UP 2016.3.23やまぼうし
奈良 高取山
〜日本一の山城とひなめぐり〜
◇日時:2016.3.21(月) 晴れ
◇集合:8:40近鉄大阪阿部野橋駅
◇行先:奈良県高取町 高取山(584m)
◇参加者:MNC山歩会 18人
行程:
大阪阿部野橋駅8:50→壺阪山駅(9:37〜9:45)→(奈良交通バス\320)→壷阪寺前(10:00〜10:15)…五百羅漢(10:33〜10:45)…高取城壺阪口11:20…高取山山頂(11:45〜12:30)…国見櫓12:50…猿石13:05…大手道登山口13:30…砂防ダム公園13:40…植村邸14:08…ひな巡りメイン会場14:15…町屋カフェ(14:20〜15:30)・・・壺阪山駅(16:05〜16:23)→大阪阿部野橋駅17:10
  地図はこちら(歩行8km)
「壷阪寺から」
 高取町では「町屋のひなめぐり」の真っ最中。壺阪山駅で観光ボランティアガイドの人たちからひなめぐりマップをいただく。帰りの楽しみである。今日はお彼岸の3連休最終日、壷阪寺行きの臨時バスに乗る。2号車はMNC貸切である。15分ほどで標高300mの壷阪寺に到着する。壷阪寺は西国六番札所で真言宗の古刹、正式には南法華寺という。眼病に霊験あらたかなお寺で、浪曲「壺阪霊験記」の名調子『妻は夫を労わりつ、夫は妻を慕いつつ…』の”お里・沢市の物語”で知られる。今日は入山せず。簡単なストレッチングをして登山にかかる、といっても残り300m足らずの高さである。しばらく車道を歩き、壺阪峠の道標に従って登山道に入る。五百羅漢0.2km、高取城跡2.8kmの表示があり、消防署設置の標識は目標位置NO9である。

壺阪山駅前(高取はくすりの町)

西国六番札所 壷阪寺

壷阪寺からスタート、車道を登って行く

壺阪峠の道標

五百羅漢
「五百羅漢」
 山道を登って行くとすぐに五百羅漢である。道が二股に分かれ、左の遊歩道を行く。岩肌に無数の仏様が彫られている。千像如来、三尊弥陀、来迎如来・・・など無名のものもある。この石仏群は高取町観光案内によれば「1596〜1614年に本多因幡守が、高取城築城の頃、石工等に作らせたものだそうである。高取山一帯は白亜紀の花崗岩地帯で、花崗岩に彫られた石仏は、風化して苔むし、形が定かでないものが多い。「親に会いたくば、五百羅漢へ…」と言われますが、貴方に似た仏さんがありましたか?それがあなたのご先祖です。

五百羅漢
「高取城址」
 五百羅漢遊歩道を登りきると、傾斜が緩みスギ・ヒノキ林に入る。落葉道が足腰に優しい。やがて車道に合流する。休んでいると、手ぶらのお姉さんが我々を追い抜いていった。リュックに杖・登山靴はオーバーな装備だ。史蹟高取城址の石碑があり再び山道に入る。と思ったらまた車道に降りてきた。たくさんの車が路上に駐車している。車でここまで上がって来れるのだ。ここが城の入口で壺阪口である。高取城の案内板と縄張り図が掲げてある。
*高取城:南北朝時代、豪族の越智氏が築城するが、郡山城に入府した豊臣秀長の命により家臣本多氏により1585年大修築が始まる。本多氏以後、譜代大名の植村氏の居城となり、幕末まで続く。平地から高低差390mは、難攻不落という視点から日本一の山城。二の門より内が城内、釘抜門より内を郭内と区分するが、城内は周囲が3km、郭内は周囲が30kmの規模を誇り、標高583.9mの高取山全体が山城といっても過言ではない。また、大和盆地から眺める高取城は如何に壮大で美しい姿であったことか。”巽高取 雪かとみれば 雪でござらぬ 土佐の城”と城内の句碑に刻まれている。

