up 2020.2.15
やまぼうし
丹波 武庫川もう一つの源流
波賀野川から大沢ロマンの森を歩く
古市〜波賀野川源流〜肩越の辻〜音羽山〜大沢ロマンの森〜篠山口
日時:2020.2.1(土) 晴
山名:音羽山(530.5m)、火とぼし山(501m)、奥谷山(422m)
   禄庄山(325m)
同行:武庫川エコハイクスタッフ8名
 本文は武庫川エコハイク主催の武庫川もう一つの源流、波賀野川から大沢ロマンの森を歩くの下見記録である。古市から東谷池まではのどかでルンルン気分であったが、林道は随所で倒木が通行を妨害し、道を切り開きながらの行程であった。また国土地理院地形図にない林道が左右に分岐しており、迷い込まないよう注意が必要である。林道終点から肩越の辻へは踏跡も消え、藪漕ぎを強いられる結果となった。音羽山から大沢ロマンの森の道はアップダウンの繰り返しで想定外の時間を費やした。NHK大河ドラマ「麒麟がきた」ゆかりの地でもあるが道は険しい。林道歩きはともかく、想像以上に厳しいコースなので健脚向きである。
ルートタイム:
古市駅9:45→宗玄寺9:50→コミュニティセンタ10:12/22→二村神社10:25/30→東谷池10:52→(林道高仙寺線)→林道終点12:50/13:35→肩越の辻14:00→音羽山14:48→火とぼし山15:25/30→三角山15:48→奥谷山(大沢城址)16:02→禄庄城址16:26/32→八幡神社16:50→篠山口駅17:10
Route Map 

「古市」
 古市は大阪-但馬・姫路-京都の交通の要衝で、物流や宿場の町として栄え、今も国道176号線や372号線が交わるところです。三叉路には道路元標とともに文化14年(1817年)に建てられたという大きな道標があり(交通事故で破損したためレプリカだが、現物は修理復元され宗玄寺に設置)、「すぐ京いせたんご但馬道」「右はりま道」「左大坂阿りま」と刻まれています。宗玄寺に立ち寄りました。赤穂義士不破数右衛門ゆかりのお寺で、毎年義士祭りが営まれるそうです。まちを歩くと格子戸や虫籠窓のある町家が残っていて往時を偲ばせます。

古市駅は福知山線の最高地点211m

古市のまち並み

宗玄寺不破数右衛門顕彰碑(クリックで案内あり)

道路元標と道標

常夜灯
 古市小学校を左に見て踏切を渡って見える大きな建物は古市コミュニセンターです。ちょっと覗いてみると女性事務員さんが出てきて地誌を紹介したり観光ポスターを渡されたり古市のPRに懸命です。ちなみにご出身は四国四万十にびっくり。先を急ぐので失礼して、すぐ近くの二村(ふたむら)神社を訪ねる。イザナギ、イザナミの二尊を祀ったことがその名の由来で、篠山にはいくつかの二村神社があるのは、祭礼の座席の上下をめぐった争いから、ご神体、神輿、神器などを持ち出して各村それぞれ社を建立したためだそうです。古色蒼然とした神社にひと気はなく、樹齢数百年はあったであろう巨木の切り株が印象的でした。

古市コミュニティセンター

二村神社
「波賀野川」
 波賀野新田の車道を上流に向かう。前方ひときわ高い山は松尾山(687m)で白髪岳はその陰で見えない。波賀野川が分流する。左は中谷川、右は東谷川で我々は右手の東谷川をさかのぼっていく。三面張りだ。田んぼの中、数軒の農家を過ぎると大きな土手が見えてくる。東谷池の堰堤である。その向こうに見える鉄塔はこれから行く音羽山だろう。そんなに遠くはない。堰堤の手前から林に入る。林道高仙寺線の道標がある。満々と水を湛えた池の堰堤に立ち、来し方を振り返ってみると見内(みうち)に向かって棚田が広がっている。小一時間歩いたので池端で休憩する。薬きょうが転がっている。狩猟期間なので注意しなくてはならない。

中谷川(左)と東谷川が合流して波賀野川となる 背景は松尾山687m

東谷池堰堤 背景の鉄塔は音羽山

満々と水を湛える東谷池

棚田の風景
「林道」
 スギ、ヒノキの植林帯を緩やかに登っていく。車高の高い車なら走れそうである。間伐が行き届いているが谷筋は倒木が折り重なったままである。林道が左へ分岐するが見送って直進すると広場に出た。木材の集積場、あるいは車の転回場?だろうか。林道は続く。右に堰堤が現れた。左へ林道が分岐するが直進。次いで3度目の左分岐林道であるが、直進方向は一本の倒木が道を塞ぐ。跨げば通行できるが商売柄放置できない。用意の鋸、剪定ばさみで道を切り開く。ふと見れば右へ谷を越えて登っていく林道もある。道標らしきものがあるが、望遠レンズで見ると南矢代と書いてあるようだ。直進する。傾斜が増してきた。再び一本の倒木である。作業開始。次の倒木は数本の巨木が谷をまたいでいる。これは伐採できない。巨木の下を潜り抜けられるように道をつける。

