2017.9.16やまぼうし
丹波 武庫川もう一つの源流 松尾山から文保寺
■日時:2017.9.2(土) 晴/9.9(土) 晴
■行先:篠山市 住山から松尾山(687m)を経て文保寺
     地形図 2.5万篠山
■同行:武庫川エコハイクスタッフ6人
武庫川の源流は真南条川上流の愛宕山(648m)にあるが、もう一方の源流は古森で本流に合流する天神川上流の白髪岳と松尾山にある。今回は、武庫川エコハイクのスタッフに同行、住山登山口から松尾山(687m)に登り、文保寺に下る。松尾山は過去5回登っているが、文保寺へ下るのは初めてである。
ルートタイム
JR古市駅9:40→宗玄寺9:48→道標9:50→不来坂踏切9:52→水害復旧碑10:10→集坂10:15→尼歌碑10:22→住山登山口10:40→(寺谷林道)→林道終点10:55→不動の滝(11:23〜11:28)→阿弥陀堂跡(11:58〜昼〜12:30)→本堂・愛宕堂跡12:35→卵塔群(12:50〜13:05)→千年杉13:32→松尾山(13:40〜13:58)→肩越の辻(14:15〜14:20)→文保寺川(14:37〜14:42)→(文保寺谷)→白髪岳登山口14:52→文保寺本堂(14:57〜15:05)→仁王門15:15→参道口15:25→JR篠山口駅15:55
Route Mapはここ 歩行11.5km

≪住山から松尾山を望む≫
以下古市駅から松尾山への記録は過去の記録と一部重複しています。
「古市」
 JR古市駅に集合したのはスタッフ6名。天気は快晴、吹く風は涼しく秋を感ずる。古市駅は無人で標高211mは福知山線で最も高く、白髪岳・松尾山への登山基地となっている。今日はハイカーの姿はない。麓の住山まで車で乗り付ければ、約1時間歩かずに済む。今日は反対側へ下りるので歩くほかない。
 古市は大坂から但馬、姫路から京都への交通の要衝であり、宿場や問屋の町として繁栄していた。現在も国道176号線と372号線が交差する。駅前の道はくらがり街道と呼ばれた旧丹波街道で、かつては丹波杜氏が朝早立ちしてここを通ったという。街道を西に進むと、左手に宗玄寺がある。赤穂浪士の一人で槍の名手、不破数衛門の父母と二児が身を寄せていた寺で、毎年12月14日には義士祭が行われる。すぐ先の三叉路に「左大坂ありま、右はりま道」と記された真新しい道標と、道路元標がある。交通事故で破損してしまったものを修復したものである。

古市駅は無人

丹波街道(くらがり街道)の街並み
古市の道標
道標と丹波街道(正面丹波道、右大坂道、手前はりま道)
不来坂
 R372に出て踏切を渡る。この辺を不来坂(こぬさか)という。義経の軍勢が「播磨三草山」に向かう途中で、平家が待ち伏せしていると思ったのにやって来なかったので「平家来ぬ坂」と云ったと伝えられる。しばらく行くと土手に「名無木」の樹が立つ。義経がこの山の中腹にあった八幡神社に武運長久を祈願して突き刺したムチから芽が出て大木に成長、村人はその木の名前を知らなかったのでこの名となったという。実は東北に多い「ハルニレ」で、初代は寛永19年(1642年)樹齢459年で倒れ、今は4代目、平成23年植樹の幼木である。住山への道に曲がると、白髪岳の勇壮が見えてくる。白髪岳・松尾山ルートの案内板がある。

R372不来坂踏切

名無木はハルニレ

白髪岳の展望
「天神川」
 いつの間にか地中を通る川代導水路を跨ぐ。H4年、川代ダム、大川瀬ダム、呑吐ダムをつなぐ東播用水の整備により、従来ため池に頼っていた農業の安定と近代化が図られた。もう稲刈りが始まる田園風景は一見のどかに見えるが、実は昭和58年の台風10号の集中豪雨で山腹崩壊、橋流失、住宅浸水など甚大な被害を蒙った。水害復旧の碑には(しゅんすいしたくにみつ)とある。中国晋代の詩人 陶 淵明の四時詩からとったもの。天神川は三面張りの川となってしまった。

災害復旧碑「春水四澤満」

コシヒカリの刈入れが始まる(飛び出る虫を狙ってツバメが飛び回る)

