up 2021.2.15やまぼうし
宝塚 満願寺から石切山・釣鐘山
満願寺〜石切山〜きずきの森〜釣鐘山
◇日時:2021.2.6(土) 晴
◇山名:石切山(283.5m)、釣鐘山(205m)
     2.5万地形図 宝塚
◇同行者:武庫川エコハイクスタッフ9人(男6+女3)+2人
阪急山本駅9:32〜参道入口9:45〜最明寺滝10:00〜井植山荘10:16〜満願寺10:41/10:55〜四国88所11:00〜長尾台ふれあい公園11:20〜石切山縦走路11:25〜石切山山頂11:45〜きずきの森分岐12:00〜きずきの森みはらし広場(12:20〜昼〜12:50)〜縦走路へ戻る13:15〜釣鐘山13:24/13:32〜感謝坂下13:55〜川西能勢口駅14:25
Route Map (GPS) 歩行約8km

<きずきの森から石切山>
「最明寺滝」 
 コロナ緊急事態宣言が延長されましたが感染者数は減少傾向です。春めいた陽気に武庫川エコハイクスタッフを含めて11名が阪急山本駅北口に集合しました。全員マスク姿です。住宅地を歩いて参道へ向かいますが、願勝寺前のイヌマキの大木に目が留まります。宝塚市の保護樹木に指定されています。
 参道にかかりました。舗装道路が一変して渓谷沿いの道になり、巨岩の間を流れる最明寺川はここが宝塚かと思うほどの景観です。宝教寺の赤い橋を見送って進むと唐風の大聖不動尊の山門です。赤い辰巳橋を渡って右折し、峡谷を5分も歩けば最明寺滝です。落差は10mぐらいですが、水量も豊富で迫力があります。切り立った岩壁は凝灰岩、流紋岩のようです。滝近くの洞窟には不動明王が祀られ、あたりにはロウソクの灯りや線香の香りが漂っています。最明寺とはお寺はではなく、鎌倉時代の5代執権北条時頼(ほうじょうときより)が出家して「最明寺入道」と名のり、庵をつくった所からこの地域を最明寺と呼ぶそうです。

民家のイヌマキ(宝塚市保護樹木)

最明寺川渓谷

唐風の大聖不動尊山門

最明寺滝
「井植山荘」
 辰巳橋まで戻り、岩場の道を登っていくと切畑川堰堤です。平成14年(2002年)の森林火災で山腹が焼け、土石流発生の恐れがあるため急遽造られた砂防堰堤です。横の階段を上り、その先で中山宝塚ロックガーデンへの道と分かれて満願寺の方向に向かいます。井植山荘の表門が見えてきます。前がロータリーとなっていて、満願寺側から車がここまで入れます。山荘は大阪の富豪藤田伝三郎男爵が建てた数寄屋造りの別荘で、敷地(山林)10万坪、庭園3千坪がありますが、戦後三洋電機の創業者井植歳男氏の所有となり「井植山荘」と命名されました。かつて森林ボランティア「櫻守の会」が山火事跡の整備を引き受けていました。不動橋を渡ると右手に大聖不動明王への階段道がありますが、本日はパスします。坂道を登っていくと右手から平井山荘から上ってくる旧丹波街道が合流してきました。その先に丹波街道の古い道標があります。天保6年、右満願寺、左たんばと読めます。ふじが丘住宅からの車道が合流してくると満願寺です。

切畑川堰堤

井植山荘 表門

旧丹波街道道標
「満願寺」
 山門をくぐって境内に入ります。満願寺は多田院を創建した源満仲が帰依し、源氏一門の祈願所として栄えました。鎌倉時代には後醍醐天皇によって勅願寺となり、室町時代に入ってからは源氏一門である足利将軍家の祈願所となって、最盛期には四十九の子院が存在していたといいます。山門の仁王は神仏分離令で多田神社から移されたもの。宝塚市域の中で満願寺町だけが川西市の飛地となっているのは多田神社と深いつながりがあるためと思います。

