up 2016.9.6やまぼうし
武庫川 有馬川支流の長尾川を歩く
神鉄道場駅~長尾川~赤松峠~あかしあ台~神鉄南ウッディタウン駅
◇日時:2016.9.3(土) 晴れ/同10.8(土)曇
◇行先:長尾川を遡る
     2.5万地形図 三田
◇同行者:武庫川エコハイクスタッフ 7名

≪長尾川 人形渡橋付近≫
行程:
神鉄道場駅9:30→鉄屋橋9:51→長尾橋10:17→大江橋10:39→熊野神社10:51→中国道高架11:07~六甲北有料道路高架11:18~人形渡橋11:44→長尾神社(12:10~12:45)→長尾川源頭(中国道高架下)13:05~有馬高原病院前13:11→有馬CC前13:34~アカシア台平谷川緑地13:50→神鉄南ウッディタウン駅14:18
ルートマップ (歩行約12km)

長尾川は延長6698mの二級河川。神戸市北区長尾町上津の赤松峠を起点として東流し、道場町塩田の道場小学校の下流で有馬川に合流する。標高差約100m。

「神鉄道場駅」
 神鉄道場駅からスタートする。西口前には山脇延吉翁頌徳碑(やまわきえんきちしょうとくひ)が建つ。道場生まれで,神戸電鉄および有馬鉄道の創設者であるとともに農村救済の政治家であった。東口には国鉄有馬線(S18廃線)の跡を挟んで赤松氏築城の松原城址(たんぽぽ城)がある。立ち入りはできない。
*有馬軽便鉄道(国鉄有馬線):大正4年に三田~有馬間の営業が開始され、1日7便13km弱を28分かけてのんびり走っていたが、太平洋戦争中、戦争に無縁な閑線と判断されて昭和18年営業休止となり線路等の施設は軍事物資輸送のため篠山線に利用された。以後復活されないいまま廃止となった。
*松原城址:別名たんぽぽ城という。たんぽぽは”つづみ草”ともいい、城主の娘が鼓の名手であったことによる。城主松原氏は三木城の別所氏に味方したため、織田信長軍の秀吉に攻められ天正7年(1579年)に落城した。この麓の道場川原村には秀吉にまつわる古文書や「太閤水」や「巻取りの飴」などの伝承が多い。

神鉄道場駅

松原城址(たんぽぽ城)

国鉄有馬線跡

山脇延吉翁頌徳碑
「長尾川下流」
 神鉄に沿って北上すると、長尾川を跨ぐR176号線の芝名橋に行き当たる。ここから長尾川を遡っていくことになるが、流れは600mほど下流で有馬川に合流する。最初の橋、「鉄屋橋」を渡って、左岸を進む。神鉄高架を潜り、「庄川橋」、「北向い橋」、「大北橋」にかかる。「庄川橋」付近では、掖谷川(ねぶたにがわ)、鹿の子川が合流してくる。北の段丘上には俳優渡哲也を輩出した三田学園の瀟洒な建物(国登録有形文化財)が見える。「大北橋」の北には多聞寺がある。曹洞宗の寺で木造毘沙門天立像、木造吉祥天立像(いずれも藤原期)、木造地蔵菩薩立像(鎌倉期後期)は国指定重要文化財であるが、本日は閉鎖され入門できなかった。交通量の激しい長尾東交差点を渡り、そのまま左岸を進む。「一之宮橋」を過ぎると水田地帯が広がる。早生(コシヒカリ?)はもうたわわに実をつけており、稲刈りも間近い。一段と背の高いイネは酒米の山田錦で、契約の印である幟がたなびいている。まだ穂をつけたばかりのようだ。

長尾川(R176号線芝名橋)

鉄屋橋

鉄屋橋から上流を見る

神鉄高架を潜る

交通量の多い長尾橋

一之宮橋から三田学園を望む

山田錦の里(一之宮橋、門前橋間)
「長尾川中流」
「門前橋」付近で長野川が合流してくる。「大江橋」で並行してきたR17を渡り、山裾の道を歩く。橋のたもとに長尾児童館、長尾幼稚園がある。「片山橋」を過ぎると、水田のかなたに二本の松の木と石碑が見える。熊野神社の参道口であった。参道は長尾川に架かる「熊野橋」を渡って真っすぐ神社に向かう。日陰の全くない炎天を歩いて来た者にとって格好の休憩場所であり、立ち寄ることにする。拝殿横には下上津公会堂があるが、閉鎖のままでトイレも使えない。境内から長尾川を挟んで南の丘に見える建物は神戸三田国際公園都市、神戸リサーチパークの一つ上津台住宅と神戸三田アウトレットモールである。
*案内板によれば、「下上津熊野神社は、創建年代は不明、天保15年(1844年)に再興、伊邪那岐命、伊邪那美命を祭神として祭り、昭和7年に改築された。五穀豊穣の秋まつりに踊る約300年の伝承を続けている「神楽・獅子舞」は神戸市無形民俗文化財指定。」

