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京都 歴史と竹林の道 天王山
◇日時:2020.10.5(月) 晴
◇場所:京都府大山崎町
◇山名:天王山(270m)
     2.5万地形図 淀
◇参加者:MNC山歩会17名(男13、女4) リーダ:平山
ルートタイム:阪急大山崎駅10:08〜登山口10:13〜宝積寺北分岐10:31〜青木葉谷展望広場10:42/10:50〜旗立松展望台10:58/11:11〜十七烈士の墓11:18〜酒解神社11:26〜天王山(11:40〜昼〜12:15)〜奥の山展望広場・反射板12:44〜柳谷・小倉神社分岐12:57/13:07〜小倉神社13:36/13:48〜阪急西山天王山駅 14:08
Route map (歩行6.5km)
大河ドラマ麒麟が来るに因んで、天下分け目の決戦場で知られる天王山を歩きました。山崎の合戦場は交通の要衝となりましたが、三川合流の風景は昔と変わらないことでしょう。台風や大雨などで山は荒れていましたが、山頂まで続く秀吉の道を描いた陶板絵図で歴史を学ぶ山旅となりました。

<青木葉谷展望広場から三川合流の風景>
「陶板絵図の道」
 阪急大山崎駅に集合したのは山歩会メンバー17名。駅待合がしゃれた和風のつくりで、さすが京都を思わせます。隣の駅は大阪府です。JRが事故で不通になり心配しましたが予定の人数です。スタートしてすぐ、JR踏切を渡ったところが天王山登山口です。宝積寺ルートでなく、まっすぐ舗装の道を上っていきます。というのはハイキングコースを「秀吉の道」と名づけ、秀吉の天下取りの物語を解説する陶板絵図が天王山頂上まで6枚あるのですが、宝積寺ルートでは最初の1枚をパスしてしまうからです。案内図がありますがこれも陶板です。すぐに1枚目の陶板絵図「本能寺の変」があります。絵図は日本画家岩井弘氏の屏風画、解説文は堺屋太一氏によるものです。高さ2m、幅3mはあるでしょうか。次いでアサヒビール大山崎山荘美術館の入口があります。モネの睡蓮で有名ですが本日月曜日は休館です。

大山崎駅前

登山口

陶板の案内図

陶板絵図#1「本能寺の変」

大山崎山荘美術館入口
 舗装の道は行き止まりです。通行禁止の看板がかかって、トラロープで通せんぼしてます。Kさんが様子を見に入っていきましたが、倒木の処理が終わっていて通行できることがわかりました。通り抜けたところは宝積寺から登ってきた道でした。宝積寺ルートを行けばよかったのです。通行禁止ならもっと手前に、大きく表示してあったらいいのですが気づきませんでした。谷筋を巻いて登っていきますが結構きついです。

通行止め

観音寺(山崎聖天)からの道合流 モノレールが走る
「青木葉谷展望広場」
 登山道の左をモノレールが走っているのに気づきました。タケノコを運搬するためのものだそうです。地図で見ると観音寺(山崎聖天)付近からから標高220m付近まで続いています。出てきた広場は青木葉谷展望広場です。2枚目「中国大返し」の絵図があります。ここからは三川合流地点が見えるはずですが、立木が伸びてしまって視界を遮ります。二川(桂川、宇治川)と合流した淀川を望むことができました(トップページ)。乙訓景観10景に選定されています。長い階段が続きます。

青木葉谷展望広場

陶板絵図#2「秀吉の中国大返し」

階段が続く
「旗立松展望台」
 大きな鳥居は酒解神社のもの、神域に入ったようです。大きな2面の展望絵図は「頼みの諸将来たらず」と「天下分け目の天王山」です。長さは5mはあるでしょうか。傍らにある展望デッキは旗立松展望台です。秀吉軍が自軍の士気を高めるため、老松の樹上高くに千成ビョウタンの旗印を掲げたことからそう呼ばれています。展望方向が若干変わって、桂川、宇治川の堤と奈良方面から流下する木津川が見えます。ここも乙訓景観10景です。2面の絵図の前で集合写真を撮りました。

