up 2015.4.25やまぼうし
丹波 名残のヒカゲツツジ 五大山から黒井城跡を歩く
白毫寺〜五大山〜三日月山〜ヨコガワ峰〜千丈寺山〜黒井城跡〜興禅寺〜黒井駅
日時:2015.4.21(火) 天気 曇り
山名:丹波市
    五大山(569.2m)、三日月山(541m)、ヨコガワ峰(363.8m)
    千丈寺山(346m)、城山(356.8m)
    1/25000地形図 黒井
同行:山歩会10名+2名
ルートタイム:歩行約10km
市島駅8:50→タクシ→白毫寺(9:05〜9:25)…尾根9:50…五大山(11:25〜昼〜12:05)…三日月山12:20…吹上13:00…ヨコガワ峰13:25…大野坂13:45…千丈寺山14:20…兵主峠14:50…西の丸15:02…城山(黒井城跡)(15:20〜15:40)…興禅寺(16:20〜16:35)…(反省会)…黒井駅17:10
Route Map 
ヒカゲツツジを求めて丹波白毫寺から五大山に登り、黒井城跡まで歩く。今年は開花が10日も早かったが、何とか名残の花を鑑賞することができました。コースは急激なアップダウンの繰り返しに厳しい山歩きとなりましたが、全員無事に踏破することできました。
「白毫寺」
 市島駅に山歩会総勢12名が集合する。自動改札がないのでICカードが使えない。窓口で下車証明書を書いてもらい、帰りの宝塚駅で精算しなければならない。思わぬ時間をとってしまった。予約したタクシー3台に分乗して白毫寺へ向かう。¥1500である。各々がストレッチングして簡単なミーティングのあと登山口に向かう。雨上がりなので木の根で滑らないよう、落石を起こさないよう注意する。
折角の機会なので白毫寺境内を覗いてみる。石門を入ると彼岸をつなぐ太鼓橋があり、仏教の守護神とされるインド孔雀が参拝者を出迎える。名物九尺藤はまだつぼみで見ごろは5月連休明けになるようだ。だれもいない。丹波の森の径と書かれた道標を少し登り獣除けゲートを開けて人間世界におさらばする。薄暗いスギ、ヒノキの林を登る。倒木で荒れたまま。道標はなく、なんとなく道と分かる所を登っていく。 道端にギンリョウソウがにょっきりと顔を出している。

白毫寺石門

インドクジャク

つぼみの九尺藤

倒木の登山道

ギンリョウソウ
「五大山」
 ひと汗かいて尾根筋に着くと道は明解になってきた。相変わらず倒木だらけだが、ところどころにコバノミツバツツジの花が残っている。右手の谷から登山道が合流してきた。道標には「芝生広場」と書かれているが、どこを指すのかさっぱりわからない。330Pを越えた所にも同じ道標があったが、手製の道標にエルム市島とあった。どうやら旧エルム市島の遊歩道であるようだ。通行できるかどうかはわからない。咋夏の豪雨や台風で、丹波の谷という谷は土石流で崩壊著しく、多くの登山道が通行不能となっている。今回のルートもネット仲間で地元の丹波たぬきさんからのアドバイスで設定したものである。

尾根道の旧エルム市島分岐点

五台山(左)と鷹取山
 尾根筋の道は急激なアップダウンを繰り返す。何度も頂上と騙された。右手にガスのかかった山は鷹取山、その奥は五台山である。雨こそ降らないが、天気がなかなか回復しない。何度目かのピークでクリーム色の花びらを拾う。あった!右(北側)の斜面にヒカゲツツジだ。昨夜の大雨と風でだいぶ散ってはいるが数本が花をつけている。今年は開花が早く4/10頃には満開だったようである。五大山に近づくにつれてその数を増やしている。コバノミツバツツジとの競演である。ロープの急斜面を登り、いよいよ頂上かと思いきやまたもやだまされた。もう一つ先のピークが五大山だった。後で数えてみたら白毫寺から6つのピークを越えてきたのである。花ばかりでなく野鳥の声も聞く。メンバーの一人、愛鳥家Nさんによると、キビタキ、オオルリ、コマドリ、カワラヒワ、メジロ、シジュウカラ、イカル、センダイムシクイ、ヤマガラ、トビを見たり声を聞いたりしたとのことでした。

