up 2013.10.3やまぼうし
三田 丹波街道を歩く(新三田〜道場)
新三田駅〜福島神社〜川除け〜三輪神社〜三田本町〜横山峠〜神鉄道場駅〜道場川原宿〜神鉄道場南口駅
◇日時:2013.9.14(土) 晴れ
◇行先:丹波街道(新三田〜道場)
◇主催:武庫川エコハイク
◇参加者:75名
丹波街道は丹波篠山から古市宿、藍本町宿、三田を経て道場川原宿・生瀬宿へ通ずる古道。酒作りの杜氏が西宮などの灘五郷に通った道。現在の国道176線にほぼ重なる。武庫川エコハイクに同行して、往時をしのびつつ、新三田から道場までの旧街道を歩く。

実りの秋 丹波街道大原の里を歩く
行程:
新三田駅0935→福島稲荷1010→川除け1053→三輪神社(1125〜1205)→三田本町1230→横山峠1310→神鉄道場駅1325→旧国鉄有馬線跡1330→有馬川・有野川合流点1345→道場川原宿1355→神鉄道場南口駅1420  歩 約12km
 
地図はこちら

「福島・大原・川除」
 新三田駅に集合したのはスタッフ含めて75人、予定した資料が足らず、あわててコンビニでコピーする。今日は街歩きとあって、山歩き以上の方々が集まった。駅前で本日の行程の説明を受けて出発。
  R176の北側を走る旧丹波街道に出て、御旅所(御輿の神幸するときの仮の奉安所)から福島稲荷神社へ大原の里を南下する。福島稲荷神社は産土神としては三田唯一の稲荷神社で、最も格式の高い正一位稲荷大明神を祀る。元は八幡社他5社があり、七福神として祀られており福島の地名の由来となったといわれるが、今は稲荷社を残すのみ。
 彼岸花の咲く大原の里には塀をめぐらした屋敷が目を引くが、数年前に開店した「がんこ三田店」である。大原家の屋敷を借り上げているとのこと。その隣には県指定重要文化財の大歳神社がある。鎌倉時代紀州大原家がこの地に荘園を築き、鎮守として文永年間(13世紀後半)熊野より大歳神社を勧請、その後戦火に焼かれたが永禄3(1560)年本殿を再興した。
 川除の集落にさしかかる。この辺りは一面の水田地帯で、かつて蛇行する武庫川がしばしば氾濫して水害に見舞われたところである。昭和60年の流路改修により危険はなくなったが、それに因む地名のようである。公民館前にある古井戸は、16世紀半ばに赤松氏に追われた松山氏がこの井戸に隠れ難を逃れたが、その時井戸の中から黄金の仏像を拾い上げたことから以降松山氏は福井姓に改姓したという。

福島稲荷神社 御旅所

福島稲荷神社

がんこ三田

大歳神社

川除の井戸
「三輪神社あたり」
 来迎寺(らいこうじ)は天正元(1573)年真言宗の寺として開基。安永5(1776)年曹洞宗に改宗。聖徳太子の大化の改新で定められた郡ごとに設置が定められた「来迎寺」のひとつ。裏山は茶臼山といい、南北朝時代松永弾正の山城があったが康安元(1361)年戦乱で落城。大井ノ元は丹波街道沿いにある湧水で、三輪明神の宮水。今年改修されてこじんまりとなった。三輪神社で早い昼食を摂る。南北朝時代松永弾正が奈良大神(おおみわ)神社を勧請されたという。国道176号線沿い、石鳥居下に旧三輪村の道路元標がある。大正年代に全国に一斉に作られたものである。

