1.大連駅
ガイド氏から貰ったひまわりの種をかじりながら車窓を眺めているうちに、4時間はあっという間に過ぎた。
大連駅は、ロシア占領時代の1903年に開設されたが、当時は支線の小さな駅に過ぎなかった。日本占領時代の1937年、満州の玄関口として、上野駅を模して再建された。年々、乗降客が増加して手狭になったため、2001年から増改築工事が始まり、100周年の2003年8月に完成したという。
東京・上野駅は、かつて東北地方などから上京してきた人たちが降り立った場所だが、大連もまた、中国・東北地方から希望を抱いて憧れの大連にやってくる人たちでにぎわっている。
写真は大連駅 |
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2.美しい街
大連は港湾都市であり、中国屈指の国際貿易港である。帝政ロシアが計画し、建設途上で日露戦争に破れ、以降日本が引き継いで完成した都市といってよい。
その歴史は浅く、名所旧跡といえば、ロシアや満州時代の日本の建造物ではないだろうか。ロシアが遠方を意味する「ダーリニー」と命名し、日本が当て字で「大連」とした。 今は、人口500万のビジネスとリゾートの町といってよい。埃とスモッグの瀋陽から比べると明るく美しい街だ。高層ビルが林立し、表通りも裏通りも都会である。日本の関連企業が2000社、日本人6000名が在住する。日本の森ビルも進出している。
最近は人件費削減のため、コンピューター等のサービス拠点を大連に移し、大連在住日本人が電話回線で日本の顧客にサービス提供している所も増えているそうだ。
0120で始まるサービスセンターにあなたがコールしたとき、東京と話していると思いきや、実は中国と話しているかもしれない。
写真は労働公園双景台からみた大連の高層ビル群 |
3.大連ヤマトホテル
中山(ちゅうざん)広場は大連市街でもっとも広い広場で、ここを中心に放射状に道路が走っている。広場をはさんで、横浜正金銀行と向かい合って立つ大連ヤマトホテルは「満州国」の表玄関大連を代表するホテルとして1909年設立された。
現在は大連賓館と改称されたが、ピカピカの高層ビルの中で、その歳月を染みこませた重厚な外観は一際光る。
内部の作りはルネッサンス風で、大理石の床、高い天井と豪華なシャンデリア、2重窓に調度品・・レトロ雰囲気を充分味わえる。100年経っても古くささは全く感じられなかった。
写真は旧大連ヤマトホテル |
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4.満鉄本社
南満州鉄道株式会社、通称「満鉄」は、日露戦争直後の1906年、ロシアから引き継いだ鉄道利権をもとに発足した民間の鉄道会社である。だが、その実態は、鉄道経営に限らず、鉱山開発から、製鉄業、さらに水道、電気、ホテル業と幅広い分野におよぶ国策会社で、日本の「満州経営」の尖兵となった。
満鉄が営業を始めたのは1907年4月1日である。瀋陽から大連に本社を移した。今は大連鉄道有限公司になっている。建物前のマンホールの蓋にはM、Iの文字がデザインされている。
写真は旧満鉄本社 |
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5.旧日本人街
大連は日本人が夢見た理想都市で、街路のそこここに往時の建物が並ぶ。南に山を背負い、北の大連湾を望む斜面に高級住宅地が建設された。
バスは旧日本人住宅街を通りかかる。長い塀に囲まれて、日本風の住宅がいくつか並ぶ。庭のアカシアの大木が道路まで張り出している。今は誰が住んでいるのだろうか、一人の少年が屋根に佇んでいる。
ツアー同行の年配女性の住居はもうなかったそうである。
写真は旧日本人街の住宅 |
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6.建売住宅
バスは坂道を上り、日本人街の中心に止まる。そこにはカラフルでモダンな別荘風の新築住宅が並んでいた。言ってみれば、日本の住宅展示場の風景だ。
聞けば、旧日本人街を再開発してつくった建売住宅で、価格が日本円換算1億円もするため、誰も買えないそうだ。今は観光地の一部となってしまった。
土産物屋のお姉さんが羽の蹴鞠を買わんかと実演して見せている。
写真は1億円の建売住宅 |
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7.アカシアの大連
アカシアの大連とは小説の題名にもなった言葉だが、かって大連に住んでいた日本人の多くはこの言葉に郷愁を抱く。
アカシアにはハナアカシアとニセアカシアの2種類あるが、前者はかなり大木になり当時はこの木をアカシアといった。日本の多くはニセアカシアである。ニセとは偽物の意味ではなく学名である。
大連には現在2種類ともあるが、街路樹はほとんどスズカケ(プラタナス)にとって変わられた。ガイド氏によれば、台風の被害で軒並み倒れてしまったそうだ。今は、公園や古い住宅に一部残っているに過ぎない。
写真はアカシアならずスズカケの並木 |
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8.アカシアの街路灯
代わって登場したのがアカシアをデザインした街路灯である。黄色の柱に、電球がらせん状に108個も並ぶ。108とは煩悩の数か? しかし、しゃれた街灯はなかなか街にマッチしている。
写真はアカシアの街路灯 |
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9.大連港
海路でのアクセスが一般的だった戦前は、大連港は大連の玄関であった。帝政ロシアにつづく日本の進出によって、名もない漁村は満州の門戸として栄えるにいたった。
ロシアが一部建設し、日露戦争後は満鉄がその建設を担った。
7階建ての大連港務局屋上に案内される。ここは満鉄が建設した旧大連埠頭事務所で、船を下りた乗客がまず目にする建物である。駅舎よりも重要な大連の顔であった。
