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ハワイマウナケアの旅
すばる望遠鏡を訪ねて

2003年7月27(日)〜7月31(木)
トッキーズ9名
行 程
第1日 関空7/27 21:00→(ノースウェスト航空)→ホノルル(乗継)→(アロハ航空)→コナ7/27 13:40
     →ロイヤルコナリゾートホテル
第2日 コナ散策→マウナケア(すばる望遠鏡、星空観察)→ロイヤルコナリゾートホテル
第3日 コナ→(アロハ航空)→ホノルル→ワイキキ→ナイトクルージング→パシフィックビーチホテル
第4日 ホノルル発7/30 12:55→関空着7/31 16:00
1.すばるを訪ねて
 ハワイはマウナケアに通電ビッグプロジェクト「すばる望遠鏡」をたずねることにした。 メンバーは特機マスターズに18歳のリカちゃんとハナミズキが加わり9名。幹事は6月に退職したNさんである。Buy Melco 100活動に協力して、メルコトラベルにツアーを委託する。少々割高だが、お仕着せの買い物ツアーがないからいい。
 
<ハワイ島マップと航空機からのマナケア>
2.海抜4200m
 すばる天文台はハワイ島マウナケア4200mの高所にある。最高峰は4205mだが、正確なすばるの位置は4139mで富士山よりも高い。4駆で頂上まで登ってしまう。 現地駐在の通電Kさんからのインストラクションによると、日中気温5℃、気圧は地上の60%、酸素も薄く、防寒と高山病に要注意だ。その上ガイドブックには高血圧、心臓病、16歳以下入山禁止とある。 私はまさに不適格だが、ホームドクターから一応OKを貰った。心配なら携帯酸素もっていけと言われた。
 余談だが、いま疲労回復、頭すっきり、ストレス解消に携帯酸素がブームなのだそうだ。高山病に効果があるのか? ハワイ旅行というのに防寒着を詰め込まねばならず、大型のスーツケースを用意する。

  <現地地図とマウナケア>
3.出発
 関空からホノルル経由ハワイ島コナまで、NWとアロハ航空を乗り継ぐ。 関空の出国検査厳しく、スーツケースはX線を通した上でさらに鍵を開けて検査。手荷物は搭乗ゲートで再チェックされ、靴まで点検だ。以後すべてのゲートで靴まで脱がされる。
 NWは評判に違わず、足元の狭い古い機体で、スチュアデスも無表情で、通路のごみを足蹴りする。ぼさっとしていると、食事も飛ばされてしまう。それに引きかえ、アロハ航空は自由席で、体格のいいスチュアデスが多く、陽気だ。 関空7/27 21:00発で同日13:40椰子の茂るコナ空港到着。

 <コナ空港で>
 4.ハワイ島
 Big Islandと呼ばれるハワイ島は四国の半分ほどの面積で、他のハワイ諸島を加えたものより大きい。4000mを越えるマウナケアとマウナロアの両山を中心に、今も溶岩の流出するキラウエア火山がある。海底からの高さは10000mを越え、世界一の高山とも言える。
 空港は溶岩台地を整地してつくられ、ホテルまでの沿道は不毛の草原だ。 島の気候は貿易風の影響で多雨の東部と乾燥の西部に二分される。 コナ地区の海岸地帯はほとんど雨が降らないが、背後にあるファラライ山2500mの中腹は、適度な雨に恵まれ、住宅地やコーヒー園が標高300〜800mに存在する。

 <溶岩の草原地帯を行く、中腹に住宅とコーヒー園>
5.コナコーヒー
 阪神星野監督や桧山選手も案内したという日本人女性ガイドの車でロイヤルコナリゾートホテルに着く。
チェックインの待ち時間に、日本から派遣されたお兄さんがコーヒーの実演販売を始める。ホームシックにかかり、日本人観光客と話をするのが楽しみという。 ハワイ島のコーヒーは日本人が入植開拓したもので、現在600ものコーヒー園があり、コナコーヒーとして世界的に有名である。 安くはないが、早速お土産に買いこむ。

