大荒れの千苅水源池西岸を歩く
三田駅〜光明寺〜千苅水源池西岸〜波豆〜西谷支所前
更新 2020.6.2/2018.2.7 やまぼうし
 ■日時:2018.2.3(土) 曇
 ■場所:千苅水源池西岸(三田〜波豆) 2.5万地形図 武田尾
 ■参加者:武庫川エコハイクスタッフ 8名(男6、女2)
ルートタイム
JR三田駅9:40→欣勝寺10:03〜山田川大前橋10:32〜光明寺10:54→(太陽と緑の道)〜武庫の台ゴルフ場トンネル(11:28〜伐採〜11:38)〜近畿自然歩道分岐11:45〜(近畿自然歩道)〜ザレ地ピーク11:52〜近畿道標(1)12:42〜昼食(13:05〜13:25)〜近畿道標(2)13:26〜波豆案内板13:45〜近畿道標(3)13:47〜千苅ゴルフ池(13:58〜伐採〜14:22)〜波豆案内版14:23〜(渓谷・伐採4か所)〜水源池西岸(15:10〜伐採〜15:26)→(迷走10分)〜峠16:10〜近畿道標(4)・石碑16:54〜普明寺参道(17:00〜17:11)〜普明寺橋17:15〜近畿道標(5)17:19〜波豆八幡17:24→清之瀬橋17:30→宝山寺17:46→西谷支所前17:57/18:09…(田園バス)…JR武田尾駅18:30
歩行約13Km(三田駅〜波豆八幡10km、波豆八幡〜西谷支所3km)   Route Mapはここ
千苅水源池は神戸市民の飲料水を確保するために大正8年に完成したダム。完成から約90年たった今でもその役割を果たし、神戸市へ水道用水を供給している。武庫川を歩くシリーズを続けているエコグループ・武庫川の千苅水源池西岸ハイクの下見に同行する。

明治43年帝国陸地測量部2万分の1地形図

平成12年国土地理院2万5千分の1地形図
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千苅水源池
神戸市の水道として、布引貯水池、奥平野浄水場、烏原貯水池に続いて大正8年に完成した貯水池。武庫川最大の支流である羽束川を堰きとめて造られた。池の面積112万u(満水時)、貯水量1160万m3、堰堤高42m、同長さ106m、池の周囲23Kmに及び、神戸市水道の13%を担っている。堰堤は国指定文化財で大正中期時点で最も高い水道用粗石コンクリートダム(Aランク)である。武庫川の総合治水を検討している武庫川流域委員会では、水源池の治水活用を提言している。

歴史

千苅の「苅(かり)」は「束(そく)」のことで、刈り取った稲の束数を表している。水源池で水没したところには「千苅」のほかに、「八百苅」の地名が見える。明治初期に神戸にコレラが発生し、水道を作る計画が持ち上がり、布引、烏原に続いて明治39年(1906年)に水量豊富な羽束川の千苅が候補に挙がった。明治43年(1910年)初めて水没を知った波豆集落では大騒ぎになり、堰の高さを下げるよう要求するも聞き入れられず、翌年工事着工。明治45年(1912年)波豆集落は村集会で対抗委員会を結成、堰高の半減や親水地域の減少を西谷村を通して神戸市に陳情したが、僅かに堰高の低減が受入れられただけ。大正3年(1914年)に住民の意向を無視して工事が強行され、土地所有者に用地買収価格と移転料を通知。価格値上げも応諾されず、ついに同年8月買収移転が総会席上で決定し、波豆村田畑、山林原野が収用される。大正8年(1919年)千苅堰堤竣工。さらに、大正15年(1926年)の拡張工事で堰堤20尺嵩上げが決定し、波豆村民の陳情もむなしく、昭和6年(1931年)に工事完了。結果、家屋22戸と23町歩の土地が水没した。(宝塚市史から抜粋)
2007.12千苅水源池東岸歩きの資料に同じ

桑原
 三田駅北口に集合したのは武庫川エコハイクスタッフ8名,寒波も一段落だがまた寒くなるとの予報である。まずは光明寺を目指して車道を東へ歩く。最初に訪れたのは桑原・欣勝寺。雷除けで有名。雷の子供が井戸に落ち、「助けてくれ」というのを、和尚は日頃から雷に迷惑をかけられているので、二度と桑原に雷を落とさないよう約束させて帰した。これ以降、「くわばらくわばら欣勝寺」といえば雷が落ちなくなったという伝承がある。最近もどこかのテレビが紹介しており、観光客が増えたためか本堂が新しくなっている。