ヒカゲツツジのお出迎え

6つのピークを乗り越えて

雨上がりのヒカゲツツジ
 三角点569.2mの五大山頂上に立つと360度の展望である。ただ北方の五台山方面はブッシュに遮られている。多紀連山、鋸山、三尾山、夏栗山、黒頭峰、松尾山、白髪岳、高山、西光寺山、向山、高見城山、白山、安全山、笹ヶ峰、千ヶ峰等を同定する。これから行く千丈寺山、黒井城跡は指呼の間である。少し早めだが昼食タイムとする。ベンチがあるのはいいが、公園のベンチそのもので興ざめである。昼食後愛宕山方面に少し歩いてみる。登山道の両側にヒカゲツツジが続き、満開時はさながらヒカゲツツジのトンネルとなるだろう。今日一の景観であった。

五大山から多紀連山、黒井城跡の展望

愛宕山へ続く径のヒカゲツツジ

頂上直下のヒカゲツツジ

五大山山頂(569.2m)
「大野峠」
 さて、黒井城跡に向かって下る。数十mも下るとスギ、ヒノキの林となり、もうヒカゲツツジは無くなる。コッペパンのような形をした三日月山541mまで15分。途中の境界石に幸世村とあるのはしあわせ村と読むのだろうか。いい名前だね。分水界の径の看板がある。ここに降った雨は一方は由良川となり日本海へ、もう一方は加古川となって瀬戸内海に注ぐ。三日月山からリョウブ、コナラ、コマツの自然林を緩やかに下っていく。ふかふか道で足腰に優しい。猪の掘り起こしを辿っていくと大きなぬたばが現れた。猪にとっては露天の大浴場と言ったところか。

五大山から三日月山を望む

三日月山541m

ぬたば
 標高300mまで下ったところに吹上という看板がありここに2つの水道栓が飛び出している。これ何のため?水源まで700mの表示がある。大野神社への分岐看板を右に見て再び登り返す。途中でルート唯一の展望の良い岩場があった。向山が正面に望まれた。ヨコガワ峰363.8mに到着する。林の中で展望はないが、傍らの松の木に立派な猿の腰掛がある。大野峠(標高230m)へはロープもある激下りだった。市島と春日を結ぶ峠は昔は牛馬も通ったであろう広い道である。五大山から約1時間20分の長い下りで隊列が伸びる。しばし後続を待つ。

吹上げの水道栓

ヨコガワ峰三角点(363.8m)

大野峠
「千丈寺山」
 目の前の見上げるような崖にロープがかかる。次の千丈寺山へはここをよじ登る。千丈寺山は黒井城の北の砦があったところで、大野峠からは簡単に登れないようになっている。天然の要塞なのである。体力のない人のために、エスケープルートを考えていたが全員何とかよじ登ることができてほっとする。本日一番の難所であった。小ピークを二つ越えて千丈寺山(346m)立つ。樹木に囲まれた小広場であったが少し離れたところから眼下に氷上高校や春日の町を望むことができた。次の小ピークを越えたところが兵主(ひょうず)峠で、黒井城跡まで500mの大きな看板がかかっている。あと一息だ。金属製の手すり階段が現れる。ハイカーのためにかけられたものであろう。西の丸広場に到着。以前は一面のワラビの原っぱだったが更地のようになっていた。

大野峠から急峻な崖を登る

ピラミダルな千丈寺山

千丈寺山346m

西の丸の土塁を下る

黒井城跡直下の猪ゲート
「黒井城跡」
 黒井城跡に最後の登りにかかる。急峻だ。敵がよじ登ろうとしてもこれではたちまち上から攻撃されてしまう。ここも天然の要塞なのだ。獣除けゲートを開けて飛び出したところが黒井城の西曲輪。土塁をかけ上がれば本丸広場である。保月城址(黒井城址の別名)の大きな石碑と広場の真ん中に城山三角点(356.8m)が立つ。360度の展望に思わず芝生に大の字になる人も。振り返れば、五大山や今日辿っきた山々が一望である。予定の列車にはもう間に合わないのでワラビを採るなどしてしばし休憩する。ただし家でみけやポチの待っているNさんは予定の列車に乗るべく急いで下山する。

