2014.6.24やまぼうし
武庫川源流 松尾山
■日時:2014.6.14(土) 天気 晴
■行先:篠山市 天神川流域と松尾山(687m)
     地形図 2.5万篠山
■同行:エコハイク参加者 52名
■主催:エコグループ武庫川
武庫川の源流は真南条川上流の愛宕山(648m)にあるが、もう一方の源流は古森で本流に合流する天神川上流の白髪岳と松尾山にある。今回は、エコグループ武庫川の主催するエコハイクにスタッフとして同行、西の源流と云われる天神川上流域を探訪し、最高点の松尾山(687m)に登る。
ルートタイム
古市駅09:55→不来坂10:15→集10:45→住山登山口11:15→(寺谷林道)→不動の滝11:50→阿弥陀堂跡(12:15〜昼〜12:50)→卵塔群13:10→仙の岩13:35→松尾山13:50→鐘掛の辻14:10→林道親水池14:30→(ワン谷林道)→白髪岳登山口14:40→住山登山口15:10→古市駅15:55
Route Mapはここ

住山集落から松尾山を望む

「古市」
 JR古市駅に集合したのはスタッフと合わせて52名。健脚向けで梅雨時の行事にもかかわらず予想外の参加者である。ほとんどが阪神間在住の皆さんで、レピーターが多い。本日のガイドはM氏。膝を痛めているにもかかわらず登山口までの案内にわざわざやってきた。頭が下がる。
 古市は大坂から但馬、姫路から京都への交通の要衝であり、宿場や問屋の町として繁栄していた。現在も国道176号線と372号線が交差する。駅前の道はくらがり街道と呼ばれた旧丹波街道で、かつては丹波杜氏が朝早立ちしてここを通ったという。街道を西に進むと、左手に宗玄寺がある。赤穂浪士の一人で槍の名手、不破数衛門の父母と二児が身を寄せていた寺で、毎年12月14日には義士祭が行われる。境内には不破数衛門の碑と日限(ひぎり)地蔵が祀られていた。日限地蔵とはいついつまでに成就するようにとお参りすると必ず願い事が叶うとういう珍しいお地蔵さんである。三叉路に「左大坂ありま、右はりま道」と記された文化14年建造の道標と、大正年間に設置された道路元標があったが、交通事故で壊滅してしまっていた。古市の宝物だから修復されることでしょう。

古市駅前で

くらがり街道に面した宗玄寺

赤穂浪士不破数衛門の碑と日限地蔵

破壊された道標(左大坂道、右はりま道の道標と道路元標)
不来坂
 R372に出て、踏切を渡ると天神川が見えてくる。この辺を不来坂(このさか)という。平家追討に向かう義経軍が、この峠で待ち伏せしていると考えた平家軍が来なかったところから「平家来ぬ坂」と云ったと伝えられる。しばらく行くと土手に「名無木」の樹が立つ。義経がこの山の中腹にあった八幡神社に武運長久を祈願して突き刺したムチから芽が出て大木に成長、村人はその木の名前を知らなかったのでこの名となったという。実は東北に多い「ハルニレ」で、初代は寛永19年(1642年)樹齢459年で倒れ、今は4代目、平成23年植樹の幼木である。国道から住山への道に曲がると、白髪岳の勇壮が見える。
 
不来坂(このさか)付近
 
義経ゆかりの名無木(ハルニレ)

白髪岳
「天神川」
 いつの間にか地中を通る川代導水路を跨ぐ。H4年、川代ダム、大川瀬ダム、呑吐ダムをつなぐ東播用水の整備により、従来ため池に頼っていた農業の安定と近代化が図られた。緑の田畑が広がる天神川流域はササユリも咲きのどかに見えるが、実は昭和58年の台風10号の集中豪雨で山腹崩壊、橋流失、住宅浸水など甚大な被害を蒙った。水害復旧の碑には「春水四澤満」(しゅんすいしたくにみつ)とある。中国晋代の詩人 陶 淵明の四時詩からとったもの。天神川は三面張りの川となってしまった。

水害復旧記念碑「春水四澤満」

天神川は三面張り
「住山」
 集(つどい)という集落を通る。義経軍がここに兵を集結したところからその名が残るという。三草山に向かう集坂がみえる。「一眞坊」という「裁ち切りそば」を売りとする蕎麦屋さんは無くなっていた。住山の集落に入る。谷あいの奥にあるところから元は「隅山」といったようである。平家が敗れた後残されて尼になり、住山に移り住んだ人の歌碑がある。「恋しくば尋ねても来む白髪峰隠れはあらじ住山の奥」。正面に松尾山が見えはじめる。急峻な山容は霧にかすんでいる。