酒解神社大鳥居

展望絵図#3「頼みの諸将来たらず」

展望絵図#4「天下分け目の天王山」

旗立松で

旗立松展望台

展望台から三川を見る(手前桂川、向い宇治川、右に木津川)
「酒解神社」
 十七烈士の墓にお参りします。十七烈士とは、禁門の変(1864年)の時、会津藩との戦いに敗れ自刃した尊王攘夷派久留米藩士真木和泉守以下十七名を言います。天王山頂上直下に酒解(さけとけ)神社があります。正式名称は自玉手祭来酒解神社(たまでよりまつりきたるさかとけじんじゃ)という舌を噛むような名前ですが、奈良時代に創建された延喜式内社で山崎地方で最も古い神社とのことです。天王山の名のいわれは、この神社が中世に天王社と呼ばれていたことによるもので、もともとは山崎山だったそうです。神輿庫は鎌倉時代の建築で日本にある板倉式倉庫としては最古のもので、国の重要文化財に指定されています。しかし本殿は老朽化が進み台風でも来たら倒壊しそうな姿です。神社手前に5枚目の「明智光秀の最後」の絵図がありました。

十七烈士の墓

展望絵図#5「明智光秀の最後」

酒解(さかとけ)神社
「天王山」
 天王山山頂は小倉神社方面への道から外れた小高いところにあります。広場は山崎城のあったところで、礎石らしいものが残っています。一段下の広場には古井戸もありました。最後の絵図は「秀吉の天下人への道はここからはじまった」です。案内では頂上まで45分とありましたが我々は1時間30分かかりました。すこし早いですがここで昼食としました。

天王山(山崎城跡)

展望絵図#6「秀吉の天下人への道はここからはじまった」

天王山頂上270m

天王山頂上で
「稜線の道」
 天王山を下って、小倉神社への道を進みます。台風で倒れたであろう杉の木が玉切りされて並んでいます。時間があるので奥の山展望広場へ行ってみます。30mほど下ったところが小広場になっていますが、立木が伸びてしまって展望がありません。わずかに京都タワーと思われる白い塔が望めます。近くに大きな反射板があり、この道は管理道のようです。元の道に引き返しました。十方山分岐を過ぎてしばらくで小倉神社・柳谷の分岐です。ベンチやテーブルがある休憩所となっていて、時計や温度計も設置してあります。ただ今の気温は25度です。

稜線の道

奥の山展望広場は展望なし

小倉神社・柳谷分岐
「小倉神社」
 いきなり急階段の下りになりますがやがて歩きやすい道になります。竹林を通りますがかなり荒れています。会員募集中のチラシがある森づくりの拠点を過ぎて、渓谷に降りてきました。車も入れるような道が小倉神社まで続きます。小橋を渡ると小倉神社です。秀吉が戦勝祈願をしたと伝わる神社は奈良時代初期に創建されたと考えられており、延喜式神名帳にも記された名刹です。平安京遷都の際には御所の裏鬼門の方位にあったため敬われたといいます。山門前の噴水広場には新しいトイレも設置されていました。長い参道を出ると住宅街になり、車道を下って小泉川を渡ると西山天王山駅です。この川を挟んで秀吉軍と光秀軍が対峙したと言われています。14:00に西山天王山駅で解散です。予定のサントリービール工場の見学はコロナウィルスのためできず、十三行きとなりました。

竹林を下る

渓谷に降りてきました

小倉神社

小倉神社参道

西山天王山駅で解散
歴史探訪の山歩きとなりましたが、一方で秋の植物も観察しました。登山道で見かけた花木を挙げておきます。
ヤブマメ、ヒメジソ、サクラタデ、ミズヒキ、イヌコウジュ、コセンダングサ、イタドリ、ミヤマガマズミ、ヒヨドリバナ、ツルアリドオシ、ツルリンドウ、アメリカセンダングサ、モチノキ

ヤブマメ

ヒメジソ

サクラタデ

ミズヒキ

イヌコウジュ

コセンダングサ

イタドリ(雌)

ガマズミ

ヒヨドリバナ

モチノキ
文/平山、写真/平山・吉田、編集/平山
武庫ネイチャークラブ

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