千苅水源池東岸を歩く |
UP 2014.7.24やまぼうし
■日時:2014.7.12(土) 晴時々曇 ■場所:千苅水源池東岸(波豆〜道場) 2.5万地形図 武田尾 ■参加者:71名 ■主催:エコグループ・武庫川 |
ルート:
波豆八幡神社1045→清之瀬橋1115→布見ヶ岳分岐1215→境野分岐(1240〜1315)→大岩岳北分岐1335→大岩岳西分岐1420→大岩岳南分岐1455→千苅橋1525→千苅浄水場広場1540→道場駅1610
歩行約10Km Route Mapはここ
千苅水源池は神戸市民の飲料水を確保するために大正8年に完成したダム。完成から約90年たった今でもその役割を果たし、神戸市へ水道用水を供給している。武庫川を歩くシリーズを続けているエコグループ・武庫川の千苅水源池東岸ハイクに同行する。
明治43年帝国陸地測量部2万分の1地形図 |
平成12年国土地理院2万5千分の1地形図 |
千苅水源池
神戸市の水道として、布引貯水池、奥平野浄水場、烏原貯水池に続いて大正8年に完成した貯水池。武庫川最大の支流である羽束川を堰きとめて造られた。池の面積112万u(満水時)、貯水量1160万m3、堰堤高42m、同長さ106m、池の周囲23Kmに及び、神戸市水道の13%を担っている。堰堤は国指定文化財で大正中期時点で最も高い水道用粗石コンクリートダム(Aランク)である。武庫川の総合治水を検討している武庫川流域委員会では、水源池の治水活用を提言している。
歴史
千苅の「苅(かり)」は「束(そく)」のことで、刈り取った稲の束数を表している。水源池で水没したところには「千苅」のほかに、「八百苅」の地名が見える。明治初期に神戸にコレラが発生し、水道を作る計画が持ち上がり、布引、烏原に続いて明治39年(1906年)に水量豊富な羽束川の千苅が候補に挙がった。明治43年(1910年)初めて水没を知った波豆集落では大騒ぎになり、堰の高さを下げるよう要求するも聞き入れられず、翌年工事着工。明治45年(1912年)波豆集落は村集会で対抗委員会を結成、堰高の半減や親水地域の減少を西谷村を通して神戸市に陳情したが、僅かに堰高の低減が受入れられただけ。大正3年(1914年)に住民の意向を無視して工事が強行され、土地所有者に用地買収価格と移転料を通知。価格値上げも応諾されず、ついに同年8月買収移転が総会席上で決定し、波豆村田畑、山林原野が収用される。大正8年(1919年)千苅堰堤竣工。さらに、大正15年(1926年)の拡張工事で堰堤20尺嵩上げが決定し、波豆村民の陳情もむなしく、昭和6年(1931年)に工事完了。結果、家屋22戸と23町歩の土地が水没した。(宝塚市史から抜粋)
「波豆八幡神社から」
三田駅に集まったハイカーは71名、武庫川を歩くシリーズでは人気の千苅水源池東岸歩きだ。道場駅から波豆が順路だが、帰りの路線バスに乗りきれないことを考えて逆回りとする。事前に阪急田園バスに、参加者が60人超すこと予想して定期便の他1台増車を依頼した。はたして、増車は正解であった。
波豆八幡神社でスタートミーティングする。今回は特に下見をしていないため、途上の危険個所のチェックや障害物を取り除くため2人のスタッフが先行する。我々一行は国指定文化財波豆八幡本殿に参拝、県指定文化財の宝篋印塔や板碑、石造鳥居を見学する。一帯は14〜15世紀前半の石造文化財が多い。湖岸からは、これから進む布見ヶ岳や大岩岳が良く見える。
波豆八幡神社本殿 |
石造鳥居 |
布見ヶ岳
大岩岳
「東岸の道」
波豆八幡神社の見学で時間をとってしまったので清之瀬橋を渡って東岸に入ったのは11:15であった。遅い出発である。東岸の道は、雑草が伸びてはいるが歩行の邪魔になるほどではなく、木陰が涼しい。ただ、倒木や岩場もあり、滑落危険個所もあるので油断できない。見晴しはなく、時々湖面が覗く程度である。布見ヶ岳(ふみがだけ366m)を回り込み、境野酪農センター分岐で遅い昼食をとる。藪蚊がいないので助かる。
岩場を越えて |
倒木を潜る |
境野分岐で昼食
「大岩岳」
大岩岳を回り込む。その名の通り、左手に巨岩が迫り、右手は湖岸へ断崖の道となる。急に倒木が増えはじめ、道に張り出した横枝に何回も頭を打つ。2〜30mではあるが起伏が多く結構疲れる。大岩岳西分岐を過ぎると、道も明るくなり、大岩岳に登るハイカーともすれ違う。高台から湖面が覗く。大岩岳南分岐を過ぎると、渓谷に下る。最後の休みをとり、フェンス沿いを下ると千苅の放水路が見えてきた。家内がいないと一時騒ぎになったが、先発隊と行動していて無事が確認されほっとする。それだけ隊列が伸びてしまったのである。
大岩岳を回り込む |
千苅水源池を眼下に |
渓谷を歩く |
「千苅橋」
千苅橋で先発隊と合流し、全員の無事を確認する。忘れものをしたと昼食場所まで戻った2人も追いついてきた。千苅浄水場前の駐車場で解散する。遠く羽束川が武庫川に合流するあたり、新名神高速の橋脚工事が行われていた。
千苅橋と放水路 |
羽束川 |
千苅浄水場
工事中の新名神高速道
□関連ページ 千苅ダム東岸を歩く 2007.12.8