up 2022.3.30やまぼうし
生駒 平群桃源郷から十三峠越え
◇日時:2022.3.20(日) 晴
◇場所:平群桃源郷、十三峠(425m)
◇同行者:8名(男3、女5)
 平群桃源郷を訪ね 、生駒十三峠を越えて水呑地蔵から服部川に下りました。桃源郷は啓翁桜、ヒカンザクラ、アオモジ、ハクモクレン、サンシウユ、などが咲き誇っていました。平群から十三峠を越える街道は、十三街道とか伊勢物語に因んで業平道ともいわれています。水呑地蔵からは大阪平野の展望が素晴らしかった。
行程:平群駅0940着/1005→(JA1015買い物1020)→藤田家住宅1030→霊園1100/1105→啓翁桜1110→桃源郷A1128/1202→平群里山クラブ(1218昼1320)→桃源郷B1325/1343→十三峠・平群道標1405→信貴フラワロード1420→杵築神社1442/1458→十三峠1530→みずのみ園地口1535→水呑地蔵1553/1610→(下り急坂)→神立茶屋辻1645→神立地蔵1651→分岐1700→八尾歴史民俗資料館1715→服部川駅1735/1745発
Route Map(GPS)  行程約11km(歩行14km)
「平群の町」 
平群駅へ初めて下りる。ひなびた片田舎町と思っていたが違った。広い駅前広場、建物も近代的で歴史の町とは全く思えない。広場中央にある記念碑を見ると12年をかけて令和元年に土地区画整備をしたとある。西に生駒山系、東に矢田丘陵に挟まれ、中央を南北に竜田川が流れる。今日は総勢8人、桃源郷を案内してくれる地元里山クラブのKさんがお待ちかね。

平群駅前
「古民家」
 竜田川を渡り、生駒山系の丘陵を緩やかに登る。30分ほどで、大和棟の民家として重要文化財に指定されている藤田家住宅です。 中央の大屋根が茅葺で、その両妻に近い部分が瓦葺です。坂道に立派な古民家が続きます。民家が途絶え、直線的な篠笹の坂道の途中に桜や桃の花が見えます。早咲きの桜は啓翁(けいおう)桜で、昭和5年、久留米市山本の良永啓太郎という人が中国系のミザクラを台木にし、ヒガンザクラの枝変わりとして誕生させたもので、啓太郎の 一字をとって啓翁桜と名付けたそうです。 いきおいよく真っすぐ成長する啓翁桜は、枝の伸びがよく、枝を切り込んでも弱らないので切枝用に適しています。山形県に最も多く、山形から平群に持帰って植栽したとのことです。今は桃源郷の主役となっています。

重文 藤田家住宅

笹藪に咲く花

啓翁桜

「桃源郷」
墓地、霊園を過ぎると富貴畑(ふきはた)の桃源郷に入ってくる。ずーっと車道だ。桃源郷の名前から花園をイメージしたが違った。山野の風景の中に、アオモジ、サンイウユ、ハクモクレン、啓翁桜などが点在し、あるところではこれらの木々が密集して黄色、ミドリ、ピンク、白のグラデーションを展開しているのである。峠の配水池から下りピンクの群生地は啓翁桜である。傍らのアオモジの緑と重なり早春のイメージを作り出している。高台の道からは矢田丘陵のはるか遠くに高見山を見ることができた。

啓翁桜の群生地

アオモジ

モクレン

サンシウユ

矢田丘陵の彼方に高見山
車道を外れ古民家の集落の間を下っていく。啓翁桜の栽培地の先にあったのは一本桜。ガイド氏の説明では正月ザクラという。葉に隠れるようにピンク系の花は河津桜の一種か。一人の女性カメラマンが陣取っていた。更に急な坂道を下る。桃源郷にふさわしい景色が広がる。ハクモクレン、アオモジ、サンシウユ、啓翁桜のグラデーションである。ハクモクレンはまだつぼみの状態。

