韓国の旅(3)

■日程:2008.11.11(火)〜11.14(金)
■行先:大韓民国
■旅行社:阪急トラピクス 16名、現地ガイド
■行程
  第1日:関空…ASIANA航空…釜山→慶州(鮑石亭、大陵苑、せん星台、月城、臨海殿)
  第2日:慶州(石窟庵、佛国寺)→伽耶山海印寺→儒城
  第3日:扶余山城、白馬江→水原華城→ソウル(宗廟、ソウルタワー、明洞)
  第4日:ソウル(昌徳宮、市内)→統一展望台→仁川…ASIANA航空…関空

第3日 2008.11.13(木) 晴

扶余山城、白馬江 8:40〜9:50
扶余は百済最後の都だった。日本との関わりが深かった。唐・新羅の連合軍により660年に攻め滅ばされる。援軍として乗り込んだ日本軍勢がここで戦い敗れる(白村江の戦い)。百済滅亡時、多くの貴族や文人が日本に亡命し飛鳥文化のルーツとなったといわれる。
白馬江に臨む小高い山、扶蘇山は天然の山城で、百済の王宮がここにあったと言い伝えられる。山中には遊歩道がつくられ、その遺跡が残る。
突端には唐・新羅の連合軍に追い詰められた百済の官女たち3000人が白馬江へ身投げしたという百花亭と落花岩がある。その様はちょうど鮮やかな花びらが落ちていくようであったという。白馬江は黄海に注ぐ錦江の下流をいう。

扶余の町

朝霧の扶蘇山

山門から遊歩道が続く

扶蘇山の突端にある百花亭

落花岩から白馬江を望む

紅葉の遊歩道

官女の霊を弔う皐蘭寺

皐蘭寺から船着場を俯瞰する

白馬江遊覧船

白馬江

クドレ船着場

水原華城(世界文化遺産)13:00〜13:40
水原はソウルの南にある京畿道の道庁所在地。朝鮮王朝第22代に持ち上がった遷都計画で1796年に出来上がったのが華城だが、国王の死亡で計画中止、幻の都となった。城を取り囲む石積みの城壁は総延長5.5km、四大門、将台、砲楼、水門などの建築美と風景が調和している。蒼竜門から東将台まで城壁を歩く。

蒼竜門から東将台を望む

蒼竜門

東将台へ続く城壁

ソウル 宗廟(世界文化遺産)14:45〜15:20
朝鮮王朝歴代の王と王妃の位牌を祀っている。広い敷地内に正殿や永寧殿がある。正殿は19代の国王、王妃が、永寧殿にはその他の国王、王妃および死後王号を贈られた王族が祀られている。
塀、月台、基壇、柱、屋根など建築物の構成要素はきわめて単純で、反復と対称を基本とする空間構成をなしている。横に地の果てまで続くかのような廟庭月台は安定を、建物の前面に無限に続く柱は絶えることのない王位の永続を、水平に空の果てまで広がるかのような屋根は無限を象徴している。

正殿:19代の王・王妃の位牌を祀る

石畳は王・王妃の魂の通る道

正殿入口

永寧殿:その他の王・王妃の位牌を祀る
宗廟を出たところの道端で、毛筆で紙に漢文を書いているご老人がいる。立ち止まって覗いていたら書き終えた書をさしあげるという。いただいて眺めていると、老紳士が日本語で話しかけてきた。どこから来たのかなど・・・。過去の歴史認識から敵対感情を抱く韓国人が多いときいているが、どこか日本を懐かしむような口調であった。どういう人だったのだろう。

老紳士といただいた書

韓国の国鳥 かささぎ

ソウルタワー、明洞 19:00〜22:10
オプションで夜のソウルを散歩する。南山(265m)にたつソウルタワー(高さ230m)の展望台(標高360m)からソウル市街の夜景を、ソウル一の繁華街、屋台の並ぶ明洞(ミョンドン)を歩く。若者が多く、シニアは日本人観光客ぐらい。

ライトアップのソウルタワー(高さ230m)

展望台からソウルの夜景

明洞のステージ

安物の装飾品などの屋台が並ぶ

ベストウェスタンプレミア ソウルガーデンホテル

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