up 2014.5.12やまぼうし
丹波 黒井城跡をめぐる
黒井城跡登山口〜城山〜西の丸〜龍ヶ鼻砦〜千丈寺山〜ヨコガワ峰〜大野坂〜興禅寺
日時:2014.5.6(火) 天気 晴
行先:丹波市春日町 黒井城跡
    城山(356.8m)、千丈寺山(346m)、ヨコガワ峰(363.8m)
    1/25000地形図 黒井
同行:ハナミズキ
ルートタイム:歩行約10km
登山口P9:50→石踏の段10:20・・・城山(本丸)(10:35〜10:50)・・・西の丸11:10・・・龍ヶ鼻砦11:35・・・西の丸(12:10〜12:35)・・・千丈寺山13:00・・・大野坂13:20・・・ヨコガワ峰13:50・・・大野坂14:10・・・兵主神社14:50・・・興禅寺(15:05〜15:20)・・・登山口P15:25 
Route Map 

黒井城跡 城山と千丈寺山(春日町野村より)
「登山口」
 春日ICを降りてR175を石生方面へ進み、黒井駅手前六反田交差点を右折する。黒井城跡の大きな案内板があり、コーナーにはパナソニック照明器具工場がある。黒井川を渡り、興禅寺の案内標識を頼りに民家の路地を曲りくねって黒井小学校の上にある小さな駐車場に車を止める。ベンチのご老人によれば、ここは地区の駐車場だそうで、すぐ上にはもっと広い登山口駐車場があり、興禅寺下にもあるとのこと。支度をして坂を登ると、黒井城跡と書かれた石碑と保月城登山口の標柱が立っている(標高115m)。黒井城は別名保月城という。傍らの説明版は剥げてしまってまったく読めない。観光PRしているのにこれでは恥ずかしい。
獣除けゲートを開けて人間世界におさらばする。スギ、ヒノキの林を登る。枝道がいくつかあるが、道標はなく、とにかく上を目指す。家族連れが下りてきた。今日は五月連休最後の日である。植林帯を抜けて明るい尾根に出てきた。見上げる丘の上に赤門が見える。ここは石踏の段と言われる曲輪の跡(240m)である。赤門に立つと眼下に黒井の町並みと、向山連山が一望である。辺りは一面のワラビの草原で、休憩にちょうどいいところである。

黒井城跡登山口

石踏の段跡の赤門

石踏の段跡

石踏の段跡 赤門からの景観
「黒井城跡」
 石踏の段から10分ほど登ると頂部に達し、石垣が現れる。東曲輪跡、次いで、三の丸、二の丸、本丸跡がある。広い草原の本丸跡には保月城址の石碑と、ぽつんと三角点 点名城山(356.8m)があった。展望絶佳、北に五台山、東に多紀連山、南に向山連山、西に播丹国境の山々をみる。新緑が目にまぶしい。

野づら積み石垣が残る東曲輪
 
二の丸跡
 
本丸に建つ保月城址碑

黒井城本丸跡

黒井の町並みと向山連山(南の展望)

五台山(右奥)から五大山(北の展望)

市島町と龍ヶ鼻砦(東の展望)
「西の丸・龍ヶ鼻砦」
 本丸でしばし展望を楽しみ、さて千丈寺山へ向かおうと思うが何の道標もない。ひとり山上に憩っている男性に道を尋ねて、本丸の北端から行けることが分かった。崩れた石垣を下りるとそこは西曲輪である。踏跡を見つけて下っていくと獣除けゲートがある。城山一帯を獣害から守るためのものだろう。激下りだ。掴まる立ち木も少なく、補助ロープもない。これでは敵も難渋するだろう。やっと降りたところが西の丸(305m)であった。小広場は一面にワラビが群生している。城跡周辺はワラビの宝庫である。広場東端にピンクテープがひらめき、補助ロープもあったので千丈寺山への道だとばかり思い込み、急激な土手を下る。これが迷走の始まりで、目的の千丈寺山とは90度方向の違う龍ヶ鼻砦への道だったのである。
倒木も多いが、尾根上に切り開かれた道がずっと続いている。福知山線を走る列車の音が近くに聞こえる。これもおかしいのであるが・・・。30分も歩いてから、あたりの様子がおかしいことに気付く。千丈寺山ならず、赤く色塗られた石柱がある。地図を広げて現在地を確かめるとこの石柱は281Pではないか。城跡の案内図から考えると、ここが龍ヶ鼻砦らしい。立ち木に囲まれて全く展望はないが、小広場となっている。ハナミズキからの信用は全く失ってしまったが、新発見に半分うれしい気持ちで元の西の丸へ引き返す。およそ1時間のロスタイム。西の丸の西隅に別の踏跡を発見する。テープに惑わされてしまったことを反省しながら昼食を摂る。それにしても肝心なところに道標がないのは何故なのだろうか?

