up 2016.5.31やまぼうし
 武庫川 西相野谷中分水界から大川瀬を歩く
-古代の運河跡を訪ねて-
JR藍本駅〜武庫川曲り〜西相野〜大川瀬ダム〜東条川〜JR相野駅
◇日時:2016.5.14(土) 晴
◇行先:武庫川(藍本から大川瀬)
◇主催:エコグループ武庫川
◇参加者:64名

≪西相野 谷中分水界≫
行程:
JR藍本駅9:55→酒滴神社10:05→大安橋10:15→昭和橋10:30→いぼころり地蔵10:36→地下壕10:42→藍小学校11:12→西相野11:20→三本峠交差点11:35→烏帽子ヶ池11:50→東播用水路12:05→大川瀬ダム(12:20〜昼〜13:00)→大川瀬住吉神社(13:20〜13:40)→大滝13:55→つつじヶ丘北バス停(14:25〜14:43)・・・(神姫バス)・・・JR相野駅14:55   歩約12km
地図はこちら

「藍本」
 藍本駅に集合したのはスタッフを含めて64名。今日は藍本から西相野分水界を経て加古川水系の大川瀬まで歩く。見どころは武庫川と加古川の分水界、そして両河川をつなぐ古代運河の跡を探訪することである。郷土史研究家お二人が同行する。地元、日出坂洗堰の堰守の会会長M氏の見送りを受け、藍本駅をスタート、丹波街道を南下する。
 まずは酒滴神社にお参りする。神社前に鎮座している巨石は「転石」という。昔、大川瀬住吉神社と争った時に住吉神社から投げ込まれた石だという。福知山線踏切を渡り、武庫川堤防沿いを南下、昭和橋から曲りを見る。180度曲がるところに運河の取水口があり、秋谷を一直線に掘り込み、西相野の分水界から加古川支流の東条川に繋いだたというN女史の解説である。分水界との標高差は約20mである。歴史年代には武庫川は屈曲することなく、西相野を通って現在の相野川につながっていたのではないだろうか。遠くから離れてみると、秋谷はまさしく運河の様相である。秋谷は地形図上実線の道があるが、藍本側からは藪に阻まれ通行できなかった。

藍本駅で郷土史研究家の紹介

旧丹波街道を歩く(藍本)

酒滴神社に参拝

転石

昭和橋から武庫川曲りを見る

中央の秋谷は運河の跡(左:武庫川、中央:秋谷、右:福知山線)
「陸軍兵器工場跡」
 いぼころり地蔵から車道を西相野に越える途中、山腹に地下壕を見る。郷土史研究家K氏の解説では、旧陸軍の大阪陸軍造兵廠の疎開先の兵器工場の跡で、4本の壕があったという。藍国民学校が造兵廠の疎開先となっていて、近くに朝鮮人労働者の宿舎があった。発電所を建設し、機材を搬入する直前に終戦となる。調査が行われた1990年の新聞記事を掲載する(K氏提供)

秋谷口にあるいぼころり地蔵

地下壕(兵器工場跡)を見る

地下壕
「西相野谷中分水界」
 峠の住宅地風の森ビレッジを越えて、福知山線を渡ったところが藍小学校である。藍色の時計台と校章が一際目立つ。小学校の前あたりが分水界で、北東の流れは武庫川曲りに注ぎ、南西の流れは加古川水系東条川の支流に注ぐ。西相野の高台から南東方向を眺めると一面の水田が広がっているが、中央の水路は加古川という名称で東から流下する秋谷川と合流して東条川支流に注いでいる。写真の煙たなびくあたりから先は武庫川支流相野川に注いでいる。平成8(1996年)年の大水の時は田んぼが一面の川となり、大川瀬に向かって流れ出たという。西相野の大半は加古川水系なのである。東条川は武庫川に比べて河川勾配が大きいため、河川争奪で、将来は武庫川曲りあるいは相野川合流点あたりから加古川に繋がるようになるのではないかといわれている。西相野の分水界地図を参考にご覧ください。

