up 2020.12.25HRY
北摂 干支の山 牛ノ子山をめぐる |
◇日時:2020.12.23(水) 晴
◇場所:能勢町長谷地区
◇山名:滝王山(570m)、牛ノ子山(450.7m)、向山(335.0m)
◇同行者:ハナミズキ
ルートタイム:
長谷公民館P9:55〜才ノ神峠10:51/10:58〜林道取付11:06〜迷走〜滝王山取付11:30〜滝王山11:45/11:50〜三角点長谷12:05〜宮峠(12:15昼12:38)〜牛ノ子峠13:11〜牛ノ子山13:18/13:25〜牛ノ子峠13:30〜取付13:35〜杜松ケルン13:55〜分岐14:11〜峠・栗林14:22/14:44〜向山(チンジンさん)14:30〜西田橋14:57〜長谷公民館15:00
2021年(令和3年)は丑年。能勢長谷には干支の山牛ノ子山がある。長谷から才ノ神峠を経て滝王山、牛ノ子山、チンジンさんを周回する。冬枯れの棚田の風景、落ち葉降り積もる山道は足腰にやさしい。枝道が多数あり、ルートファインディングが大切。GPSに助けられた山歩きでした。
「長谷へ」
今朝も晴。このところ雨らしい雨が降らない。朝の9時に車で宝塚を出発、猪名川町杉生回りで10時には能勢長谷に到着する。能勢の路傍は霜で真っ白である。コロナで閉館中の長谷公民館の前庭に車を置かしてもらう。足元のおぼつかなくなった私にハナミズキが同行する。
棚田の彼方に丸い形の三草山、これから登る才ノ神峠、なだらかな稜線を描く滝王山が逆光に輝く。才ノ神峠までは棚田道が何本か通じているが、今日は最もオーソドックな山裾の車道を上ることにした。妙円寺前から車道に入ろうとしたが道を誤り、茅葺民家の前に出てしまい、あわてて戻る。曲折する車道から棚田の風景が、北に目をやれば雄大な剣尾山・横尾山が迫る。我が家の裏山行者山からも30km先のその姿が見える。日本の棚田100選に選ばれる長谷の棚田は、観光客、カメラマンや画家がよく訪れるらしく、みだりに私有地に入らないように、写真撮影はプライバシーに配慮をなど注意看板がある。標高差200m、数百枚はあろうかと思われる棚田は「ガマ」と言われる石組の水路でつながっている。三草山の水脈を利用した先人の知恵だ。地形に合わせてカーブを描く棚田は芸術的でさえある。美しい水田と点在する茅葺屋根は日本の原風景である。
長谷公民館とチンジンさん |
長谷公民館から才ノ神峠、滝王山を見る |
茅葺民家 |
横尾山(左)と剣尾山(右)
棚田の風景 背景は三草山
「才ノ神峠」
麓から約1時間、才ノ神峠415mへ到着。才ノ神峠は、多田銀山や有馬、池田等に通じる古くからの峠で、平安時代からすでにこの辺りの杉材等がここを通って運び出されたという。道標に寛文11年(1671年)の文字が読める。交通の要衝で、よく見れば8叉路となっている。三草山への登山道を除き、どの道も車の通行が可能である。我々を追い越していった軽四車は峠を越えてどこへ行ったのだろうか。筆者は過去に車で猪名川槻並へ下ったことがあったが悪路でパンクした苦い思い出がある。才ノ神とは神話の中で猿田彦命のことをいい、天孫降臨に際して道案内をした神である。
才ノ神峠 |
8本の道が交差する |
「滝王山」
8本の道のうち、最も右側(西側)の裏山林道を行く。地道ではあるが、大型車も通行できそうである。ほだ場を左手に見て、栗林を通ると右手から別の林道が合流する。その先で、右斜面を上がる道が滝王山への登山路である。何の目印もない。山すそを巻く道はやがて踏跡道に変わり、ヤブに突入する。ヤブを抜けると、明るい草原状の場所に出てきた。南面が開け、五月山、中山、大峰山などが墨絵のように幾重にも連なって見える。赤い実はタマミズキかウメモドキか。ルンルン気分は束の間で踏跡道がなくなった。右斜面は栗林でここを登れば山頂にいけそうだが、冒険はやめて来た道をバックする。
滝王山は裏山林道から右斜面を上る |
明るい草原の道は迷走の始まり |
川西・猪名川方面の展望 |
草原に出る直前のヤブにテープが集中しているところがあったので入ってみるとそこはスギ林で、踏跡らしい道がある。テープに気づかずに通り過ぎてしまったのである。上へ上へと行けば山頂は間違いない。林の中に1976.2岐尼小学校記念植樹イチョウとあったがそれらしい樹はなかった。昔は小学生も登れる登山道であったに違いない。林の中、露岩が目立つようになる。単独男性とすれ違う。今日初めてのハイカーである。巨岩が現れると頂上が近い。三角点はないので最も高いところに立つ。標高は570mである。少し下ったところの切り立った岩上には八大竜王の祠が祀られている。足元に、再び記念植樹ポプラ・メタセコイアとあったがやはりその姿はなかった。シニア夫婦に出会う。