軍港というより、上海に次ぐ中国第2の貿易港とし発展して今日に至っている。
屋上からは港の全景と、市街の高層ビルが見渡せる。目を凝らせば、航空母艦?が浮かんでいるではないか。
写真は大連港、空母?が見える |
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10.星海公園
渤海に面した大連の南海岸一帯は岩礁で囲まれた景勝の地である。ここに人工海岸を造り、海水浴の出来るレジャーランドとした。大連きってのリゾート地として、当時の日本人に親しまれていた。
現在、この付近は星海公園と改称され、昔と変わらず今も大連市民に、また奥地から海を見に来る大勢の行楽客でにぎわっている。海を見下ろす観光ドライブウェイが走り、丘にはロープウェイがかかる。
現在の日本から見れば、珍しくはないが、人、人、人で一杯だ。露店で珍しいひまわりの種を買い求め、ぽりぽりとつまむ。値段を半分に値切る。
写真は星海公園の市制100周年千人の足跡で |
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11.高級料理
食事は、毎度回転テーブル式の中華料理で、見た目はほとんど変わらない。
昼の飲茶料理に続いて、今晩のメニューは海鮮料理だ。説明がないので何を食べているか分からないが、ひとつだけ黒く揚げた物体が目を引く。
えびのようでもあり、ちょっと縞模様が見える。皆さんそれぞれつまんで口に入れるが、まあまあの味だ。
ちなみにウェイトレスに名前を聞くが、発音では分からないので紙に書いてもらう。蚕(かいこ)の蛹(さなぎ)と書いた。結局この料理だけは、大量残すことになる。
写真は蚕の蛹のフライ |
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12.大連の月
ホテルは「スイスホテル大連」で、ビルの8Fまでは日本のマイカルのデパートが入っている。
毎晩反省会をすることになっているが、今晩は夜の街に単独で出かける。GPSがあるから迷う心配はない。
ホテル横から大連駅に通じる大通りは、歩行者天国で薄暗がりの中に古本やCDの露店が何軒も店を広げている。ぱらぱらめくってみるが中国語ばかりで中身は読めない。
広い車道をわたるのが一苦労だ。数名の中国人のグループの後について、車の間隙を縫う。失敗すると道路中央で立ち往生する。
昼間の行動でも、ガイド氏は道路横断にことさら気を使う。車優先社会で、横断歩道で人が渡っていても、割り込んでくる。中天に満州の月がかかる。
写真は大連の月 |
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13.勝利広場の夜
大連駅前の勝利広場は若いアベックや子供づれが多い。オープンカフェテラスもある。
夜店をのぞく。海岸リゾート地なので貝殻の土産物屋が目に付く。カメラ、双眼鏡、ライター等の貴金属類、薬きょうのようなもので作った戦車、ブランド品の帽子、シャツ、衣類が並ぶが信用できない。
地下を覗く。地下街というより地下道に店が並んでいる感じだ。9時を回ったら店のシャッターが下ろされ、地上に追い出された。地下道の出入り口も閉鎖されるのだ。通りのきらびやかなネオンサインと対照的に、大連駅は黒々と闇に沈んでいる。
写真は勝利広場の夜 |
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14.労働公園
3日目の夜は、昨日お土産に買った瀋陽特産の玉石枕で寝る。冷たく気持ちいい。
翌朝、ホテル眼下の「労働公園」を散歩する。最近、入場無料となったようだ。標高288mの山頂に立つテレビ塔を頂点に、中央にシンボル的存在のサッカーボール状の建物(大連市建築芸術館)のある巨大な公園である。山頂までリフトがかかり、そこからの市内の展望は秀逸で、必ず絵葉書に入っている。
園内は遊園地のほか、小広場、池、あずまやを配し、アカシア、スズカケの遊歩道が巡っている。5月下旬にはアカシア祭で賑わうそうだ。
瀋陽の中山公園と同様、大小沢山のグループがラジカセをかけ、太極拳や踊り、体操などに興じ、大賑わいである。
写真は太極拳等で賑わう早朝の労働公園 |
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15.水筆文字
太極拳のグループ横では、路上に箒のような大きな筆を使って水文字を書いている人々を見かける。漢詩のようである。しばらくすると乾いてしまうから何回も書き直せる。一方では少年がレンガの歩道にチョークで漢字を書き並べている。精神修養か習字か。見世物ではない。
写真は水文字を書くご夫婦 |
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労働公園全景
大連テレビ塔とサッカーボールのモニュメントのある労働公園 |
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16.大連市街電車
旅順は遼東半島の先端にあり、黄海をはさんで山東半島と向き合う港である。大連から約50kmを鉄道と高速道路がつないでいる。旅順という名前の由来は、明の太祖が1371年、海の旅を順調に、との願いを込めてつけられたものだそうである。
スズカケの並木とアカシアの街路灯が続く大連市街を走る。郊外へ伸びる市車が並行する。駅前を走る日本的な路面電車と異なり、最新型の電車だ。
市街地を抜け、ハイテクタウンを過ぎて、旅順南道路に入る。センターラインもピカピカの片側3車線の有料道路だ。あまり車はいない。沿道にきれいな住宅が並ぶかと思えば、路側帯をロバに引かれた荷車が通る。
写真は大連郊外の市電 |
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