up 2020.3.23やまぼうし
丹波 高城山(八上城跡)に登る
春日神社口〜高城山(八上城跡)〜弓月神社口〜京街道〜春日神社口
日時:2020.3.21(土) 快晴
山名:高城山(八上城跡) 462m
同行:ハナミズキ
 高城山は丹波富士ともいわれ、篠山市街から眺めると優美な形をしている。一方で戦国時代に丹波に君臨していた波多野氏の八上城があり、明智光秀の攻略で落城したものの今にその城跡が残っている。25年ぶりに丹波高城山(八上城跡)を訪れる。今年2020年のNHT大河ドラマ「麒麟がくる」の観光開発で、山頂部の立木が痛々しいまでに切り払われ、丹波富士高城山というよりは八上城跡公園と化してしまっていた。展望はよくなったが、春日神社登山道はほとんど階段で、ハイカーにとってはあまり魅力のない山になってしまった。YouTubeはこちら

<篠山城跡から高城山を望む2011年>
ルートタイム:
宝塚発8:30⇒(車:R176→R372)⇒高城山駐車場10:00/10:10→春日神社登山口10:15→下の茶屋丸10:31→上の茶屋丸10:41→右衛門丸10:58→三の丸・二の丸11:03→高城山頂(本丸)11:08昼食1135→岡田丸1137→藤ノ木坂コース11:38→野々垣分岐11:44→はりつけ松11:48→芥丸11:56→藤ノ木坂分岐11:59→弓月神社コース→弓月神社登山口12:25→京街道→藤ノ木坂登山口12:41→一里塚12:47→駐車場12:54   歩行4.5km
Route Map(GPS) 観光案内図 城跡絵図

「春日神社登山口」
 「麒麟がくる」のお陰で新くできた春日神社登山口の無料駐車場に車を止める。コロナウィルス拡散騒ぎの中の3連休で、15台ぐらいの駐車場はほぼ満車。ただ、この場所がわかりにくい。篠山や古市方面から来た場合R372「八上下」信号交差点を過ぎて100mの路地を右折しなければならいのであるが、気づかずに通過してしまう(地図参照)。
 身支度を整えて、駐車場から道路を挟んだ向かいの春日神社登山口(標高215m)となっている参道を山に向かって歩き始める。古色蒼然とした拝殿を左に見て登山道に入る。山頂まで1km、45分と書いた道標がある。ちなみにトイレが参道の右側にある。昔からあった小屋だが、こぎれいになっている。小屋のわきに車1台分のスペースがあり、昔はここ駐車するしかなかった。登山道に入るとすぐに主膳屋敷跡の看板。城主の政務を司る居館だったようだ。階段の登りが始まる。

春日神社登山口前の高城山駐車場

春日神社登山口

春日神社

春日神社拝殿

登山道(山頂まで1km、45分)

主膳屋敷跡
「下の茶屋丸・上の茶屋丸」
 この先、平たん地以外はすべて擬木階段。膝が心配でサポーターをつける。尾根に出たところが「鴻の巣」で西からの攻撃に備えた番所があったところ。ここで小さな番号表示のある石柱に気がつく。二十三とある。後で分かったことだが、登山口から10m間隔で設置してあるようで、二十三は230mを表しているようだ。少し登ったところが標高320mの「下の茶屋丸跡」で西の展望が開け、眼下に篠山盆地を取り巻く風景が見える。西からの敵に備えた陣地があったという。地元の家族連れと抜きつ抜かれつの登山だったが、ここから見える篠山市の主な建物などを教えてもらう。篠山川の向こうに王地山、鳳鳴高校、篠山城跡、篠山市役所などなど。篠山盆地を取り巻く山々は白髪岳・松尾山から金山、黒頭峰・夏栗山、多紀連山の西端までほとんど同定できる。もう一段登ると「上の茶屋丸跡」・「中の壇」である。この辺りは平坦な道になるが、樹木が生い茂りあまり展望はない。コバノミツバツツジが咲き、タムシバの白い花を見る。
 

階段の連続

鴻の巣(西の守り陣地)

下の茶屋丸(320m)からの展望

中の壇

上の茶屋丸
「右衛門丸・三の丸・二の丸」
 ヤブツバキの続く階段を登っていくと、数人の男女が刈払機を使って登山道の草刈りをしている。聞けば森林組合の方々で、観光客のために登山道を日々整備しているとのこと。ありがとうございます。頂上まであとひと踏ん張りだと励まされる。標高420m、突然あたりの木がなくなって、切り株だらけのがけ地に出てきた。「右衛門丸跡」の案内板がある。展望が一段と開け、多紀連山の西ケ嶽、三嶽、小金ケ嶽が目の前である。右から合流してきた道は奥谷登山口からのようだ。この先、「三の丸跡」、「二の丸跡」、「本丸跡」にかけて切り株だらけの広場が続き樹木などほとんどない。山というより、もう完全な城郭公園である。殺風景で切り株が痛々しい。丸裸の山頂が見てきた。

