up 2019.3.22HRY
 生駒 高安山・信貴山
信貴山口駅〜高安山〜信貴山(雄嶽)〜朝護孫子寺〜王寺
日時:2019.3.18(月) 天気 晴
行先:生駒山系
    高安山(487.4m)
    信貴山(437m)
    1/25000地形図 信貴山・生駒山
同行:MNC山歩会17名(男6、女11)
ルートタイム:
近鉄信貴山口駅9:35〜法蔵寺9:48〜登山口9:53〜(おお道越えコース)〜展望休憩所10:24〜開運橋10:55〜高安山レーダ11:03〜高安山三角点11:12〜高安城倉庫址11:30〜鉄塔#57 (11:40昼12:10)〜信貴山(12:41〜12:58)〜朝護孫子寺(13:18〜13:28)〜仁王門14:00〜ケーブル跡14:09〜信貴山下駅14:52〜JR王寺駅15:18     歩行約11km
Route Map
近鉄信貴山口駅からおお道越えルートで高安山に登り、信貴山朝護孫子寺へ下る。高安山は7世紀に唐の攻撃から奈良の都を守るために要塞が築かれたところ。信貴山は戦国時代、松永秀久が城郭を築いたところで朝護孫子寺は国宝・信貴山縁起絵巻と張子の大寅で有名。群生するアオモジが青空に映る生駒山地、歴史を偲びながらの山歩きです。
「おお道越えルート」
 近鉄信貴山口駅にはMNC山歩会の健脚者が集合する。一日おきに天気が変わるこの頃だが、昨日の雨もあがり、今日は絶好のお天気である。ケーブルで登る3名とは高安山レーダーで待ち合わせることになっており、14名がケーブルと平行する「おお道越えルート」を歩いて登る。まずは登山口下の法蔵寺を目指す。急傾斜の道に沿った民家の垣根にはサンシウユの花が真っ盛り。目立つピンクの花は梅だと農作業中のおじさんに教えてもらう。進行方向仰ぎ見れば高安山のレーダードームが、振り返れば眼下にアベノハルカスが霞む。法蔵寺を左に見てすぐに登山口の道標がある。薄暗い森の中、えぐれた道の急登が始まる。地図の等高線が示すとおりだ。。昨日の雨で足元がぬかり滑りやすい。衣服調整、10分も歩けばまた休憩だ。尾根上の所々で展望が開ける。30分も登っただろうか、傾斜も緩んだところ、ほぼ中間点にある休憩所に立ち寄る。朽ちた藤棚の下にベンチがおかれている。周囲は荒れ、立ち木や高い藪で展望はさえぎられてしまっているので休憩はあきらめる。しかしあたりに白い幹のツバキ?が群生している。よく見るとサザンカと名板がついている。 街中で見る山茶花と大分イメージが違う。アオキの群落を通り、再び急登すると稜線上の開運橋の下にでてきた。急登1時間半、覚悟していた道だが、皆で自然観察をしながらわいわい歩くと案外楽なものである。

法蔵寺を目指して、サンシウユの道を登る

振り返ればアベノハルカスが

登山口

えぐれた道の急登

ガレ場

荒れはてた休憩所

稜線上の開運橋が見えてきた

開運橋
「高安山」
 高安山レーダではケーブル組が待っていてくれた。総勢17名となった。小休止して高安山に向かう。二等三角点のある頂上487.4mは立ち木に囲まれて展望はないが、狼煙台があったといわれている。頂上から下ると生駒縦走歩道と分かれて信貴山への道標がある。信貴生駒スカイラインを横断して間もなく、高安倉庫址の案内表示に従って左手へ進むと行き止まりの小広場に礎石が並んでいた。調査によれば、倉庫は1号棟から6号棟まであり、籾や塩を備蓄していたという。発掘された土器から720〜730年代のものと推定される。遠く生駒山頂や奈良盆地が展望する。

高安山レーダ

高安山山頂

信貴生駒スカイライン

高安倉庫址

礎石
「アオモジ群落
 気が付けばあたりは淡黄色の花をつけたアオモジでいっぱいだ。足元にも実生がすくすくと育っている、元の道に戻って火の用心看板を左に進むと、10mもあろうか背高いアオモジの並木だ。見上げる青空に黄色が映える。行き当たりの送電線鉄塔のまわりにもアオモジが群生している。少し早いがアオモジに囲まれてのお弁当とする。

アオモジの並木

青空に映えるアオモジ

アオモジの花

鉄塔下、アオモジに囲まれて昼食
アオモジ:
 クスノキ科ハマビワ属、同じクスノキ科のクロモジ属クロモジに対し、枝が緑色を帯びているところからアオモジと呼ばれ、芳香があることから爪楊枝の材料とされる。成熟した果実はレモンのような香りと、辛味があることからショウガノキの呼び名もある。広がった小枝に、葉に先立って淡黄色の花を房状につける。白い総苞に包まれた花被片は6枚ある。雌雄異株で雄花は大きく花数も多い。発芽・成長力が強く、関西では泉南、生駒の造成地や送電線鉄塔周辺に群生する。
「信貴山」
 木漏れ日の林を歩き、登りつめたところが信貴山城址(433m)である。奉納の赤い鳥居が続く参道を登ると空鉢護法(くうはつごほう)堂がある。空鉢護法堂には信貴山縁起絵巻にも描かれている巳の姿(竜神、難陀竜王)で出現される空鉢護法の神を祀っている。社務所の店先に並んでいるお酒と生卵のお盆は巳(白蛇)へのお供えとのこと。境内から二上・葛城・金剛の山々や眼下に奈良平野が展望する。