黒井城跡本丸から本日のルートを振り返る(左から三日月山、五大山、右奥に五台山、小野寺山、手前ヨコガワ峰)

向山と春日黒井の町

黒井城跡本丸と城山三角点356.8m

黒井城跡(別名保月城址)で
黒井城跡で本日初めて人に出会う。地元の方のようでワラビのプレゼントを受ける。麓から黒井城跡までは誰でも登れるハイキング道が整備されている。二の丸、三の丸、東曲輪跡から赤門のある石踏の段と言われる曲輪の跡を経て登山口に下山する。

野づら積みの城壁

石踏の段の赤門

登山口
「興禅寺」
 黒井小学校前から春日局生誕の地興禅寺に立ち寄る。下館(城主が合戦がない平時に住んだ場所)らしく、堀と石垣と塀をめぐらせ、堅固な構えを見せている。立派な赤い門をくぐり、お福の「腰掛石」や「産湯井戸」を見学する。境内に咲いているオドリコソウにカメラを向ける。黒井駅に向かう途中のスーパーで反省会。1時間以上遅い次の列車に乗る。

堀をめぐらせた興禅寺

お福産湯の井戸

オドリコソウ

黒井の町から仰ぐ黒井城跡(城山)

黒井駅近くのスーパーで反省会

◇◇◇◇◇

「白毫寺」
天台宗五大山白毫寺。慶雲2年(705年)インドの僧法道仙人の開祖。本尊は薬師瑠璃光如来。入唐求法から帰路の際に訪れた慈覚大師円仁が山号を五台山と命名(後に五大山と改称)。持ち帰った五種鈴などの密教法具を伝えた。七堂伽藍が甍を競い最盛期には九三坊を擁したが、織田信長の丹波攻略で天正八年の明智光秀の焼き討ちで焼失した。しかしその後再興する。境内には彼岸の教えを現す太鼓橋のかかる心字池や枯山水の陰陽の庭園がある。また木々や花々は四季を通じて美しく、四月の桜、五月の藤やせっこく、秋の紅葉が見どころ。特に九尺藤は圧巻。(丹波市観光案内より)
「黒井城跡」
 典型的な戦国時代の山城跡として国の史跡に指定されています。黒井の町並みのすぐ北側にそびえる黒井城跡は、猪ノ口山にある山城で、標高356mの頂上の本城部分も含め、Y字形の尾根に沿って砦が築かれ、山全体が巨大要塞となっています。広さは周囲8kmにも及び、山中の至るところで曲輪跡や土塁、堀切りなど、戦国時代の遺構を目にすることができます。 黒井城は建武2年(1335年)に赤松筑前守貞範が山頂にとりでを築いたことに始まり、戦国時代の終わり頃、荻野(赤井)悪右衛門直正によって大改修が加えられ、現在の姿となりました。天正7年(1579年)に明智光秀の攻めにあって落城しますが、典型的な戦国時代の山城跡と高い評価を受け、平成元年に国の史跡に指定されました。 山頂からは春日の町を一望でき、晴天時には京都の愛宕山、丹波の大江山を望むことができます。(丹波市観光案内より)
「興禅寺」
 「春日局生誕の地」として知られる国指定史跡。徳川家光の乳母として有名な「春日局」は幼名をお福といい、春日局の名はこの春日の地で生まれたことに由来しています。お福の父・斉藤内蔵利三は明智光秀の重臣で、光秀が丹波攻めで黒井城を落とした後、その下館を陣屋に改めました。これが現在の興禅寺で、お福はここで生まれ、三歳までを過ごしています。下館とは戦国時代の城主が合戦がない平時に住んだ場所のこと。興禅寺は水をたたえた七軒堀や高い石垣・白壁など、当時の下館の様子をよく残すものとして、国の史跡に指定されています。境内には「お福の腰かけ石」や「お福の産湯の井戸」などがあり、江戸幕府を裏から支えた春日局の幼少期に思いを馳せることができます。(丹波市観光案内より)
やまぼうし

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