 <コナコーヒーの販売>
6.オーシャンビュー
 ホテルは空港から車で20分、カイルア・コナの町外れの海岸にあり、プール付きである。5階の部屋からは岩礁の海岸線と、終日雲に覆われたファラライ山の裾野が遠望される。 オーシャンビューは良かったが、二日目には天井からの水漏れで往生した。
 リムジンで町の中心部ショッピングセンターへ出かける。海岸沿いにレストランや土産物店が並ぶ。人通りも少なく、静かで日本人は少ない。白い花をつけるプルメリア、真っ赤なハイビスカス、年4回咲くというブーゲンビリア、ガジュマロの大木が南国ムードをかもしだす。 海上ではハングライダーが、岸辺では僅かの砂浜で地元の子供たちが波乗りに戯れる。

 <ホテルと部屋からの眺め>
7.コナ散策
 土産物やを覗きながら、ガジュマロの通りを散歩。ガイドブック片手のMさん指定のシーサイドレストランでサンセットを見ながらの夕食とする。 地ビールで乾杯、日本語メニューの適当な料理を頼む。見本が無いからどんなものが出されるか分からないので、上から順番に指差す。 小さなバケツに入った小エビのシュリンプが売り物のようだ。サンセットを期待したが、天気の加減で見えず。Mさんぼやくことしきり。 お土産にビアジョッキーのサービスだ。きれいに包装してあるが、結構な荷物になってしまった。

 <コナの通りとレストラン ババ・ガンプ>
8.カイルア・コナ風景

9.アロハシャツ
 翌日はどうしてもシュノーケルで潜るというMさんに付き合う3人組と別れ、町へ買い物に出かける。女性一人だけのアロハシャツ専門店に入る。
アロハシャツとは商標で、本当はハワイアンシャツというのだそうだ。日系ハワイ移民が日本人のために作ったのがルーツで、落ち着いた着物の柄が主流であったらしい。 ハワイにきたなと感ずるのは、椰子の木やビーチよりも、旅行会社や空港関係者のビジネスウエアであるアロハシャツを見た時だ。 タイガースファンのOさんはトラらしい動物柄のアロハを見つけてにっこり。念の為、Cat or tiger? タイガーを確認してget。 一方のシュノーケル組は海がめと友達になってきたとご満悦。

  <アロハシャツのお店で>
10.マウナケアへ
 午後2時、ホテルにマウナケアツアーの赤いフォードの4駆が迎えにくる。ガイド兼ドライバーの山本君は大阪出身、小柄でよくしゃべる。途中のホテルで夫婦連れを乗せ11名で満車である。  上空は雲が垂れ込め天気が心配だ。荒涼たる溶岩道路R19を北上し山間に入る。ワイメアからはR200サドルロードに入り、アメリカでも最大規模を誇るパーカー牧場の中を突っ走る。時々放牧の牛馬との衝突事故があるという。

 <パーカー牧場で休憩>
11.火の神ペレ
 標高1300m付近からガスの中に入るが、間もなく突き抜ける。ここは陸軍の演習場であり、砲の響きと遠くに硝煙が昇る。 標高1900mまで来ると、草原は黒々とした溶岩の平原に変わる。草木は一本もない。ここは火の女神ペレの支配するところだ。 南にマウナロアが、北にマウナケアが広大な裾野を広げる。

<溶岩の大平原を走るサドルロード>


<サドルロードからのマウナロアの全景>
13.マウナケア
 対するマウナケアは「白い山」という意味で、ハワイ諸島の最高峰で標高4205m、冬季にはスキーが楽しめる。海底からの高さは9966mで世界一高い山で4000年前に噴火を終えて、今は山麓には緑が広がっている。山頂一帯はハワイアンの聖地となっている。
北東貿易風の影響でマウナケアの北側2000m付近に雨雲を発生させ、ヒロの海岸線までの間に多量の雨を降らせる。そのため山頂一帯は乾燥した晴天となる。この気象条件が天体観測に絶好の条件をもたらす。山頂の晴天率は65%だそうだ。

 <サドルロードからのマウナケア、山頂までは見えない>
14.オニズカセンター
 サドルロードから別れ、いよいよマウナケアへの登りにかかる。道路は傾斜を増し、足元に溶岩の大平原がどんどん広がる。マウナケアの懐に入ってしまって山は見えなくなった。 天気は良好だ。
標高2700m、小山に囲まれてオニズカビジターセンターがあった。スペースシャトルチャレンジャーの事故で亡くなったハワイ出身日系人の宇宙飛行士を記念している。小屋の中には記念の品々のほか、ビデオを放映している。 すばる望遠鏡建設のビデオを放映中であった。

