UP 2017.11.11やまぼうし
六甲 逢山峡から古寺山
■日時:2017.11.5(日) 晴れ
     2017.12.9(土) 曇のち晴れ
■行先:古寺山(636m)
     1/25000地形図 有馬
■同行:武庫川エコハイクスタッフ7名
本ページは武庫川エコハイク「有野川源流地帯古寺山を登る」の下見記録である。神鉄有馬口駅からスタートし、有野川の支流奥山川を遡り、古寺山へ登り、神鉄六甲へ下山する。古寺山(ふるでらやま)はその名が示すように、平清盛ゆかりの多聞寺があったところである。現在は神鉄六甲駅の近くに移転している。言ってみれば本日の山歩きは多聞寺参りといったところである。本番はこちらです。
コースタイム:
神鉄有馬口駅9:50〜水難碑10:00〜専念寺(10:11〜10:18)〜山王神社(10:26〜10:35)〜東山橋10:56〜猪ノ鼻滝(11:15〜11:25)〜猪ノ鼻橋(11:45〜昼〜12:12)〜古寺山登山口12:23〜シュラインロード九体仏12:30〜古寺山登山口12:50〜(行者道)〜南峰13:12〜古寺山(13:25〜13:45)〜(観音道)〜六甲有料道路地下道14:20〜多聞寺本堂14:50〜神鉄六甲駅15:05
Route Mapはこちら
「有馬口」
 有馬口駅前を流下する川は有野川で、道場で有馬川に合流する。武庫川の支流としては2番目に長く約13kmある。駅前に架かる有馬口人道橋を渡ったところの水難碑を訪れる。昭和13年(1938)の阪神大水害でこの辺は山津波に襲われて死傷者4名、流失家屋14棟、農地の被害など多くの被害を受けたので山脇延吉翁が建立された。上流を眺めると、左から奥山川が合流しているのがわかる。今日は、奥山川を遡っていくことになる。

水難碑

有野川下流部

有野川上流部
 神鉄の踏切を渡って下唐櫃(からと)の集落に入る。地名の由来は諸説あるが、駅前の「布土(ののど)の森」の案内には、神功皇后が朝鮮から持ち帰った甲冑と雌雄一対の黄金の鶏を唐櫃(からひつ)に入れてこの地に埋めたとある。目の前の雄大な山は逢ヶ山722mで、頂部がフラットで布団をかぶったような姿が印象的である。山麓にはわずかながら茅葺の古民家が残っているのがうれしい。行く手に阪神高速の高架と古寺山636mが、振り返ればいつかエコハイクで登った高丸山508mを見る。

逢ヶ山722m

古寺山636m

高丸山508m
坂道を上がって専念寺を訪ねる。ここには「おしゃもじ地蔵」がある。すべてを救う(掬う)として信仰を集めており、たくさんのしゃもじが供えられていた。案内には赤松円心親子の供養塔があることになっているが発見できなかった。

専念寺おしゃもじ地蔵

専念寺墓地
次は山王神社の森に入る。創建年代は不詳だが、義経が一の谷の合戦を祈念して弓矢を奉納したという、また赤松円心親子が金幣を納めたともいう。境内は兵庫県環境緑地保全地域に指定されており、巨大なツガ、ツクバネガシ、カゴノキ、ヒノキ、エノキ、ヤブニッケイなどの古木が多い。

山王神社

山王神社本殿

山王神社境内のツガ
「逢山峡」
車道は阪神高速7号北神戸線の高架を潜る。車止めがあり、ここから奥は林道六甲森林線となる。右手を奥山川が流れる。舗装の林道を緩やかに上っていくと神戸水道局の建物があり、奥山川を一本の水管が跨いでいる。実は、千苅水源地の上水を延々鈴蘭台方面に送水しているのだそうである。東山橋は奥山川を跨いで、唐櫃台住宅地に抜ける道、本日の終点神鉄六甲駅へは近い。逢ヶ山への登山口があるはずだが取りつきがよくわからなかった。この辺りから上流が「逢山峡」と呼ばれる。長い林道歩きが始まるが渓流と紅葉の始まった木々に癒される。

林道 六甲森林線

古寺山

水管橋

東山橋から逢山峡の眺め

林道沿いの不動明王
猪ノ鼻小橋を渡る。橋の下が猪ノ鼻滝で、橋から滝は見えないが、手前から川に下ることができる。なかなかの壮観であったと聞く。仏谷、続いて茶園谷の分岐を左に見て奥山川から分かれて更に上がっていく。標高は500mを越えてきた。舗装から地道に変る。猪ノ鼻橋にかかる。この川は奥山川の支流の鍋滝川ということが地図からわかった。少し早いが、日当たりがいいこの辺で昼飯とする。本当は古寺山がいいが、シュラインロード口まで行くことになると遅くなってしまう。行程のほぼ半分の地点である。

逢山峡砂防ダム

猪ノ鼻滝

猪ノ鼻小橋(奥山川)