三面張りの天神川
「住山」
 集(つどい)という集落を通る。義経軍がここに兵を集結したところからその名が残るという。三草山に向かう集坂がみえる。住山の集落に入る。谷あいの奥にあるところから元は「隅山」といったようである。平家が敗れた後残されて尼になり、住山に移り住んだ人の歌碑がある。「恋しくば尋ねても来む白髪峰隠れはあらじ住山の奥」。設置場所が少し変わっていた。正面にこれから登る松尾山が見えはじめる。結構急峻な山である。

集坂の案内

集坂方面

平家落人尼さんの歌碑

松尾山687mを望む
「登山口」
 大きな案内板があり、住山登山口(標高260m)に到着する。古市駅から約3.5km、1時間を要した。車なら登山口手前の路肩の草むらに20台分ぐらいの駐車スペースがある。登山口近くの草むらには駐車料金¥1000の看板が転がっていた。天神川は住山の最奥で松尾山を源とする寺谷川(右俣)と、白髪岳と松尾山の谷を源とするワン谷(鰐谷)川(左俣)に分かれる。 白髪岳の登山口はワン谷川を1.5km遡る。両山を周回するならば白髪岳からが順路である。

登山者に利用される駐車スペース

松尾山・白髪岳案内板と登山口(遠方の二股)
「寺谷川」
 我々一行は松尾山をめざして、寺谷川を遡る。寺谷林道は舗装からすぐに地道へ。茶畑を過ぎると、手入れの行き届いた杉林に入る。林道終点から沢沿いの山歩きとなる。難所の丸木橋にかかる。2本渡してある丸太は苔むしてつるつるである。自信のない向きは谷川を渡ること。倒木で荒れた渓谷を登る。流れを数回渡る。登山道から僅かに外れて、不動の滝に寄る(420m)。不動明王の滝ともいわれる落差25mの2段の滝で、行者達がここで身を清めていたというが、黒ずんだ泥岩を伝う流れは細い。滝の左手を、ロープに掴まりながら、ジグザグに登り、滝の上に出るが、せりだした岩壁と木の根の露出する巻き道は今日一番の難所である。

寺谷林道

林道終点

難所 丸木橋

不動の滝
難所
難所 ロープが頼り
「高仙寺跡」
 何度か丸木橋をわたり、急登したところが高仙寺阿弥陀堂跡(520m)である。スギの木立に囲まれた小広場は草が刈りはらわれ、礎石がはっきりと現れている。手入れされたのであろうかまたは鹿が食べたのであろうか、片隅に3体の石仏が佇んでいる。倒れかけた案内板によると、松尾山南側中腹には、大化元年(645)法道仙人開基、最盛期の鎌倉時代には七堂伽藍や25もの僧坊を持つ高仙寺があったという。今は南矢代の地に移転している。ここで昼食とする。案内板の地図によればここから松尾山山頂をパスして、肩越の辻へ行けるようである。愛宕堂の残る高仙寺本堂跡を経て卵塔群(540m)へ歩く。この間、急斜面のトラバース道は滑りやすく要注意だ。登山道を塞ぐ倒木を数本伐採する。卵塔群には55基の僧侶の墓が並んでいるという。周りを囲むようにシキミの樹がある。今日初めてハイカーに出会う。シニア夫婦、男性に率いられた若い女性5人連れ、単独男性、いずれも白髪岳から周回してきた人たちだ。歩行ペースが速いのに感心する。

阿弥陀堂跡

阿弥陀堂礎石

阿弥陀堂跡の3体の石仏

本堂跡(奥)と愛宕堂(左)

卵塔群
「松尾山」
 卵塔群から松尾山ピークに向け、最後の登りが始まる。標高差約100m、急傾斜でロープの手を借りる。露岩が現われると頂上が近い。ありゃ、仙の岩を見過ごしてしまった。千年杉といわれる樹齢400年ぐらいの巨木を過ぎて2段となった土塁を駆けあがると、松尾山(別名高仙寺山)頂上(687m)だ。酒井城址の案内板もある。戦国時代、ここには酒井氏治の山城があったが、明智光秀によって滅ぼされた。名残をとどめる山頂平坦面には、アセビ・イヌツゲ・モミなどが疎らに生えており展望はない。背伸びすると木立の合間から僅かに多紀連山が覗く。

千年杉

松尾山山頂(酒井城址)