大江橋

熊野神社へ

熊野神社

熊野神社参道(中央は長尾川と熊野橋)
熊野神社で10分ほど休憩後再び炎天を歩く。神鉄道場駅をスタートして3.5km、長尾川の半分ほどは歩いたが、まだ全行程の1/3である。中国自動車道の高架を潜り、「今井橋」、「前田橋」を過ぎる。「前田橋」付近では喜入川(ぜんにゅうがわ)が合流してくるはずだが気が付かなかった。北六甲有料道路の高架を潜ると「佐空橋」。なんと読むのだろうと通りかかった農家の方に聞くと「さそらばし」といい、このあたりの字名だそうだ。左手(右岸)に福山運輸、キリンビール神戸工場の建物が見えてきた。左岸には古民家も散見する。「団子坂橋」、「下流田橋」、「火打坂橋」と続く。「人形渡橋」は、片側2車線の大きな通りで、車の往来激しく、横断は難しい。ここは迂回して人形渡南交差点を渡らなければならないだろう。「人形渡り」とはいわく因縁のありそうな名前だ。

中国道高架を潜る

北六甲有料道路を潜る

佐空橋付近

団子坂橋から上流を見る(左:工業団地、右:古民家、中央:下流田橋)

人形渡橋からキリン神戸工場を見る

人形渡橋(上流から見る)
「長尾川源流」
 「人形渡橋」からしばし右岸を進むが、やがて小橋を渡ってまた左岸に戻る。道路を挟んで、彼方に高坂池の堰堤が見えてきた。この辺りは田んぼのあぜ道を歩く。長尾川の流れも細ってきて、水路のようである。彼方の赤い鳥居は長尾神社である。ようやく日陰に入って昼食をとることができた。長尾神社の裏手は岩谷市民公園となっていて、岩谷公会堂があったがこちらも固く閉ざされ、トイレも使えない。
*「長尾神社は古代湖水の龍神を祀り、船着き大明神として崇められていた。岩谷の郷に大川瀬の住吉神社より分祀され、江戸時代には、上津畑荘八ケ村(岩谷・上津上・上津下・市原・簾・日西原・中大沢・上大沢)の惣社(産土神)であって、明治年間まで、この八ケ村が交代で秋祭りの当番に当たり、神賑いとして地車・獅子舞・相撲などを奉納していたが、明治40年頃に神領地の分配とともに岩谷村だけで祀ることになり昭和時代に現在地に各社を合祀し、鎮座社となる。祭神は水神である上筒男命・中筒男命・下筒男命のほか天照大御神社、素戔嗚尊命社、金毘羅社を祀っている。」管理は一之宮神社(案内板より)

流れの細くなった長尾川(高坂池堰堤を望む)

長尾神社鳥居

長尾神社(昼食)
長尾川は神社を取り巻くように流れていたが、やがて車道を暗渠でくぐり、中国道南側擁壁の側溝につながっていく。もう川のイメージはない。中国道北側にはため池群があり、これらの水は中国道を潜って側溝に合流する。したがってこれらのため池群が長尾川の源頭になる。ここは赤松峠であり、中国道赤松PAがある。赤松峠を境に、西側は加古川水系となる。源頭の標高は約240mである。
車道に茅葺の古民家がある。お隣のあかい工房さん(リフォーム業者)が管理しているようであるが、神戸市有形文化財の指定を受けている。中国道を潜り、有馬高原病院の急坂を登る。

長尾神社前を流れる長尾川

暗渠

茅葺古民家(神戸市有形文化財)

長尾川源頭部(左擁壁は中国道)

中国道高架トンネル
「あかしあ台へ」
 急坂を登りつめたところが有馬高原病院である。標高260mの高台からは南に六甲の山々、北に北摂の山々が展望する。神戸市から三田市へ、車道R356を北摂ニュータウンあかしあ台に向かって歩く。いつか、内神川源流を訪ねた時に歩いた道だ。R356から分かれて、あかしあ台方面の道をとる。巨大なタンクは西高区配水池で、門柱の脇に4等三角点がある。以前は草にうずもれて発見できなかったが、今日は周りを刈ってあり、その姿を見ることができた。有馬CCの前を通る。フェンス越しに広大なメガソーラーを見る。以前は宅地開発かと思っていたがメガソーラーであった。このあたり一帯はメガソーラーが多い。衛星写真で見ると。大規模なメガソーラーが4か所もある。三田市が推奨しているようだが、これは自然破壊だ。自然エネルギーを使ってCO2を削減、地球温暖化に貢献するというが、緑を奪ってかえってヒートアイランド現象を引き起こす。自然の美観を損なうのも問題だ。

中国道を潜る

有馬高原病院前バス停

西高区配水池前の三角点 点名上北谷262.4m

メガソーラー
有馬CC脇から丘を下り、天理教施設を経てあかしあ台住宅地に降りてきた。平谷川緑地で最後の休憩をとる。本日の行程で初めてのトイレがある。ニュータウンを歩くこと10分、終点の神鉄南ウッディータウン駅に到着する。歩行12km、5時間の道のりだった。

有馬CCのフェンスに沿って歩く

平谷川緑地トイレあり

神鉄南ウッディータウン駅
長尾川流域は開発の波にさらされ、緑の丘陵地は北摂ニュータウンや神戸リサーチパークの住宅地や工業団地に変貌、長尾川も3面張りの人工河川になってしまった。しかし、自然と調和した街づくりが行われたためであろう、まだまだ古民家があり、田園風景が残っており、実りの秋を楽しむ川旅となった。
やまぼうし

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