奥山川と別れて、標高500m付近

猪ノ鼻橋(鍋滝川)
「シュラインロード」
今日は日曜日。行楽日和で、家族連れが追い抜いて行った。ほぼ平坦となった道を10分も歩けば古寺山登山口である。テープと灰色の陶板の小さな表示があるが、意識しないと通り抜けてしまいそうである。ここまで来たらシュラインロード口まで足を伸ばした方がいい。登山口のすぐ先がシュラインロードへの分岐である。六甲山NOのついた公式の道標があり、シュラインロード前ヶ辻まで2.0km、神鉄六甲まで3.2kmとある。鳥居をくぐると裏六甲道路(ドライブウェイ)であり、目の前にシュラインロードの上り階段が見える。シュラインロードとは別名、唐櫃道(からとみち)。江戸時代の北摂と灘を結ぶ間道。道中の安全と行商の商売繁盛を祈願して、西国三十三箇所に因んで三十三体の観音石像を道沿いに建立している。明治以後、神戸外国人居留地の外国人たちが、この道をハイキングした際に、多くの祠にちなんで、シュラインロードの名を付けた。
車道を右折して50mほど先の下り車線にある九体仏を訪れる。ドライブウェイ工事の際、移動を余儀無くされた石像を一箇所にまとめたもので、1番から8番と番外とのことだが表示が消えて分かりにくい。また鳥居近くに三体の石仏があるとのことで、こちらもようやく探しだした。9番、10番、番外と思われる。

シュラインロード分岐

シュラインロード鳥居

シュラインロード登山口

九体仏
「古寺山」
古寺山登山口へ戻る。残ったメンバーが登山口の草刈りをしてくれていた。ありがとう。いきなりの急登が始まる。標高差は100mに満たないが、立木を掴み喘ぎながらの行進、ピークに至るまで途中何回も休む。行者道(裏参道)というだけのことはある。ようやくピークと思ったのは南峰である。枝道が多く、分岐ではルートをしっかり確認する必要がある。登山口にあった陶板焼きの表示が要所にある。しの笹の道を抜けると右手に明らかに寺院の跡と思われる広場が見える。ここに多聞寺があったのだろう。ようやく、巨岩の頂上636mである。修行岩、清盛の涼み岩など数個の岩がある。三角点はない。ここまではすべて森林の中で全く展望がなかったが、頂上から西に少し下った岩場から、西六甲の山々や神鉄沿線の住宅街が一望する。正面は分水界の神鉄大池駅だろう。山合いに続く住宅はいつかエコハイクで登った天ヶ辻への道に違いない。

古寺山登山口

行者道(裏参道)

古寺山南峰の道標

古寺山山頂(修行岩、清盛の涼み岩)

古寺山岩場からの展望
「観音道」
しばし展望を楽しみ、観音道(表参道)と書かれた道標に従って緩やかに下る。途中620m付近で上唐櫃道(脇参道)への分岐を見送り、右へ向かう。木の幹に書かれた表示がないとルートを間違う。やがてジグザグの急降下の道となる。こちらも立木をしっかり掴まないと危険である。515m付近の切り開きに展望地があり、神鉄沿線の街並みがぐっと近づく。鉄塔を過ぎると、車の騒音が耳に入る。眼下にファッションホテルが見えると地上は近い。堰堤を過ぎると高速道路である。地下道があるがチエンが掛かっていて関係者外立ち入り禁止である。そんな馬鹿な。高速道路を横断するわけにはいかない。しかもカーブで見通しは悪い。数人が道路を渡ったが危険極まりない。仕方なく、立ち入り禁止の地下道をくぐって対面に出る。ハイカーも関係者である。

観音道(表参道)

観音道の展望(神鉄大池駅周辺)

高速道の地下道を潜る
「多聞寺」
ため池や住宅の散在する道を駅方向に歩く。ここは地図がないと分かりにくい。GPSのお陰で迷い込むことはなかったが、途中で農作業の方に道を確認する。下羅谷橋で東谷川を渡り市街地に入る。有野川に出会い、神鉄踏切を横断する。有野川に架かる唐櫃橋を渡り、R15(有馬街道)の信号を渡ったところが多聞寺の山門であった。平清盛公祈願所とある。160段の階段を上ったところの本堂にお参りする。境内のかやの大木が神戸市名木に指定されている。階段の途中で、古寺山と逢ヶ山を望めるところがある。

古寺山を振り返る

有野川に沿って
多聞寺は真言宗の寺院。山号は六甲山。本尊は秘仏毘沙門天・吉祥天・善弐師童子。インドの渡来僧、法道仙人によって孝徳天皇の頃(645〜654)に開かれたと伝えられる。案内板によれば、現在の地より南東の古寺山に創建。平清盛が神戸の福原に遷都した際(1177〜1180)、古寺山が鬼門の方向にあたるので、新都の守護寺として大いに栄えたが、一の谷合戦後衰え、寛正3年(1462)古寺山から現在地に移転された。

多聞寺山門

多聞寺本堂

神鉄六甲駅
神鉄六甲駅に戻る。歩行時間は約5時間、GPSの距離は9.9kmを示す。古寺山は標高差約100mではあるが、かなりの急登であり、シュラインロードから車道を神鉄六甲駅まで歩くコースを地図に加えることとした。

関連ページ:有野川源流地帯・古寺山を歩く(武庫川エコハイク)  2017.12.9

山野草を求めて古寺山登山 2018.6.4

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