来迎寺

大井ノ元

三輪神社
「三田本町」
 三輪神社の石畳の参道を市街地に向かう。一乗寺公園から車瀬橋にかかる。江戸時代に武庫川は三田川と呼ばれていたが、このあたりはよく切れる「正宗堤」があり、犠牲者が多く出てこれを弔うため一乗寺が建立された。今は一乗寺公園となって一乗寺地蔵尊が祀られている。車瀬橋は三田市で最も古い橋、18世紀末に描かれた「摂津名所図会」に「車瀬の蛍見」がある。車瀬とはこの辺りに車の両輪のような瀬があったからという。今の橋は昭和59年架橋、三好達治の詩が刻まれている。骨董屋さんのある日本一短い車瀬商店街を抜けると本町通りである。旧丹波街道であり、古い商家が並んでいる。三田本町交流館、陶祖内神屋惣兵衛旧宅、札場の辻には「三田町道路元標」があり、かつては町の中心であったことをうかがわせる。京口は古くから多くの街道が交差する交通の要衝であった。右はりま三木道、左有馬大坂道の大きな道標が残っている。

三輪神社から三田市街を見る

車瀬橋
 
本町通り
 
京口の道しるべ
神鉄電車の高架を潜り、国道176号線に出て坂道を登る。一番高いところの、ボーリング場のある宅原(えいばら)交差点が横山峠である。横山という町名はあるが、まったく峠の面影はない。国道を外れて武庫川支流の長尾川に架かる鉄屋橋を渡る。

横山峠(宅原交差点)

長尾川の鉄屋橋
「道場」
 神鉄線路に沿うように坂道を登ったところが神鉄道場駅である。神戸市鹿の子台住宅の玄関口となっていて、なかなかモダンな駅舎である。駅の西側に山脇延吉翁の碑がある。山脇氏は明治8(1875)年道場村塩田に生まれる。県議会議員、県議会議長を歴任。その間に国道2号線の完成、武庫川の改修を政府に陳情のほか農業の振興に尽くされた。大正15年神戸有馬電気鉄道(株,現神戸電鉄)を設立、昭和3年神戸、有馬に神有電車が開通し、ついで有馬口から三田まで開通させた。線路を渡って東側、城山橋の下の掘割は国鉄有馬線の廃線跡である。大正4(1815)年4月、国鉄三田駅と有馬温泉を結ぶ私設軽便鉄道として開業、即日鉄道院が借り受け運営した。大正8(1819)年国鉄に買収された。昭和18(1943)年、不要不急路線として廃止され、資材は篠山線に転用された。

神鉄道場駅と国鉄有馬線跡

城山橋とたんぽぽ城址
廃線跡の向かいの小山が松原城址である。道場城ともいわれている。有野川と有馬川の合流点の要害の地にあり、天正年間三木別所氏の一族松原氏が支配したが天正7(1579)年織田氏に攻められ落城した。城下の人は「たんぽぽ城」と呼んだという。案内板によれば、タンポポは「つづみ草」とも呼ばれ、城主の娘がつづみの名手で、毎夜たんぽん、たんぽんと鼓の音が聞こえたことに由来しているという。藪山で侵入階段があるが、立ち入ることはできない。R176を潜り川堤に出る。そこは有馬川と有野川の合流点で、有馬川は下流で長尾川が合流しJR道場手前で武庫川にそそぐ。

有馬川(左)に合流する有野川
「道場川原宿」
 たんぽぽ城址の裏手、有野川に架かる大橋を渡ると旧道場川原村である。有野川と有馬川が合流する三角地にあり、古くから交通の要衝で人・物の集散場となっていた。丹波街道と播磨道の分岐点であったことから江戸時代は宿場として繁栄したようで、今もその面影を残している。国道176線のすぐ脇にこんな風景があるとは思ってもみませんでした。開発から取り残されたのがよかったんですね。ちなみに道場という地名は、もと大谷派本願寺下常楽寺の子爵了善がこの地に道場を建て、近くに川原があったことから道場川原と呼ばれるようになったという。

道場川原宿
道場川原宿を抜けて道場南口駅に着き、丹波街道歴史ハイキングは終わる。いつもは車で通過してしまう三田だが、こうして歩いてみると歴史のある町であることが良く分かる。GPSは12kmの歩行を示していた。
記録作成に当たり「エコハイク武庫川」の資料を参考にさせていただきました。

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