満願寺山門

満願寺
満願寺から石切山へ登るには、多田神社へのハイキングコース途上のお墓から取りつくのが一般的ですが、今回は満願寺四国88所巡りの道から石切山縦走路の途中に出ることにします。四国88所巡りの入口付近に源氏ゆかりの坂田金時のお墓がありました。1番から53番までを回って老人ホーム(花屋敷栄光園)前の道路に出ます。

満願寺四国88所巡り

坂田金時の墓

老人ホームへの道へ出る
 老人ホームの一角に宝塚市名誉市民で長寿老人ホーム花屋敷マンションを建設し、社会福祉事業の発展に寄与された小野兵一翁の顕彰碑が立っています。宝塚大学のグランドを左手に見て長尾台ふれあい広場の突き当りから石切山縦走路に取りつきます。グランドの向こうに見えるピラミダルな山は宝塚愛宕山です。

小野兵一翁顕彰碑

宝塚大学グランドと愛宕山

長尾台ふれあい公園突き当たりから石切山縦走路へ
「石切山」
 ハイキングコースは自然林の道を登っていきます。途中の岩場から北側に川西北部の住宅街や能勢妙見山など北摂の山々が展望します。20分ほどの登りで3等三角点のある石切山頂上283mです。江戸時代に火打ち石を産出することからその名がついたとされ、川西市には今も火打という地名があります。立木に囲まれて展望はありませんが、少し下ったところにベンチが並んだ小広場があり、南側に阪神間の市街地や生駒、金剛の山並みが展望します。

石切山ハイキングコース

岩場から川西北部の住宅街や北摂の山々を望む

石切山三角点283m

石切山直下の展望広場 阪神間の街並みが広がる
「きずきの森」
 お昼の時間ですが、広場で弁当を広げるのはハイカーの邪魔になります。時間もあるので、トイレもあるきずきの森へ下りることにしました。縦走路を外れて、10分ほどできずきの森みはらし広場に下りてきました。北雲雀きずきの森は野鳥の森でもあり、バーダーを見かけました。狙いはベニマシコ、ミヤマホオジロです。弁当を広げる展望デッキから、下りてきた石切山、これから登る釣鐘山、川西市街が望めます。

みはらし広場から川西市街の展望

きずきの森みはらし広場
「釣鐘山」
  一服してから縦走路へ戻ります。石切山だけあって、岩が転がる道は慎重に歩きます。一度下って登り返したところが釣鐘山205mです。NHKとサンテレビの中継アンテナがあります。元は小戸(おおべ)山といい、小戸の人々が雨乞いに釣鐘火を焚いていたことからその名があるそうです。山頂は慈光会の管理する聖域で、白亜の「空堂」はじめ多くの石仏や供養塔があります。山頂に至る道として感謝坂、懺悔坂、精進坂があり、メンバーそれぞれが分かれて下りました。私は懺悔坂を下りてみました。石段道にそって多数の石仏が並んでおり、四国88所もありました。

石切山下りは岩ゴロ道

釣鐘山 山頂205m

NHK・サンテレビの中継アンテナ

白亜の「空堂」

感謝坂を下る
「川西能勢口」
 中央の感謝坂の真下で合流し、川西能勢口駅へ向かって花屋敷の住宅街を下っていきます。多くの道路が交差していてどの道を下りたら最も近いのかわかりません。近くにお住まいだという女性の先導でまっすぐに下りていきます。正面に斜張橋が見えています。小部霊園の階段の上に出てきました。数百段はあるでしょうか、日常でこの階段を利用する人は大変です。斜行エレベーターが欲しいところです。

斜張橋を正面に見て花屋敷山手(川西市)住宅街を下る

数百段の階段を下る
この辺り市境界がわかりにくいですが、感謝坂下は宝塚市花屋敷荘園、下ってきた道は川西市花屋敷山手町、階段は宝塚市花屋敷荘園、階段を下りると川西市花屋敷です。車道を歩いて駅前ビルに到着です。レストランで反省会をしたいところですがじっと我慢して、ビル内の休憩スペースで来年度のハイキングについて話し合いました。お疲れ様でした。
やまぼうし

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