分水界に建つ藍小学校

福知山線藍小学校前踏切から、西相野方向は上り坂

西相野谷中分水界を見る (中央道路左側が加古川で東条川支流に合流)
「池尻川 運河跡」
 西相野の県道141号線を歩く。東条川支流が道路を横切る。県道75号線(小野藍本線)が合流し、三本峠交差点から大川瀬方面に向かう。舞鶴自動車道高架下を潜り、藍浄水センターにかかる。左側(東)の山すそを東条川支流が流れその脇に幅の狭い田んぼが続いているが、これはまさしく運河跡である。今歩いている県道75号線は船曳道で牛に筏を曳かせていたと思われるとN女史の解説である。

県道141号線を横切る東条川支流(上流を見る)

県道141号線と75号線合流付近

舞鶴自動車道と藍浄化センター(県道75号線)

運河跡(舞鶴自動車道高架下から大川瀬方面)
烏帽子ヶ池を過ぎる。ここからは池尻川という名前がつく。東播用水路高架下にかかる。大川瀬ダム水を東播地区に送水する水管橋で、三木市呑吐(どんと)ダムに繋がっている。県道を離れ大川瀬ダムへ坂道を登る。この辺りをキノッピーの里という。道標に樹の妖精のキャラクターがついている。

烏帽子ヶ池

池尻川

東播用水路

池尻川はこの先で東条川に合流

キノッピーの里
「大川瀬ダム」
 大川瀬ダムが視界に入る。思った以上に大きいダムである。今田町に源を発する東条川が四斗谷川と合流するところ、V字谷となった大川瀬渓谷を堰き止めて造られたダムで、川代ダム(篠山市・篠山川)、呑吐(どんと)ダム(三木市・志染川)の三つが一体となって東播地区の農業用水、上水道を供給している。コンクリート重力式ダム。昭和45(1970)年着工、平成3(1991)年完工、平成4(1992)年使用開始。堤高50.8m、堤長164m、貯水量815万トン。東条湖の鴨川ダムとともに農水省管理。管理事務所前道路に座り込んで遅い昼食を摂る。当直の職員からダムのパンフレットをいただく。今日のために60部も取り寄せたとのこと。トイレも借用できてありがたかった。

大川瀬ダム

貯水面

上流の景観

下流の景観

ダム管理事務所

右岸からの景観

下流からの景観
「大川瀬住吉神社」
 ダム右岸を下る。三田レークゴルフ場への道と合流して間もなく大川瀬住吉神社である。裏口から境内に入る。住吉神社は、かっては神領地10万坪を持つ大社であったが現在は大川瀬の氏神となっている。本殿は文永2(1265)年の建立とされ住吉社の中で最古といわれ、国指定重要文化財である。舞殿は県指定文化財である。三田史研究家のN女史より、大川瀬住吉は播磨国椅鹿山(はしかやま)神領地の塚頭であったこと、木材を運搬するため東播磨(加古川)から武庫川へつながる運河網が造られたこと、加古川・武庫川の水運を見守る神様であったことなどをお聞きする。今、我々が歩いてきた道、すなわち藍本曲りから西相野、大川瀬はかつての運河網の一つであったのである。

大川瀬住吉神社(拝殿・本殿と相対する舞殿・長床)

住吉神社と運河について説明するN女史

住吉神社参道

住吉神社山門
折角の機会だからと、N女史の提案で東条川を下り、大川瀬渓谷の大滝まで足を伸ばす。風光明媚な高さ5mほどの滝は、かつての運河の堰であって、ここで筏を解体して陸揚げし、再び組みなおして流したといわれている。言われてみれば確かにここは運河の難所で筏を流すことはできそうにない。元の道を引き返し、つつじヶ丘北バス停から神姫バスに乗車、JR相野駅で解散する。今回の武庫川エコハイクは谷中分水界を歩くという当初の企画であったが、私にとっては古代の運河跡を歩くという歴史ロマンのハイクであった。N女史執筆の「住吉・椅鹿山神領地の研究」をしっかり読んでみたい。

東条川 大川瀬大滝

東条川
*本文作成に当たり「武庫川エコハイク」、人と自然の博物館小林文夫氏論文「三田盆地西部の谷中分水界」、芥川克子著「住吉・椅鹿山神領地の研究」を参考にさせていただきました。
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