  <オニズカビジターセンター>
15.出迎え
 ここで大休止して高地に体を慣らす。夕食の弁当と味噌汁が配給される。数十人の観光客のうち半分以上は日本人だ。寒くなってきたのでジャケットを着込む。 現地駐在のIさん、Kさん、Nさんの出迎えだ。われわれメンバーと顔なじみで、みなさん元気そうだ。毎日、山麓のヒロから4000mの山頂まで4駆で通勤、ご苦労様である。 ツアーの中ですばる内部を案内してもらうことは出来ないので、記念写真を撮ってお別れする。

 <オニズカビジターセンターで一行>
16.銀剣草
 18:00、夕暮れが迫ってきたのでセンターを出発する。マウナケア山頂はまだ見えない。舗装が無くなり、ここから先は4駆車でなければ無理だ。
3100m地点で小休止する。銀剣草が黒い溶岩礫の中にたった1本ある。ヒマラヤとハワイの高山にしかなく、絶滅に瀕している。
マウナロアの東斜面は一面の雲海で、この下にヒロの町が広がる。 町の灯がこの雲海で遮られることが天体観測にも好条件をもたらす。

 <銀剣草と雲海>
17.高山病
 高山病に注意の高度になってきた。リカちゃんの様子がおかしい。ガイドが眠ってはだめだから、隣同士お互いにチェックするよう指示する。ハナミズキが眠気防止に飴をくばる。 駐在Kさんのアドバイスによると、深呼吸して息を止める動作を何回か繰り返すと少しは予防になるそうだ。密かに試してみる。

 <3000m付近を登る4駆車>
18.すばる望遠鏡
 3500m付近から再び舗装道路となる。砂埃を立てないためだろう。道路の両側の赤白ポールは積雪時の目印だ。この辺からは冬季にスキーができるそうだ。 持参のGPSが富士山の標高を越える。4000m地点で目の前に、天文台のドームが飛び込んできた。
すばるが見える。ドームの形が独特の四角形だ。すばるの下の広場に駐車する。車から降りるとき、一瞬足がふらついたが大丈夫だ。
猛烈に寒い、ダウンジャケットを借りる。すばるを背景に記念写真を撮る。 肝心のところでデジカメの電池がなくなる。懐で温めながら、だましだまし何とか持ちこたえる。

 <すばる望遠鏡>
19.サンセット
 車はさらに頂部を目指す。GPSは4170mを示し、すばるを眼下に見る。寒風吹き付け、手がかじかむ。仮設トイレにたちまち行列ができる。 ここからサンセットを見るのだが、いたたまれず車に入り込む。外気温は0℃ぐらいだとガイドさん。
19時。すばるのかなた、マウイ島の雲海があかね色に染まり、刻々とその色を変える。4200mからの夕日は圧巻だ。無言の時が過ぎる。

 <サンセット>
20.マウナケアピーク
 最高峰4205mは反対側にあり、この地点より高い。車道から歩けば10分もかからないだろう。砂丘のようなピークまで道が続いている。神聖な頂はすばるの影を映し、夕日で赤く燃えている。

<あかね色のマウナケアピーク>
21.ALMA計画
 マウナケア山上には各国13台の天文台があるが、ここは雪の女神ポリアフの支配するところである。ネイチャーにとっての聖地をこれ以上汚すことは許されない。 いま21世紀の宇宙探査プロジェクトALMA計画が進行中である。南米チリのアンデス5000mの高地に80台の電波望遠鏡を設置する国際プロジェクトで、日本も参加する。三菱電機も当社もこれをサポートしている。