高取城縄張り図 (案内板より)


スギ・ヒノキ林を歩く

高取城址石碑

壺阪口
 車道からお城に入ると、すぐに石垣が姿を現す。築城以前からあったようなシデの巨木がある。壷阪門口跡から木の階段を登り中門跡をぬけて大手門へ。巨大な石垣が幾重にも囲み壮観である。二の丸広場に出る。美濃岩村城、備中松山城と合わせて日本三大山城の説明がある。昼食後、この石垣の上で記念撮影する。本丸へと進み、石垣の上に腰かけて昼食をとる。天気良好、眼前に台高、大峰の山々が白く輝いて見える。一際とんがっている山は高見山である。至福のひとときを過ごした後、天守台の三角点にタッチ。帰路に国見櫓に寄り道する。その名の通り眼下に大和平野が一望する。大和三山はじめ遠く生駒、六甲の山並みが、大阪市街の一部も見える。

壺阪門へ

大手門跡

二の丸広場(マウスで説明板)

本丸へと進む

天守台から石垣を望む

天守台の三角点

本丸跡で昼食

本丸の石垣前で

高見山

白雪の台高・大峰山系

国見櫓から大和平野を望む(左から生駒、六甲、大阪市街、近くに大和三山)

春求め 老々男女 山城へ     幸生

「大手道」
 花見や紅葉の季節にもう一度訪れたいと名残を惜しみながら下山にかかる。明日香との分岐点に猿石がある。猿とも人間とも判別のつかない石造物は明日香村で掘り起こされ、高取築城の際、運ばれてきたものという。年代的には飛鳥時代の製作のものらしく、五百羅漢同様岩質は花崗岩という。七曲り、一升坂を下り、高取川の源流の橋を渡ると宗泉寺の分岐である。再び高取城址の石碑があり、これから先は舗装の車道となる。ほどなく砂防ダム公園で、トイレ休憩する。白のモクレン、ピンクのサクラ?、黄色のサンシウユ、田園風景の道は町並みに変わっていき、ひな飾りが現れる。

猿石

高取川源流

宗泉寺分岐 山道はここまで

砂防ダム公園
「土佐街道 町屋のひなめぐり」
 家老屋敷植村家長屋門を過ぎるあたりから格子戸の古い家並が現れ、城下町の雰囲気となる。札場の辻から先は土佐街道と呼ばれる。何で土佐なのか。6世紀の始め頃、大和朝廷の都造りの労役に召し出された土佐国の人たちが任務を終えて故郷に帰ろうとしたが、朝廷の援助が得られず、土佐に帰ることができなくて、ここに住みついたからだそうです。その後高取藩2万5千石の城下町として多くの人々が往来し、大和平野と吉野地方の文化の交流拠点として賑わったという。
 街道沿いのそれぞれの家がひな飾りを展示している。先祖伝来のものもあれば現代風のものもあり、その数91軒。ひなめぐりマップをご覧あれ。観光案内所「夢創館」は団体客でいっぱい。メイン会場となっている街の駅城跡(キセキ)に入る。高さ3mもありそうなひな壇に所狭しとお雛様が並ぶ。ガイドさんによれば、これらはあちこちから集めたものだそうです。一通り眺めたところで反省会はメイン会場の隣の「町屋カフェのこのこ」、満席でベランダのペット専用席を借りる。疲れを癒した後、ひな飾りを楽しみながら駅まで街道を下る。忘れてならないのは高取町は薬の町。石畳の道には薬草が描かれている。最後はジャンボひな飾り。予定より1時間遅れで帰路につく。

ひなめぐりマップ


家老屋敷 植村家長屋門

ひな飾りメイン会場 道の駅城跡(キセキ)

土佐街道の町並み

メイン会場のひな飾り

高取はくすりの町

町屋カフェで

ジャンボ雛

日の本の 誇り伝わる 雛祭り     幸生

参考ページ:高取町観光ガイド/高取観光ボランティアガイドの会

文・写真/平山、俳句/中村

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