記念植樹イチョウ(岐尼小学校1976.2) |
滝王山山頂570m |
滝王山岩上の祠 |
「宮峠」
休憩もそこそこに宮峠を目指して、稜線を北に歩く。こちらは林の中、道も明瞭である。左側(西)が自然林、右はスギ、ヒノきの植林地である。小高いところに4等三角点長谷507.3mがあった。道は下り、滝王山から約30分で宮峠465mへ下りてきた。その名は東麓の八幡神社に由来するのであろう。4差路を北へ進む。2m幅はあるだろう広い落ち葉道である。途中陽だまりをみつけてお昼とする。
4等三角点長谷507.3m
宮峠 正面の倒木を越えて行く(右:長谷、左:裏山林道)
木漏れ日の中で昼食
「牛ノ子山」
時計回りの尾根を進む。一本道だが、途中の分岐は右尾根方向へ進む。谷に下りてきた。T分岐は右の谷方向に進む。左は山裾を回って先ほどの分岐につながるようだが地形図にはない。北斜面のトラバース道を行くと、中山峠から谷筋を登ってくる道と合流した。そこが通称牛ノ子峠415mである。このあたり、反対の長谷から来るとややこしい。牛ノ子山は北側の小山なのだが全貌は見えない。登り口に”とら”と書いたテープと手製の名札がかかっている。”とら”の目印はこれからも何回か出会うことになる。道なりに登っていくと、左へ巻いて行ってしまうので適当な所から山にとりつかなければならない。そこは先人がテープをつけてあった。5分ほどで牛ノ子山の山頂である。小広場に4等三角点牛ノ子450.7mがある。まわりはソヨゴ、コナラ、アカマツなどで展望はない。干支 丑年以外は訪れる人は少ないだろう。牛ノ子山のいわれについては牛頭天王に因むとの説がある。京都八坂神社の祭神であり、祇園祭に見るように疫病退散の神である。コロナ退散を祈りたい。記念の写真を撮ってすぐに元の峠に戻る。
分岐は右の尾根道へ |
谷を下る |
牛ノ子峠(左が登山口、手前は中山峠へ、向いは長谷へ) |
牛ノ子山 4等三角点牛ノ子450.7m |
登頂記念 |
「チンジンさん」
東へ長谷へ下る道を行く。どこかで山にとりつかなければならないが通り過ぎてしまった。地形図の波線とは違って、峠からすぐの斜面に左にとりつく踏跡があったのである。黄色杭が目印で、進むうちに明瞭な山道となった。今までと同じような幅広の落ち葉道が続く。ただ倒木が多く、荒れが目立つ。杜松のケルンを過ぎてしばらくで倒木のため道がわからなくなってしまった。ひたすら尾根を外さないように歩く。ありゃ、右からしっかりした道が合流してきた。どこかで間違ったらしい。これから先も尾根筋を下っていくが、分岐らしいところでは細心の注意が必要である。地形図にはない分岐が多く、しっかり方向を見定めないといけない。
牛の子峠のすぐ下 左の土手へ取りつく |
倒木多い |
杜松のケルン |
明るい栗林に下りてきた。垂水と長谷の峠になっている。そのまま進めば長谷に下りるが、その名もユニークなチンジンさんに立ち寄ることにした。チンジンさんとは鎮守様がなまったものかもしれない。草原の土手につけられた細道は林に入り込む。かすかな踏跡を登っていくとチンジンさんであった。山名は向山(むかいやま)、4等三角点向所(むかいじょ)335.0mがある。周囲はスギ、ヒノキに囲まれて展望はない。古タイヤが麓に向かって直線状に並んでいる。これを辿れば林道に合流するはずだが、何の目印もなく不安なので元の道を峠に引き返す。
明るいくり林の峠
チンジンさんへは右の細道を登る 左は垂水へ
チンジンさんへ林の中の登り
向山(チンジンさん) 4等三角点向所335.0m |
峠を長谷側に下る。お墓を過ぎて民家の裏庭へ下りてきた。ため池の横を通って舗装道路を下ると車道である。落ち葉掃きをしていた年配のご婦人にチンジンさんのことを尋ねると、よく知らないという。地元の人にとっては山は山なんでしょうね。かえって都会人の方がよく知っている。町角に土祖神がまつられている。西田橋を渡り長谷公民館に戻ってきた。歩行約10km、展望のない冬枯れの山だったが、落ち葉を踏んで気持ちのいい山歩きだった。まもなく令和3年(2021年)、牛ノ子山は干支の山としてにぎわうことだろう。
民家裏に下りてきた
土祖神
三草山といちごハウス
ユズ 長谷
カラスウリ 長谷
ウメモドキ 滝王山
ミヤマシキミ 宮峠
やまぼうし