本丸を回り込むと西曲輪跡
 
西曲輪跡直下の獣除けゲート

西の丸広場

西の丸東端の土塁を下る(迷走の始まり)

龍ヶ鼻砦付近281P
「千丈寺山」
 さて気を取り直して千丈寺山に向かう。踏跡道だが、龍ヶ鼻砦方面の道よりしっかりしている。切り開きから正面に千丈寺山を確認する。金属製の手すり階段があるのはハイカーが多い証拠である。五大山から五台山への縦走路となっているのである。兵主峠にさしかかる。縦走路を示す立派な道標があるが、西の丸にこそ道標が必要である。岩場から眼下に兵主神社、氷上高校が見える。
 千丈寺山(346m)は立ち木に囲まれた小広場であった。千丈寺砦があった場所であり道標がある。再び激下りとなり、降り立ったところが大野峠(大野坂)(230m)である。市島と春日を結ぶ峠で昔は馬車でも通ったであろう広い道が通じている。ここから大野の集落までは近い。時間はまだ早いので道標にあるヨコガワ峰を往復することにする。ここで2回目の失敗。直登するテープに気付かず、巻道を進んでしまってあわてて引き返す始末。30分で往復するつもりが小一時間かかってしまった。ヨコガワ峰には三角点稲塚(363.8m)があった。立ち木に囲まれ展望はない。この先は三日月山を示す道標がある。

前方に千丈寺山

はしごがかかる

兵主峠

千丈寺山

大野坂

ヨコガワ峰三角点(点名稲塚)
「兵主神社」
 大野坂を下る。堰堤から先は車が入れる林道となる。獣除けゲートを開けて人間世界に戻ってきた。人っ子ひとりいない農道を野の花を愛でながら出発点の登山口へ向かう。途中、兵主(ひょうず)神社にお参りする。疱瘡の守り神として有名で、黒井城主赤井直正愛用の兜が奉納されていると伝わる。隣接する氷上高校は城山を背景として素晴らしい環境にある。

獣除けゲートを出ると大野の集落

春日町稲塚から千丈寺山
 
兵主神社

城山を背景に氷上高校

野の花


ヤマツツジ

ギンリョウソウ

キランソウ
オドリコソウ 
「興禅寺」
 お墓を通ってスタートポイントの黒井小学校前に出てきた。最後に春日局生誕の地興禅寺に立ち寄る。下館(城主が合戦がない平時に住んだ場所)らしく、堀と石垣と塀をめぐらせ、堅固な構えを見せている。立派な赤い門をくぐり、観光パンフレットにあったお福の「産湯井戸」や「腰掛石」を探したが見つからない。居合わせた観光客ともども探し回った結果パンフレットの写真と同じものを見つけた。しかし、何の表示もない。大々的に観光PRしているのに表示がないのは不思議であり、観光客も戸惑うことだろう。釈然としないまま元の駐車場に戻る。朝と同じご老人がベンチに腰かけていた。駐車のお礼をのべて帰途につく。

堀を巡らせた興禅寺

興禅寺の庭 左がお福腰かけ石と思われる

お福の産湯井戸

黒井小学校と向山(駐車地から)

獣除けの閂重し若葉山 ハナミズキ

◇◇◇◇◇

「黒井城跡」
 典型的な戦国時代の山城跡として国の史跡に指定されています。黒井の町並みのすぐ北側にそびえる黒井城跡は、猪ノ口山にある山城で、標高356mの頂上の本城部分も含め、Y字形の尾根に沿って砦が築かれ、山全体が巨大要塞となっています。広さは周囲8kmにも及び、山中の至るところで曲輪跡や土塁、堀切りなど、戦国時代の遺構を目にすることができます。 黒井城は建武2年(1335年)に赤松筑前守貞範が山頂にとりでを築いたことに始まり、戦国時代の終わり頃、荻野(赤井)悪右衛門直正によって大改修が加えられ、現在の姿となりました。天正7年(1579年)に明智光秀の攻めにあって落城しますが、典型的な戦国時代の山城跡と高い評価を受け、平成元年に国の史跡に指定されました。 山頂からは春日の町を一望でき、晴天時には京都の愛宕山、丹波の大江山を望むことができます。(丹波市観光案内より)
「興禅寺」
 「春日局生誕の地」として知られる国指定史跡。徳川家光の乳母として有名な「春日局」は幼名をお福といい、春日局の名はこの春日の地で生まれたことに由来しています。お福の父・斉藤内蔵利三は明智光秀の重臣で、光秀が丹波攻めで黒井城を落とした後、その下館を陣屋に改めました。これが現在の興禅寺で、お福はここで生まれ、三歳までを過ごしています。下館とは戦国時代の城主が合戦がない平時に住んだ場所のこと。興禅寺は水をたたえた七軒堀や高い石垣・白壁など、当時の下館の様子をよく残すものとして、国の史跡に指定されています。境内には「お福の腰かけ石」や「お福の産湯の井戸」などがあり、江戸幕府を裏から支えた春日局の幼少期に思いを馳せることができます。(丹波市観光案内より)
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