 こんな具合で、この後数箇所の倒木を処理して、東谷川の源頭に達する。地形図の破線は、さらに谷筋を登るようになっているが多数の倒木でふさがれてしまっている。地形図にない林道が谷を迂回するようにつけられている。これを登っていくと林道終点であった。この先どう探しても道らしいものはない。踏跡すらないのである。すでに13:00近くなっている。遅い昼食をとりながら思案にくれる。

林道高仙寺線 右は東谷川

倒木処理

潜り抜け

東谷川源頭

林道終点 この先道なし
「肩越の辻」
 GPSで見ると、林道終点から肩越の辻に至る松尾山東周回路までは直線距離80m、標高差40mである。傾斜はきつく足元は悪いが疎林帯であり見通しはきく。考え込んでいてもしようがないので、数人が藪漕ぎであちこち登ってみる。そのうちの一人が、ペンキ塗りの大木に出会い、その下にしっかりした道があることを発見。残りの人を大木まで誘導する。10分ほど這い上がって出てきたところは、高仙寺阿弥陀堂跡地から肩越の辻に続く道(松尾山東道)であった。数分で肩越の辻に到着してほっとする。おもちゃだが、GPS様様である。
 さてここは別名5ツ辻とあるように、白髪岳・松尾山、文保寺谷、文保寺尾根、音羽山、と今通ってきた阿弥陀堂跡への道が交差する。慎重に音羽山への道をたどる。

這い上がって出てきた松尾山東道

肩越の辻
「音羽山」
 これからは武庫川と加古川の分水界の尾根をたどることになるが、すぐに音羽山川の谷に下る道もあるので注意が必要である。起伏を繰り返す。関電巡視路ともなっているようで鉄塔を示す火の用心看板やプラスチック階段がある。509mピーク、古市尾根分岐を経て音羽山三角点530.5mに到着する。篠山側が切り開かれ、住吉台住宅の向こうに多紀連山を望むことができた。山頂から少し先の鉄塔#121からはさらに展望が開けるが、尾根道から少し外れなければならない。またまた起伏を繰り返し、肩越の辻から1時間30分で火とぼし山501mに到着。ずいぶん長い道のりであった。ここは大沢ロマンの森の一角である。山城群の最も高いところにあり、その名の通り大沢城ののろしを上げたところであろう。佐幾山城址・大沢城址の分岐であるが、我々は大沢城址方向に向かう。

音羽山三等三角点530.5m

音羽山切り開きから篠山住吉台を望む

火とぼし山501m

音羽山#121鉄塔から篠山の展望
「大沢ロマンの森」
 火とぼし山からは下りになる。大杉の広場に下りてきた。展望が一段と広がる。黒頭峰、夏栗山、三岳、小金ケ嶽がそれとわかる。麓の八幡神社から上ってくる林道も見える。登り返したところが三角山418mで、矢代城址を経て南矢代へ下る道があるが道標はない。大谷城址(奥谷山422m)に到着する。案内板がなければ通過してしまいそうなピークである。気を付けてみれば東西の段差は堀切か郭の跡ではないかと思われる。案内板には、城主は古市一帯を支配していた酒井氏諸家の一族で、1558〜1570年城主は初田酒井菊夜又丸であったとある。今も初田という集落がある。一説によれば天正6年(1578年)明智光秀軍により焼失落城とある。

大杉の広場

三角山418m

奥谷山大沢城址422m(クリックで案内板)

大杉の広場からの展望
 これから先、禄庄山へは激下りの道が待っていた。掴まる立ち木もまばらで、ずるずると滑り下りていく。スタッフの一人が掴まった立木が折れて転倒する。100mほど下って登り返したところが禄庄城址325mである。訪れる人が多いのか丸太階段がつけられている。城址からは立木の間に篠山口方面が展望する。案内板には大沢城の北方を守備するための戦略的拠点で酒井氏家臣団が守っていたとある。同心円状に郭が並んでいることを実感できる。

大沢城址下りから禄庄山

丸太階段の道

禄庄城址広場325m(クリックで案内板)

禄庄城址から篠山盆地展望

禄庄城址から大沢城址を見る
 小休止してからジグザグにつけられた登山道を下る。奥谷川の招福橋を渡ると登山口である。火とぼし山へ直接登る道がある。八幡神社へ降りてきた。古市の二村神社ゆかりの神社で、宝物を持ちかえって社を建てたようである。約10分の歩行で篠山口駅に着く。歩行11km、すでに17時を回っていた。

招福橋(奥谷川)

登山口

大沢八幡神社
大沢ロマンの森は篠山市が平成10年(1998年)に「ひょうご豊かな森づくり構想」に基づいて整備した森であるが、今は知る人も少ない(市役所に尋ねても案内書はない、職員もよく知らない)。NHK大河ドラマ「麒麟がくる」ゆかりの地なので是非多くの人に訪ねてもらいたいと思う。八幡神社前には新しいポスターがあった。

案内板(クリックで拡大)

ポスター(クリックで拡大)
大沢ロマンの森案内地図はこちら (Look-篠山/低山歩こう記2008.3から借用)

往路の林道の倒木の処理に時間がかかったたり、道なき道を登ったりもしたが、肩越の辻から実に3時間もかかったのは想定外であった。大沢ロマンの森は健脚者向きのコースである。
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