欣勝寺山門 10:00

本堂が建替えられた

雷井戸
続いて感神社。鳥居から80段の階段を登る。古色蒼然の境内と本堂のたたずまいはなかなか趣がある。桑原感神社は京都八坂神社から分霊したと伝えられる桑原の氏神様。この神社の紋所は八坂神社と同じ「木瓜(もっこう)」紋。桑原ではきゅうりを食べると祟りがあるといわれ、食べなくなり、作りもしないという。三田には感神社が五社(桑原、山田、上青野、上内神、中内神)あり、祭神はスサノオノミコト。車道を右折して光明寺方面に向かう。山田川に架かる「大前橋」から、田園風景の中に浮かぶ羽束山の風景が秀逸である。

桑原感神社 10:23

古色蒼然とした感神社の境内

山田川と羽束山
「光明寺」
 光明寺と光明寺墓地公園と書かれた山門から長い上り坂を歩く。路傍に先日の雪が残っている。開園20年にもなるが墓地公園のお陰で、三田から光明寺までの道が整備された。登り切ったところ標高220mから少し下がったところが墓地公園で駐車場と管理事務所がある。曹洞宗永平寺直末寺の五鈷山光明寺は崩れかけた石垣の上に建っているが参拝する人もないような荒れ具合である。

光明寺・墓地公園入口 10:38

光明寺墓地公園中心 10:54

五鈷山光明寺
「太陽と緑の道」
 一服後、鏑射寺本面から伸びてきた「太陽と緑の道」を千苅水源池方面に向かう。「太陽と緑の道」は神戸市が設定した27のハイキングコースで、本コースはNO.1コースであったが千苅水源池西岸の崩落のため現在は廃止されている。お寺の東端の「千刈水源地」の看板から山中に入っていく。小さな流れを遡って行くとトンネルが見えてくる。上は武庫の台ゴルフ場である。しかしその手前は倒木が道を塞いでいる。想定していた通りで、各自商売道具の鋸や剪定ばさみを携帯している。早速伐採にかかる。10分程で伐採作業終了、通行できるようになった。トンネルは結構長く、足元も悪いので懐中電灯が必要である。トンネルから出てもネットが続き、2番目のトンネルを潜る。こちらは短い。道は下りとなる。やがて堰堤にさしかかるが、ここで道場から千苅水源池を上がってきた「近畿自然歩道(兼太陽と緑の道)」が合流する。千苅水源池方面通行止めの大きな看板が立てかけてある。2014年の大雨による土砂崩れでハイキングコースが崩壊したのであるが、現在も通行止めのままである。ネット情報によれば危険を冒せば通行できるとのことだが団体では無理である。(ダム放水路脇から山側を通るバイパス路ができた模様2020.3)

太陽と緑の道取付き 11:08

トンネル手前の伐採作業

トンネルNO.1

トンネルに続くネット

近畿自然歩道に合流(千苅水源池通行止め看板) 12:05

ザレ場
「近畿自然歩道」
 近畿自然歩道は堰堤の上を歩いて、次の山に取付く。本日最も急な道を四つん這いで登り、ザレ場に出る。周囲が開けるが、千苅水源池の対岸の山々が覗くだけである。その後アップダウンを繰り返す。水源地にそそぐ小さな流れを数か所横切る。道が怪しくなってきて踏跡程度になってきたが近畿自然歩道の道標(道標1)が出てきてほっとする。しかし、今度は踏跡も定かでなくなり、右だ左だと迷走を始める。ところどころに古いテープを発見するがそのあたりに道はなく、GPSが示すゴルフ池までの距離が縮まらない。近畿自然歩道に入って1時間以上を経過、13時を過ぎたので藪の中で昼食とする。もう一度地図を広げて現在地を確認する。目標とするゴルフ池より西側にいることが分かった。

