が更に低下、1980年代以降になると施設の老朽化が進んだことから、灰野より奥へ運転されることはなくなった。一方、残された灰野までの区間については、この区間に道路がないことから、今後も軌道を使用するため、1973年にたびたび水害で流されてきた由良川橋梁を鉄筋コンクリート製の橋に架け替えたほか、枕木を一部コンクリート製のものにするなど軌道の整備が行われた。整備区間は年々奥へと延伸され、1993年には灰野橋が鋼鉄製の桁橋に架け替えられたことにより、整備区間が灰野の先まで延伸された。最近では由良川橋梁に、歩行者の転落防止のために手すりが取り付けられている。.

 車両は、当研究林では、当初、トロッコを人力や馬力で押し上げ、下りはブレーキを操作しつつ滑走していた。その後機関車を導入して作業の効率化を図ったが、機関車といってもトロッコの台枠に農業用のエンジンを搭載し、その上に簡単な屋根を乗せただけのものだったので、屋台形機関車と呼ばれていた。機関車以外にもトロッコの台枠にミゼットのエンジンを搭載した自走式人車もあり、こちらは林内の巡視などに使用されていた。また、大規模伐採時期には業者が機関車やトロッコを持ち込んで使用していたが、こちらの実態については不明である。

 現在の森林軌道は林内の巡視などのために灰野までの区間で極めて不定期ながら運行されている。灰野から先は落石や倒木、あるいは赤崎の大Ωループ橋のように朽ち果てて倒壊した木橋などが連続しており、軌道の復活はおろか歩行も困難を要する。また、地図上では「徒歩道」の記号で表されている。H20年近代化産業遺産に指定。
                                                              ウィキペディアより抜粋

トロッコ道・内久保の自然

-出会い-

木本 草本 お客さん
1 アシウスギ 1 アシウテンナンショウ* 1 オオルリ
2 イワガラミ 2 オオキンケイギク 2 カルガモ
3 ウリハダカエデ 3 オトギリソウ 3 キセキレイ
4 オオバアサガラ 4 オニヒカゲワラビ* 4 イモリ
5 オニグルミ 5 カンサイタンポポ 5 シマヘビ
6 カツラ 6 ギンリョウソウ 6 カメノコテントウムシ
7 カラスシキミ* 7 コゴミ 7 カジカ
8 コアジサイ 8 コスギゴケ 8 ヒメウラナミジャノメ
9 サワグルミ 9 コナスビ
10 タニウツギ 10 タツナミソウ  
11 タラノキ 11 タニギキョウ  
12 ツルアジサイ 12 チャルメルソウ  
13 トチノキ 13 ネコノメソウ  
14 ブナ 14 ハナニガナ  
15 ミズナラ 15 マルミノヤマゴボウ*  
16 ミヤマハハソ 16 ミズ  
17 メグスリノキ 17 ミズタビラコト  
18 ヤブデマリ 18 ムラサキサギゴケ
は芦生五木 19 ヨメナ

*美山 内久保地区

会員各位から提供いただいた写真


オニグルミ

トチノキ

ミヤマハハソ

ツルウメモドキ

イワガラミ

ツルアイザイ

アシウテンナンショウ

タツナミソウ

ネコノメソウ

チャルメルソウ 

ムラサキサギゴケ

ヤブデマリ

タニウツギ 

ギンリョウソウ

ミズタビラコ

トチの芽生え@

トチの芽生えA

カラスシキミ

マルミノヤマゴボウ

オニヒカゲワラビ

ヒメウラナミジャノメ

イモリ

カメノコテントウ
 絶滅危惧種ベニバナヤマシャクヤクの観察ははいかがだったでしょうか。この地ばかりでなく京都山間にも続々と発見されているようです。じつはあまり喜んでばかりいられないのです。丹波のクリンソウも同じですが、鹿の食害がなせる業なのです。有毒物質を含むこれらを鹿は食べません。周辺の草木を鹿が食い尽くしてくれるため、敵がいなくなり優位にたってどんどん増殖していくのです。鹿が増殖し、生態系のバランスが崩れていってるのです。同じ言葉を丹波でもここでもお聞きしました。どう保全していくのか難しい課題です。

 梅雨の中休みとなった本日は晴天に恵まれ、美山から芦生トロッコ道まで足を延ばす山歩会となりました。 安掛 道の駅「美山ふれあい広場」でお土産タイムを持ち、ほぼ予定通り宝塚へ帰着することができました。芦生は高速開通で日帰りも可能になりました。今回は駆け足でしたが、またグループ等で企画されたらよいと思います。今回のツアーに当たり、いろいろお世話いただいた村瀬様に感謝申し上げます。ありがとうございました。

関連ページ:芦生の森自然観察ツアー(2005.5.26)

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