ヤブツバキの道

右衛門丸跡

三の丸への登り

三の丸跡

二の丸跡

篠山市街の展望(篠山城址中央左端、正面は金山)
「高城山山頂」
 高城山山頂(462m)に立つ。「本丸跡」には波多野秀治公の顕彰碑が建つ。頂上は芝生広場となっていて、数組のハイカーがくつろいでいる。快晴の空、360度の展望が素晴らしい。少し早いがベンチに腰掛けて弁当を広げる。以下、山頂付近からの風景写真をご覧ください。

高城山山頂(本丸跡)

波多野秀治公顕彰碑前で

西:篠山盆地

北:多紀連山(左から西ケ嶽、三嶽、小金ケ嶽)

南:母子(三国が岳左、愛宕山)

東:弥十郎ケ岳
「藤ノ木坂」
 昼食後「岡田丸跡」に立ち寄り、藤ノ木坂方面への道に入る。こちらへ向かう人は誰もいない。崩落個所あり危険の掲示が登山口にあったからだろう。しかし、森林組合の人の話では、通行はできるとのことで、彼らもこの道を歩くようだ。下り坂は相変わらず階段である。「蔵屋敷跡」、「池東番所」を通り、野々垣コースを右に見送る。野々垣コースには「大竪(おおたて)堀」の案内板が見えた。この方面には「朝路池跡」などいくつかの遺構があるようだ。ほぼフラットな道となる。左へ藤ノ木坂への分岐があるが、こちらは踏跡道で一般ハイカーは歩かないようだ。「はりつけ松」、「茶屋の壇」、「馬駈場」と続く。はりつけ松は人質となった明智光秀の母を処刑したところと言われているが、どれがその松かはわからなかった。小広場の「芥丸跡」に至る。この先で藤ノ木坂コースが左に下っていく。我々は弓月神社を目指していたが、うっかり道なりに藤ノ木坂コースへ行ってしまった。登ってくる方に弓月神社コースのことをお尋ねすると、今は通行できるかどうかわからない。昔は藪道だったという。お話をするうちに、この方はリタイア後、趣味で八上城跡の遺構を調べていて、手に自家製の測量棒を持っている。楽しそうに、まだまだ未確認の城郭跡があるのだという。同じ仲間もいるという。戻って、弓月神社コースの道に入る。道標はなく、赤テープがあった。

岡田丸

蔵屋敷

池東番所

野々垣コース分岐

はりつけ松

茶屋の壇

馬駈場

芥丸跡

藤ノ木坂コース
「弓月神社コース」
 未整備であるが階段もなく快適な木漏れ日の道だ。城跡と思しき所は何もない、というよりは発見されてないのかも知れない。後で調べると、東北の守り「西蔵丸跡」があったのである。緩やかに下っていく。途中には倒木や木の枝でふさがれたところもあった。90度折れ曲がって急坂を下っていくと獣除け柵で囲まれた弓月神社が見えてきた。柵の扉を開けて境内に降り立つ。古色蒼然とした神社で拝殿と舞台がある。参道を下ると旧京街道に出る。弓月神社口の石碑がある。

弓月神社コース分岐

弓月神社コース(自然道)

弓月神社へ下る

弓月神社

弓月神社登山口
「京街道」
 R372(デカンショ街道)と並行して旧道が篠山方面にまっすぐに伸びている。ところどころに茅葺の古民家が残っている。格子戸の玄関口と庭木戸のあるつくりはみな同じである。玄関から出てきた老婦人にご挨拶する。裏庭に見える山は高城山の支尾根であるという。山頂は木々が伐採され、みっともない姿になったと嘆いていた。火の見やぐらをみて歩くと、前方からの京都ナンバーの軽自動車が止まった。運転席は藤ノ木坂で出会った測量士さんだった。無事に弓月神社口を降りて来られてよかったねとほほ笑んでいる。なにかうれしい山歩きとなった。藤ノ木坂口を見て、少し進むと一里塚がある。25年前と変わらず一本松がある。駐車場はもうすぐだ。

京街道(篠山方面)

藤ノ木坂登山口

一里塚

京街道から高城山山頂を望む
うらうらと盆地照り映ゆ花辛夷    ハナミズキ
八上城跡:
八上城跡は丹波富士と呼ばれる高城山に築かれた八上城を本城として、奥谷城と法光寺城からなる東西3kmに及ぶ大規模な中世の山城です。応仁の乱のあと多紀郡守護代となった波多野氏が16世紀前半に高城山に築城しました。1579年、織田信長の丹波攻略の一環として明智光秀による兵糧攻めによって落城し波多野氏は滅亡しました。主郭部の縄張りはこちらです。(篠山市観光案内より)
 
YouTubeはこちら
関連ページ:丹波富士 高城山(1995.4.30 )

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