千苅水源池東岸を歩く
UP 2007.12.17 やまぼうし
 ■日時:2007.12.8(土) 晴
 ■場所:千苅水源池東岸 2.5万地形図 武田尾
 ■参加者:約70名
 ■主催:エコグループ・武庫川
ルート:歩行約8Km   Route Mapはここ
JR道場0940→千苅橋1020→大岩岳西分岐1110→途中昼食(1130〜1210)→大岩岳北分岐1225→
境野分岐1240→布見ヶ岳西麓→清之瀬橋1355→波豆八幡(1405〜1500)…(バス)…JR武田尾1520
千苅水源池は神戸市民の飲料水を確保するために大正8年に完成したダム。完成から約90年たった今でもその役割を果たし、神戸市へ水道用水を供給している。武庫川を歩くシリーズを続けているエコグループ・武庫川の千苅水源池東岸ハイクに同行する。

明治43年帝国陸地測量部2万分の1地形図

平成12年国土地理院2万5千分の1地形図
千苅水源池
神戸市の水道として、布引貯水池、奥平野浄水場、烏原貯水池に続いて大正8年に完成した貯水池。武庫川最大の支流である羽束川を堰きとめて造られた。池の面積112万u(満水時)、貯水量1160万m3、堰堤高42m、同長さ106m、池の周囲23Kmに及び、神戸市水道の13%を担っている。堰堤は国指定文化財で大正中期時点で最も高い水道用粗石コンクリートダム(Aランク)である。武庫川の総合治水を検討している武庫川流域委員会では、水源池の治水活用を提言している。

歴史

千苅の「苅(かり)」は「束(そく)」のことで、刈り取った稲の束数を表している。水源池で水没したところには「千苅」のほかに、「八百苅」の地名が見える。明治初期に神戸にコレラが発生し、水道を作る計画が持ち上がり、布引、烏原に続いて明治39年(1906年)に水量豊富な羽束川の千苅が候補に挙がった。明治43年(1910年)初めて水没を知った波豆集落では大騒ぎになり、堰の高さを下げるよう要求するも聞き入れられず、翌年工事着工。明治45年(1912年)波豆集落は村集会で対抗委員会を結成、堰高の半減や親水地域の減少を西谷村を通して神戸市に陳情したが、僅かに堰高の低減が受入れられただけ。大正3年(1914年)に住民の意向を無視して工事が強行され、土地所有者に用地買収価格と移転料を通知。価格値上げも応諾されず、ついに同年8月買収移転が総会席上で決定し、波豆村田畑、山林原野が収用される。大正8年(1919年)千苅堰堤竣工。さらに、大正15年(1926年)の拡張工事で堰堤20尺嵩上げが決定し、波豆村民の陳情もむなしく、昭和6年(1931年)に工事完了。結果、家屋22戸と23町歩の土地が水没した。(宝塚市史から抜粋)

道場から千苅橋へ
 道場駅に集まったハイカーは70名、武庫川を歩くシリーズ最大の参加者に驚く。リピーターが増えている。グループ代表のI氏が先頭になってガイドをつとめる。いただいた案内書には、ダムができる前の明治43年の地形図があり、現在と対比できる。羽束川の蛇行のままにダムがあることが分かる。

道場駅前広場で

不動岩の麓を歩く(右手は武庫川)
武庫川に沿って、ロッククライミングのメッカ不動岩の下を通り、神戸市千苅浄水場に行き当たる。ここは千苅水源池を水源として、昭和42年に新しく創設された北神水道の浄水場で、神戸市北区の22万人に給水している。ここから支流の羽束川を遡る。地形図では波豆川となっているがいずれが正しいのか?放水が止まっているようで、流れはほとんどない。

旧千苅浄水場(桜の季節には開放される)

近畿自然歩道へ
羽束川(はつかがわ)は武庫川最大の支流で、大阪府能勢町天王の深山(標高791m)に端を発し、篠山市後川、三田市高平を経て宝塚市波豆で波豆川(はずがわ)を合流して千苅水源地に注ぐ。武庫川には神戸市道場で合流する。長さ32km、流域面積95千km2、高低差360mで武庫川本流よりも勾配が大きい。