集坂

歌碑「恋しくば尋ねても来む白髪峰隠れはあらじ住山の奥」 

住山より松尾山を望む
「登山口」
 住山登山口(標高260m)に到着する。古市駅から約3.5km、休憩を含めて1時間20分を要した。車なら登山口手前の路肩に20台分ぐらいの駐車スペースがあるから平地を延々と歩かずにすむ。天神川は住山の最奥で松尾山を源とする寺谷川(右俣)と、白髪岳と松尾山の谷を源とするワン谷(鰐谷)川(左俣)に分かれる。

松尾山・白髪岳案内板

住山登山口 白髪岳(左)・松尾山(右)
「寺谷川」
 ガイドはO氏に交代。我々一行は松尾山をめざして、寺谷川を遡る。寺谷林道は舗装からすぐに地道へ、茶畑を過ぎると、手入れの行き届いた杉林に入る。林道終点から沢沿いの山歩きとなる。難所の丸木橋にかかる。4、5本渡してある丸太はつるつるで、その上朽ちかけたものもあり、しなって揺れる。登山道から僅かに外れて、不動の滝に寄る(420m)。不動明王の滝ともいわれる落差25mの2段の滝で、行者達がここで身を清めていたというが、黒ずんだ泥岩を伝う流れは細い。滝の左手の、岩と木の根の露出する道を、ロープに掴まりながら、ジグザグに登り、滝の上にでる。

寺谷川を遡る

不動滝 2段落差20m

不動滝を高巻く厳しい登り 
「高仙寺跡」
 何度か丸木橋をわたり、急登したところが高仙寺阿弥陀堂跡(520m)である。スギの木立に囲まれた小広場にはヤブマオウが生い茂り、三地蔵が寂しく佇んでいる。礎石が残っているのが分かる。倒れかけた案内板によると、松尾山南側中腹には、大化元年(645)法道仙人開基、最盛期の鎌倉時代には七堂伽藍や25もの僧坊を持つ高仙寺があったという。今は南矢代の地に移転している。ここで昼食とする。ヒツキホシ、ホイホイホイとサンコウチョウが鳴く。大休止の後、愛宕堂の残る高仙寺本堂跡を経て卵塔群(540m)に至る。ここには55基の僧侶の墓が並んでいる。

高仙寺阿弥陀堂跡

高仙寺本堂跡

愛宕堂 

卵塔群
「松尾山」
 卵塔群から松尾山ピークに向け、最後の登りが始まる。標高差約100m、ロープの手を借りる。歓迎するかのように、綺麗な声でしきりにさえずっているのはキビタキのようだ。露岩が現われと頂上が近い。松尾山南峰にある仙ノ岩(670m)に着く。突き出た大きな岩盤から東の展望が広がり、古市方面が覗く。千年杉といわれる樹齢400年ぐらいの巨木を過ぎて上り返すと、すぐに松尾山(別名高仙寺山)頂上(687m)だ。酒井城址と書かれた案内板はもう見当たらなかった。戦国時代、ここには酒井氏治の山城があったが、明智光秀によって滅ぼされた。名残をとどめる山頂平坦面には、アセビ・イヌツゲ・モミなどが疎らに生えて展望はない。北の切り開きから多紀連山がかろうじて覗く。

仙ノ岩

千年杉

松尾山(高仙寺山)頂上
「ワン谷川」
 白髪岳への道をとり、大きく下った鞍部の十字路を左手に下る。「鐘掛の辻」の道標が立ち、直進は白髪岳、右手は文保寺への道であるが、これから下る道の案内はない。杉林の中に林道が緩やかに下っている。僅かに染み出る水はワン谷川源流だ。ワン谷林道に降り立つ。東屋があり、ここから白髪岳への登山道標もある。ツバキの森を経て1.2kmとある。少し上流で林道は終点だが、ここには治山ダム2基が設けられ、親水池として利用されている。
 ワン谷林道を下る。東屋と大きな案内板が設置してあるもう一つの白髪岳登山口をすぎる。沿道にはソメイヨシノを植栽した「桜公園」や「鹿物語起源の地」の碑が立つ。長い林道歩きの末、往路で別れた住山登山口に戻ってきた。日陰となっている駐車スペースで解散。それぞれが古市駅へ急ぐ。40分で駅到着。スタッフの一人が遠路缶ビールを買い込んできた。

松尾山直下の鐘掛の辻

林道を下る

この木何の木?

ワン谷林道に降り立つ

白髪岳登山口

関連ページ:武庫川もう一つの源流(2007.8.4)


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