藪の中の道標1 12:42

T字路の道標2 13:26

波豆方面案内の看板
早飯を食べて偵察に出かけたメンバーが、すぐ先に近畿自然歩道の道標があるのを見つけた。道は間違ってはいなかったのである。東西に延びる広い道に出くわし、そこに道標(道標2)があった。帰宅後地形図を見ると、西に伸びる一方の道は武庫の台ゴルフ場と千苅ゴルフ場の間を横切って光明寺につながっているのを発見した。これを通ればかなりの短縮である。ルンルン気分で広い道を東進すると倒木である。伐採作業後さらに広い道を進むとゴルフ場脇に出て、そこには立入禁止柵と波豆方面の案内がある。次いで道標(道標3)がありゴルフ池に出てきた。ところがゴルフ池は立ち入り禁止で池端を通る道は笹薮で、うっかりすると池にスベリ落ちそうである。山側の道を切り開いたりしながら通過にかなりの時間を費やした。

道標3

ゴルフ池 立入禁止 13:58

ゴルフ池波豆方面案内看板
「ゴルフ池〜千苅水源池西岸」
 千苅水源池西岸に下る谷道にかかる。大荒れで、谷の右岸の道が崩壊している。左岸にテープを発見して渡りたいが、谷が深く渡れそうなところがない。それでも何とか左岸に渡って下ると谷底に下りる。谷を塞ぐ倒木が続く。伐採して道を切り開くまで悪戦苦闘。谷道300mを下るのに45分を要した。すでに15:00を回り、当初予定の波豆八幡発バスには全く間に合わないばかりか16:48発の最終バスに乗れるかも心配になってきた。まだ道半ばだ。湖岸道路もまたまた倒木が道を塞ぐ。

谷上部 14:23

谷を塞ぐ倒木

次々と現れる倒木

道を切り開く

湖岸へ下る 15:10
「西岸歩き」
 倒木処理はほどほどにして湖岸の道を急ぐ。次の目標は峠であるが、いつの間にか谷筋に迷い込む。分岐に気づかなかったようで自然歩道に戻るのに10分ロスする。GPSもしっかり見る余裕がなくなっている。画面が小さいのも難点である。切り立った岩壁の下を、また入江を回り込みながらの湖岸道路は湖面ぎりぎりに迫り、足を滑らせると湖にドボンである。

千苅水源池が見えてきた

峠 16:10

峠下の岩壁を歩く
竹林にさしかかる。左の谷沿いにヤブと化した旧三田街道の面影をみる。近畿道標と石碑が立ち、石碑は「奉大峰山上三十三度供養 左京あたご」と読める。竹やぶを抜けると前方がぱっと開け、畑地に出る。白壁の民家を抜けると普明寺参道である。

竹林の道 16:47

旧三田街道分岐にある道標 16:53

「奉大峰山上三十三度供養 左京あたご」
「普明寺」
 すでに17:00を回り、普明寺に立ち寄る時間がない。普明寺は源満仲の第4子頼平が阿弥陀如来を祀り出家して満照と号したところ。寺宝として有馬馬の頭が龍馬神として祀られている雨乞いの寺。お寺には、千苅水源池建造の歴史に隠れて、昭和21年に起こった西谷女学生水難事故の墓碑があるという。宝塚てくてくの記事をここに紹介する(こちら)

竹林を出ると波豆の集落が見える

普明寺参道 17:00

普明寺橋と羽束山
「波豆〜西谷支所」
 水源池に架かる普明寺橋を渡り、車道に出る。普明寺参道の石碑があり、傍らの近畿自然歩道の道標には、道場駅まで8.3kmとある。波豆八幡神社山門前は17:25で宝塚行最終バス16:48はとうに出てしまった。後は西谷支所まで3kmの道を歩き武田尾駅行18:09のバスに乗ることだ。夕暮れ迫る清之瀬橋から一方通行の車道を宝山寺へ上り、素戔嗚命神社から支所前についたのは18:00近く。何とかバスに乗ることができた。

普明寺参道

波豆八幡神社 17:23

千苅水源池

夕闇の西谷支所前 18:00
千苅水源池西岸道路は想定外の荒れようで、道を何とか切り開いたものの団体が歩くことは危険であると全員の意見が一致、他の予備案に変更することになった。本日は全くのボランティア活動になってしまったが、一般のハイカーが通れるようになったことと思う。
関連ページ: 千苅水源池西岸を歩く 2009.12.12

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