木漏れ日の林を歩く

信貴山城址

空鉢護法(くうはつごほう)

信貴山頂(雄嶽)空鉢護法堂からの展望
「朝護孫子寺(ちょうごそんしじ)」
 空鉢護法堂への参道を下る。奉納の鳥居や一願成就の幟が続く。20分ほどで朝護孫子寺多宝塔へ降りてきた。毘沙門天王を祀る本堂に参拝する。正面の扁額の両側は天王の使いとされる百足である。足の数は?35対?境内からは遠く白雪をいただいた山々が見える。台高、大峰山系と思われるが、後で調べたところ高見山であった。大寅の前で集合写真を撮影する。聖徳太子が朝敵を征伐せんとこの山で戦勝祈願すると、にわかに毘沙門天王が出現し、必勝の戦法を授けられたことを得て創建したと伝えられる。毘沙門天が現われたのが寅の年、寅の月、寅の日、寅の時刻だったというゆかりから寅の日が縁日で、縁起物は寅になったという。

空鉢護法堂への参道

朝護孫子寺本堂から堂宇群を見る

毘沙門天を祀る朝護孫子寺本堂

大寅前で山歩会一行
 開運橋まで下りてきた。橋の上で、バンジージャンプに遭遇する。若い女性がまさに飛び降りんとしている。落差30mぐらいだろうか、固唾をのんで見守る中、絶叫を上げながら飛び降りていった。実際に見たのは初めてである。1回¥9000は高いか安いか。バス帰着組と別れて仁王門から門前町を下る。縁日は混雑するだろうが今日はシャッター通りだ。ケーブル跡を下る。一直線の道は千本桜通りの名があるが、今は早春の草花観察道路だ。スミレ、キラノソウ、クサイチゴ、ネコノメソウ・・・。高校前から再び一直線の車道下り。信貴山下駅で解散のつもりがJR王寺駅まで歩くことになった。大和川を渡って王寺駅まで、朝護孫子寺から1時間20分の道路歩きはつらかった。有志5人の反省会でのどを潤す。

バンジージャンプ

仁王門

ケーブル跡道

近鉄信貴山下駅へ

大和川を渡って王寺駅へ
好天に恵まれ、自然と歴史に触れる山旅だった。アオモジを案内いただいたM女史に感謝申し上げます。ありがとうございました。
−歴史−
高安城跡
 西暦667年天智天皇が対馬国金田城、讃岐国屋島城とともに築造された古代の山城。白村江の戦後、百済領に進出した唐の勢力の侵攻に備えたもの。当時畿内の田の税である籾と塩を倉庫に貯蔵した。城域は高安山から信貴山にかけての山地に広がる。大阪府側の急ながけは自然の防塁、高安山頂は高安烽跡、奈良県側の緩傾斜地には倉庫跡の礎石群がある。(碑文より)
信貴山城址
 標高433mの信貴山雄嶽(おだけ)を中心とする山城で、東西550m、南北700mに渡って120以上の郭を配し、奈良県下最大規模を有する中世城郭。空堀の切り通し堀、土塁、門等の城郭跡が良く残り、特に高櫓跡は著名で、中世末、織豊期(しょくほうき)直前の山城跡として保存状況の極めて良好な例で貴重な遺跡。信貴山は古代より河内と大和を結ぶ要衝地(ようしょうち)として幾たびか築城が繰り返された地である。古くは、天智朝における高安城中心地域となり、中世には護良(もりなが)親王が鎌倉幕府軍への対抗拠点とするなど戦略的に重要な位置にあった。その後、戦国時代に木沢長政、松永久秀が築城入城し、大和を抑える本格的な山城として整備される。天正5年(1577)、松永久秀が織田信長に背き、大軍の総攻撃を受け50日間籠城、10月10日に落城。その後、廃城となる。(案内板より)
朝護孫子寺
 今から1400余年前、聖徳太子は、物部守屋を討伐せんと河内稲村城へ向かう途中、この山に至りました。太子が戦勝の祈願をするや、天空遥かに毘沙門天王が出現され、必勝の秘法を授かりました。その日は奇しくも寅年、寅日、寅の刻でありました。太子はその御加護で勝利し、自ら天王の御尊像を刻み伽藍を創建、信ずべし貴ぶべき山『信貴山』と名付けました。以来、信貴山の毘沙門天王は寅に縁のある神として信仰されています。醍醐天皇の御病気のため、勅命により命蓮上人が毘沙門天王に病気平癒の祈願をいたしました。加持感応空なしからず天皇の御病気は、たちまちにして癒えました。よって天皇、朝廟安穏・守護国土・子孫長久の祈願所として「朝護孫子寺」の勅号を賜ることとなりました。また、朝護孫子寺は、「信貴山寺」とも呼ばれ、多くの方に親しまれています。信貴山境内案内図(信貴山案内より)
You Tube(スライドショウ)はこちら
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