桃の台木

啓翁桜の栽培地

一本桜 正月桜

サンシウユ、アオモジ、啓翁桜

ハクモクレン

ハンテンボク(ユリノキ)群生
「里山クラブ」
 Kさんの案内で、自分が所属する平群里山クラブによせて頂いて、お昼にしました。眼下に桃源郷を望み、展望台、簡易宿舎、50人ぐらいは収容できるテーブルと椅子を備えた広場でした。お土産に啓翁桜の枝を切っていただきました。啓翁桜はつきやすく、栽培しているようです。我が家では挿し木の場所もないので玄関を飾りました。

平群里山クラブで

お土産は啓翁桜
「十三峠へ」
 皆さんとお別れして、3人が十三峠を目指すことになりました。道標には十三峠2.8km、平群2.6kmとあります。ほぼ中間点です。標高232mなので、十三峠へは約200mの登りです。車道のだらだら登りは疲れます。信貴フラワロードを横断します。Kさんの話では夜景を見に上がってくるドライバーだけのもので何の役にも立たない道路という。更に坂を登っていく。花木栽培の里だけあって、桃の台木が並んでいる畑が多い。ビニールの被っている畝は何の木だろうか。立派な古民家は代々花木栽培で財を成した家々であろう。富貴畑の氏神杵築神社を過ぎて、途中長い休憩をとりながら十三峠のトンネルにやってきた。2.8kmを1時間30分かかったことになる。

十三峠まで2.8km14:05

信貴フラワロードを横断

花木栽培農家

富貴畑の氏神 杵築神社

十三峠(信貴生駒スカイラインガード)
「水呑地蔵」
 十三峠は大阪玉造から伊勢への道筋で、「十三街道」と呼ばれています。平安時代の歌人で伊勢物語の主人公在原業平が天理の自宅から河内高安の彼女のもとへ通った道とされ「業平道」とも言われています。信貴生駒スカイラインのトンネルを越えると車道を外れて服部川への道標があります。また車道を大阪側に100mも進んだところには展望台とWCがあり、多くの車が駐車して大阪平野の展望を楽しんでいます。服部川への道を少し下ると「みずのみ園地」があり階段が登っています。道標は服部川まで3.5kmです。

十三峠道標15:30

みずのみ園地
 地道を下っていくと、桜の枝を満載した軽トラが止まっていました。花木の出荷なのでしょう。20分の下りで水呑地蔵(水呑山地蔵院)です。急斜面に貼りつくように細長いお寺ですが鐘撞堂もあります。2体の地蔵の足元から湧き出る水は生で飲まないよう注意書きと、水容器大一杯までの制限があります。展望台から大阪平野が一望です。トイレ休憩を含め15分滞在する。

鐘撞堂 奥にトイレ

拝殿

水呑地蔵

展望デッキ

大阪平野一望(淡路、大阪湾、六甲)
「服部川」
 急坂の下りです。石仏が並んでいます。堰堤を過ぎて舗装の道になると麓が近いです。車止めの横にある石碑は伊勢物語にある筒井筒の一説在原業平が惚れて通っていた女が飯盛女だったことに失望して・・・があります。神立茶屋辻まで下りてきました。道は真っすぐ西へ向かっていきますが服部川の駅から離れていきそうなので、途中で民家のおばさんに尋ね、南へ向かって路地をいきます。迷路のような道です。とにかく生駒山地に平行に進みました。八尾市歴史民族資料からは大きな通りになり、服部川駅の裏手に出てきました。予定より大幅に遅れ、すでに17時を回っていました。十三峠から2時間、水呑地蔵から1時間20分でした。万歩計は平群から3万歩を越えました。(了)

石仏の道

舗装路

伊勢物語 筒井筒碑

神立茶屋辻

神立地蔵尊

十三峠を振り返る

服部川駅到着17:35
 
やまぼうし

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