文保寺への道標
「肩越の辻」
 頂上広場には白髪岳方面と文保寺方面への道標があった。実はここから文保寺への道があるかどうかわからなかった。地形図に記載はないのである。我々は文保寺方面の道標に従って、北東に伸びる尾根を進む。自然林の中の気持ちいい道であり、階段の跡も残っている。 しばらく下ると左から鐘掛の辻から白髪岳ルートの道が合流してくる。そして肩越の辻に出る。ここはベンチのある十字路となっていて、白髪岳、音羽山、高仙寺阿弥陀堂跡、文保寺方面への道が交差する。展望はない。音羽の谷は堰堤工事で2017年11月30日まで通行止め、同尾根道は通行可能の表示がある(訂正)。高仙寺阿弥陀堂跡への道は、その途中から見内を経て古市駅へ下ることができるのでエスケープに利用できそうである。一息入れて文保寺方面へ谷に向かって下る。明解な道だがスギ・ヒノキの人工林の中で、展望はなく、小石がごろごろ転がり歩きにくい。途中にベンチもあるから、過去にはよく歩かれた道だと思うが、ロープ頼りの個所があったり、谷筋近くの岩場の斜面の道は掴まるところもなく滑落注意だ。特に下りは危険である。今日第2の難所であった。

松尾山から肩越の辻への道

肩越の辻

文保寺への道

ベンチもあるがこの先ロープ場もある

文保寺川に降りる(左手が肩越の辻への道)
「文保寺谷」
 沢に下りてきた。流れは加古川水系篠山川、住吉川の支流で文保寺川。谷を文保寺谷と呼ぶようである。荒れており、谷道を塞ぐ樹木の枝を伐採しながら下る。瀬音はあるが樹木に隠れて流れが見えない。ところどころに白髪岳登山道と書かれた朽ちた看板があるというより転がっている。突然展望が開けた。前方に見えるのは多紀連山の西ヶ岳、三嶽のようだ。文保寺谷で展望があったのはこのポイントだけ。すぐに舗装の林道に飛び出た。ここが文保寺からの白髪岳登山口で、案内板が並んでいた。松尾山から約1時間、緊張が解けてほっとする。

覆いかぶさる木々の枝を伐採しながら文保谷を下る

藪を抜け出した展望ポイント

白髪岳登山口へ降りてきた

猪よけゲート(左下が文保寺本堂)
「文保寺」
 猪よけゲートをくぐると、文保寺本堂である。鐘楼と東屋があり小休止する。手すりの階段を下っていく。参道の左右には、林城院、真如院、大勝寺、観明院と嘗ての堂舎と二村(ふたむら)神社が並ぶ。トイレや駐車場もある。天台宗松尾山文保寺(しょうびざんぶんぽうじ)は大化元(645)年法道上人が開祖。天歴年間(10世紀半ば)戦火により焼失し、文保年間(14世紀初頭)再興され文保寺といわれた。その後戦国時代には明智光秀の丹波攻めの戦火で焼失、大正年間に再建された。楼門(仁王門)は篠山市文化財に指定されなかなかの風格である。

文保寺本堂

石段の上が文保寺本堂(左上は鐘楼)

参道左右に堂舎(右は大勝寺)

二村神社鳥居

二村神社(ふたむら)

文保寺楼門(仁王門)

振り返れば白髪岳

文保寺と二村神社の参道口

丹波栗
<登山道の花 >

マツカゼソウ

マムシグサ

ヤマジノホトトギス

センニンソウ
文保寺から約45分、日差しの照りつける中ひたすら篠山口駅へ歩く。古市駅から約11.5km、6時間余、思った以上に長い道のりであった。一週間後の9月9日が武庫川エコハイク本番だが、団体で歩くのはかなり厳しい。
武庫川エコハイク本番、スズメバチに襲われる!!
9月9日武庫川エコハイク本番はスタッフを含め59名の参加者であったが、本ページに記載した不動滝道の登りは団体では危険なので、ワン谷林道まわりで松尾山へ登ることに変更した。しかしながら、文保寺への下山途中でスズメバチに襲われ、救急車で6人が病院に搬送されることとなってしまった。重症者はなかったものの、この時期はスズメバチの活動期、このコースを歩く方は十分に注意してください武庫川エコハイクの記録はこちらです。
関連ページ:
武庫川源流 松尾山(2014.6.14)
武庫川もう一つの源流(2007.8.4)

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