<サンセットビューポイント>
22.スターゲージング
 山頂には日没までしか滞在できない。車のライトが観測の妨げになるからだ。ドームの天井が開きだすと同時に山を下りる。 3500m付近まで下り、舗装道路わきのスペースに入る。いつの間にか日本人ツアーの車2台が合流している。 足元の水平線から天空まで満天の星だ。雲と思ったのは天の川であり、まさに星雲である。星が少しもまたたかないのは、高空で大気の影響が少ないからだ。月が無いのに星明りで周囲が明るい。人工衛星が飛ぶ。 サーチライトで星空を照らしながら、西田ガイドによる星座の説明がはじまる。 北斗7星、北極星から始まり、ベガ・・・と続くが、稚拙な知識しか持ち合わせていない私にも分かるよう懇切丁寧に教えてくれる。南十字星は時期の関係で見えなかったが、本では全貌がなかなか見えないという、大きなさそり座が印象的であった。地上には天体望遠鏡がセットされている。 それにしても1時間近くにわたって見上げる首のだるさと足元の寒さに閉口する。 コタツに寝転がってみたいものだ。
23.火星接近
 再び星明りの道路を下る。 8/27は6万年振りの火星大接近であったが、帰路、東の空にオレンジの火星が輝きだす。ここからは下に見える。 まだ3000m以上の高所で、眠ってはいけないと再び注意される。2700mのオニズカセンターへ戻り休憩する。 ここでもスターゲージングが行われている。そのためセンター内は赤紫のライトで灯火管制している。 土産にすばるのTシャツと帽子を求める。結構な値段である。

  <すばるTシャツと帽子>
24.深夜ドライブ
 オニズカセンターを出発したのは既に22時に近かった。 深夜のドライブは時々車がふらつく。どうやら、眠ってはいけないと警告したガイド自身が居眠り運転をしているようだ。 眠気防止にハナミズキがしきりに話しかける。 アメリカ大陸で、和太鼓演奏をしながらの3年がかりのマラソン横断の話が始まり、今度はとまらない。 ホテルに到着したのは午前零時をまわった。また明日も山登りするガイドさんも重労働だ。それにしてもこの人しゃべりすぎである。

  <ガイド山ちゃん>
25.プルメリア
 マウナケアツアーが終わり、今日はコナを離れ、ホノルルに向かう予定である。ファラライ山は今日も雲に覆われている。海辺に臨むホテルのレストランには小鳥が舞い込む。朝食も目を離した隙に先につつかれてしまう。

 ハワイ花の御三家は香りのプルメリア、華やかさのハイビスカス、可憐なブーゲンビリアといったところか。コナでも庭や広場、道端など到る所に見られる。 プルメリアはキョウチクトウ科の木で、赤と白の花をつけ散歩道に香りを漂わせる。 レイや生け花には欠かせない。

 <白と赤のプルメリア>
26.ハイビスカス
 ハイビスカスはハワイのシンボルマークで髪飾りとして使われることが多い。 右側に挿せば未婚、左は既婚を意味するのだそうだ。

  <ハイビスカス>
27.ブーゲンビリア
 ブーゲンビリアは年4回も花をつけ、7色もあるそうだ。家々の垣根に巡らせれば、1年中花に囲まれて暮らせる。

 <垣根のブーゲンビリア>
28.ワイキキ
 ツアーの後半はオアフ島へ。ホノルル空港でで迎えの車に乗り、パシフィックビーチホテルへ。32Fの部屋はパーシャルオーシャンビューで、高層ビルの間にワイキキの浜辺がのぞく。  ハワイの観光客は1日7000人だったが、9.11テロ、イラク戦争で激減し、今でも4000人止まりだそうだ。日本人より米国本土からの観光客が多いとのこと。 コンビニでサンドイッチとビールを仕入れて、ワイキキの木陰でのんびりくつろぐ。これが一番だ。 シュノーケル組みはここでももぐりにこだわる。さっぱりだったようだ。

 <ワイキキの浜辺で>
29.ディナークルーズ
 最後の夜は、スターオブホノルル号でディナークルーズへ。半分以上は日本人観光客だ。海上から眺めるホノルルの夕暮れもまた格別である。バンド演奏や民族舞踊、最後は観客もダンスに興じる。 阪神グッズ持参のOさん、鉢巻姿で仲間入り。

 <ディナークルーズで>
30.アローハ
 マウナケアのすばる訪問と星空観測ツアーを終えて無事帰国する。
感動のツアーを企画した幹事Nさんと、お世話いただいたメルコトラベルの鎌田さんにお礼申し上げ、連載を終えることにします。お付合いいただきありがとうございました。 では皆さん、アローハ。

                                                
<ホノルルの夜>
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やまぼうし記

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