千苅橋と千苅堰堤
駐車場広場のある古い千苅浄水場の門前から、近畿自然歩道の道標に従って施設を回りこむように進むと、行く手に壮大な千苅堰堤(国指定文化財)が見えてくる。渇水期で放水の姿が見えないのが残念である。近畿自然歩道と分かれて千苅橋(RC開腹アーチ:Cランク文化財)を渡り、大岩岳方面に進む。
「大岩岳西麓」
 フェンスに掴まりながら放水路脇を上り、渓谷に入る。ところどころに見られる「神水」と書かれた石柱や表示は、神の水ならぬ神戸市水道局の略称である。ジグザグに急登すると、辺りが開け、左下にダムの水面が覗くようになる。

フェンスを掴みながら渓谷に入る

高台から湖面が覗く
湖畔に沿って、アップダウンを繰り返しながら進む。降り積もった赤・黄・褐色の落葉が足腰に優しい。微かにタカノツメの香りが漂う。大岩岳西登山口を右手にみて峠を下りる。

昼食ポイント(大岩岳西麓)

昼食ポイントから水源池を俯瞰する
大岩岳西麓の高台で、早い昼飯とする。この先は展望もなく、適当な昼食場所もないので、下見のときに、雑木を伐採して小広場を作ったとのこと。70名の大部隊となったたため、山腹や道端にも座り込む。
「巨岩と倒木の道
 40分の休息後、大岩岳を北へ回り込む。様相が変わり、右手は岩壁、左手は湖岸への急斜面の道となり、急に倒木が増えはじめる。H16年の台風23号でやられたのであろう、そのほとんどがコナラだ。下見時には道をふさぐ倒木をかなり伐採したとのこと、それでも巨木を乗り越え、潜り、迂回に難渋する。

大岩岳北側の岩壁

倒木を乗り越えて
大岩岳北登山口、境野酪農センターへの分岐を右に見る。このあたりは入江が深く、遠回りを余儀なくされる。落葉もタカノツメに変わり葉身が40cmもあるホウノキが多くなる。ホウ街道とでも言おうか。隊列が伸びて、先頭集団と最後尾では500m以上も離れてきた。

ホウノキとタカノツメの落葉

布見ヶ岳を回り込む
布見ヶ岳西麓
 このあたりはダムが狭まり、対岸まで100m余りしかないようだ。布見ヶ岳(ふみがだけ366m)西麓にかかる。山名の由来は、山上から見る波豆川の流れが布がたなびくように見えたからで、地元では「ぬのみが岳」というのだそうである。対岸に向山(339m)、行く手に大船山(653m)、羽束山(524m)、波豆富士といわれる高束(たかつこ)山(347m)が覗く。振り返るとシルエットとなった大岩岳(384m)が美しい。

波豆の民家

清之瀬橋
左手にフェンスが現れるとまもなく東岸歩きは終わる。水源池ゲート横から車道に出てきた。目の前の、白壁に囲まれた茅葺の民家と柿の木の風景に心休まる。波豆川に架かる清之瀬橋を渡り、車道を歩いて波豆八幡神社の鳥居をくぐる。
波豆八幡神社

石造鳥居

波豆神社本殿にお参り

宝筺印塔と板碑
多田院の荘園であった波豆の鎮守社で創建は1403年。文化財として、本殿(国指定)、石造鳥居(県指定)は藍本酒垂神社と同様式で水源池築造時に移築、宝筺印塔(県指定)、板碑(県指定)など14〜15世紀前半の石造文化財が多い。

千苅水源池東岸を振り返る(遠方は大岩岳)
波豆八幡から臨時バスで武田尾駅へ出て解散する。東岸の道は思った以上に長く、荒れてはいたが、落葉を踏みしめ、倒木を乗り越え、岩壁を伝いながらの変化に富んだコースであった。今はすっかり自然の風景に溶け込んだ千苅水源池であるが、建造の歴史を偲ぶ山旅ともなった。(了)
*本文の一部と地図はエコグループ・武庫川作成の資料を引用させていただきました。
□関連ページ 千苅ダム西岸を歩く 2009.12.12

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