UP 2015.12.9HRY
丹生山系縦走 (丹生山~帝釈山~稚児ケ墓山)
◇日時:2015.12.7(月) 快晴
◇行先:丹生山系 丹生山515m、帝釈山585.9m、稚子ヶ墓山596.3m
     2.5万地形図 有馬
◇同行者:MNC山歩会14名
行程:
箕谷駅前BS9:01・・・(神戸市バス)・・・丹生神社前BS(9:13~9:30)→11丁・地蔵10:15→丹生山(10:55~11:13)→帝釈山(12:00~昼~12:30)→R428岩谷峠13:22→双坂池13:35→稚子ヶ墓山14:20→墓標14:25→肘曲り14:50→柏尾台登山口15:20→箕谷BS16:00    歩行 約13km
地図はこちら

紅葉の中、源平合戦、三木合戦・悲話の丹生山系を歩く。自然と歴史の道として、近畿自然歩道・太陽と緑の道にも選定されている。

「丹生山」
 天気快晴。箕谷から見る丹生山系は紅葉・黄葉に輝いている。例年より1週間以上遅れた紅葉である。三宮から乗り継いだ神戸市バスを登山口の丹生神社前で下車する。第1鳥居の向うに丹生山が見える。各自それぞれ軽く準備運動をして山に向かう。志染川を渡ると右手に丹生神社宝物殿があり、ここに清盛が寄進した「当山景画大幅」や秀吉公朱印折紙などの文化財が展示されてとのこと、小さな蔵は固く閉ざされたまま。廿五丁と記された地蔵を過ぎて、太陽と緑の道の案内に従って竹藪を登っていく。ところどころにある丁石は平清盛の寄進によるもので、福原に都を移した清盛が丹生山を比叡に見立てて、月参りした道といわれている。
 竹藪を抜けて平地に出ると、左から衝原湖千年家からの道が合流、その先で帝釈山麓に至る旧鉱山道を右手に分ける。丹生は”にゅう”とも読み、硫黄と水銀との化合した赤土(丹土)を意味し、古代は水銀の産地であったという。今は主に銅を採掘した帝釈鉱山(昭和35年閉山)の跡が残っている。ちなみに、南部の山田の里では丹生山をにゅうやまと呼び、北部の淡河ではたんじょうさんと呼ぶという。

スタートの第1鳥居の向うに丹生山を見る

丹生神社宝物殿

近畿自然歩道・太陽と緑の道
 西側が開け、紅葉に染まった丹生山が見えてきた。十一丁で表参道、裏参道を分ける。角には延命地蔵が立っている。丹生山(にうやま)橋を渡り、表参道を進む。丸太階段の急登が続く。ようやく傾斜が緩み、三丁で左手から義経道が合流してくる。一丁の小広場には史蹟丹生山城・丹生山明要寺跡の石碑が立つ。案内板には清盛が寄進したという「紙本著色丹生山明要寺参詣曼荼羅」の絵図が掲げられている。説明文によれば、丹生山明要寺は6世紀百済から飛来した童男行者の建立に始まり、平安末期には多くの僧兵と幾多の伽藍を擁し一大勢力を誇っていた。この絵図はその頃の威容を伝えている。水銀製造の様子も描かれている。後に戦国の兵火にかかり、明治の廃仏毀釈で廃寺となり鎮守社であった丹生神社が残ったとある。

丹生山

11丁 表参道 丹生山(にうやま)橋を渡る

丸太階段の参道が続く

史蹟 丹生山城・明要寺跡

明要寺参詣曼荼羅の絵図
第2鳥居を潜り、石段を上ると庫裡が、もう一段上に丹生神社本殿がある。標高515mの切り開きから、神鉄沿線の住宅地や六甲の山並みが広がる。よく見れば眼下にスタートした第1鳥居が、アンテナの立っている山は菊水山である。

丹生神社第2鳥居

丹生神社本殿

丹生神社境内からの展望 住宅は山の街・北鈴蘭台
「帝釈山」
 丹生山系唯一のトイレを済ませ、帝釈山へ向かう。丹生山から帝釈山・稚児ヶ墓山と続く山道は秀吉の焼き討ちにあった明要寺の稚児たちが必死に逃げた逃避行ルートである。 スギ林の中の道は展望はないが、落葉のふかふか道は足腰に優しい。道標を見過ごし、うっかりシビレ山方向に行ってしまう一幕があった。岩が現れ始めると帝釈山の頂上(585.9m)である。ここは明要寺の奥の院で梵帝釈天を安置したためこれが山名に転じたといわれる。石の祠のある三角点広場は南側が開けている。丹生山より標高が高いだけあって、六甲縦走路の山々、大阪湾、明石海峡大橋、淡路島が展望する。遥かに、紀淡海峡の友ヶ島まで見えている。展望を楽しみながら昼食を摂る。

帝釈山への道

帝釈山頂上

展望を楽しみながら昼食 右端に明石海峡大橋
「稚子ヶ墓山」
 予定より20分遅れで次の稚子ヶ墓山へ向かう。稜線上、起伏を繰り返し、国道428線岩谷峠(430m)に下る。正面に稚子ヶ墓山を見て歩き、双坂池から山へ取付く。頂上までの標高差は200mだが、大岩、小岩のゴロつく谷の100mの直登は厳しい。二人が遅れる。どうやら足を痛めたようである。定番の漢方薬68番の出番である。

縦走路には随所に道標がある

国道428号線に降りる

国道428号線 正面に稚子ヶ墓山を見る

双坂池

稚子ヶ墓山への登り
 稜線に達し、さらに自然林を100mほど登ると頂上である。立ち木に囲まれ展望はないが、山名表示と説明板が立っている。羽柴秀吉の三木攻めの際、丹生の僧兵が別所方に味方したため全山焼き討ちにあい、明要寺から落ち延びて行った幼い侍童・稚児もここで秀吉軍に発見され、ことごとく切り殺された。 ときに天正7年(1579)5月22日のことだったという。その後、それを哀れに思った村人等によって稚児らの亡骸をこの山頂に葬ったことから稚子ヶ墓山、お墓に供える花を手折った東の峰を花折山と呼ぶようになったといわれている。山頂から5分ほど東へ歩いたところの小広場の椿の木の下に墓標が立っている。南側が切り開かれ、明石海峡大橋や淡路島がまじかに見える。

稚子ヶ墓山

墓標

稚子ヶ墓山墓標前から明石海峡大橋、淡路島の展望
「下山」
 予定より30分遅れで下りにかかる。縦走路と分かれる肘曲りから、またしても大岩・小岩のゴロつく道となる。昔は参道であったようで、ところどころに石畳の跡がある。周囲は樹林帯であるから道だけに岩があるのは不自然である。小川を渡ったところで突然地道となる。柏尾台団地に降りてきた。高級住宅地のようで、1区画が100坪以上もありそうな敷地に、豪華で洒落た建物が多い。メインストリートを下り、15:40バス道に出る。予定のバスはすでに出た後。次のバスまで30分以上あるので、箕谷駅まで歩くことにする。16:00着。振り返る丹生山系は夕日に輝いていた。

肘曲り

参道?を下る

柏尾台登山口

丹生山系縦走路を振り返る
文・写真・編集/HRY

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