逆瀬川源流域を歩く
行者山〜岩倉山〜岩原山〜社家郷山
2015.1.19やまぼうし
■日時:2015.1.10(土) 天気:晴一時雪
■山名:行者山(415m)、岩倉山(488.4m)、岩原山(573m)、小笠峰(490m)、樫ヶ峰(457m)
■場所:東六甲 25000地形図 宝塚
■同行:武庫川エコハイク58名
ルートタイム:阪急逆瀬川駅(9:30)−バス(西山団地前)−ゆずり葉の森広場(10:00)−行者山東観峰(11:00)−行者山−岩倉山(11:40)−鉄塔前広場(11:50〜昼食〜12:30)−東六甲縦走路−岩原山(12:55)−大谷乗越13:20−小笠峠−逆瀬川源流(13:50)−小笠峰(14:10)−馬の背展望台−樫ヶ峰(14:50)−ゆずり葉緑地公園(15:30)

Route Mapはここ

武庫川エコハイク「逆瀬川源流地帯を歩く」にスタッフとして参加する。源流を取り巻く行者山、岩倉山、譲葉山、岩原山、社家郷山を歩く。またゆずり葉緑地公園では千石ズリともいわれた昔の逆瀬川の様子を見ることができた。歩行約10km健脚向きのコースであったが天候も回復して、素晴らしい展望の山歩きとなった。
「行者山」
 逆瀬川駅に集合して阪急バスに乗車、西山団地前で下車。ゆずり葉の森広場からスタート、まずは行者山を目指す。行者山は地域住民の手で2006年3月に散策路を整備した。私も整備にかかわった一人である。現在は「六甲山グリーンベルト事業地」のひとつとして2006年から「櫻守の会」と兵庫県が「ひょうごアドプト」の協定を結び森の整備に当たっている。最近は遠来のハイカーが訪れるようになってきた行者山だが、58名という大勢が登るのは初めてではないだろうか。登山コースは6本あるが、今日登る逆瀬台西コースは急登で途中にロープやハシゴのかかる難所が数か所ある。健脚者とはいえ、隊列は長くなり、ビューポイントで止まるわけにはいかない。途中で雪が降りだし前途が心配されたが、東観峰(ひがしかんぽう)383mに到着する頃には晴れ間も覗き安心する。

ゆずり葉の森広場からスタート

突然の雪に霞む甲山

東観峰から行者山本峰を目指す

行者山直下から東観峰と阪神平野を望む
「岩倉山」
 行者山本峰415mを経て猪ノ谷に下り、再び東六甲縦走路へ登り返す。阪急電車の反射板で休憩と思ったが団体の先客があり、岩倉山488mに直行する。三角点を祀るように祠がある。東六甲縦走路を西に向かってすぐに送電線鉄塔#25があり、その前の広場で昼食とする。広場と言ってもブッシュ地帯で通路に座り込む。眼前にたどってきた行者山や、はるかに甲山、大阪湾を眺める展望ポイントである。後続組がなかなか到着しないので戻ってみると反射板で昼食をとっていた。隊列がとぎれたため分岐で道を誤り遅れてしまったとのこと。団体での登山は前の人を見失わないよう行動しなければならない。ゆっくりペースで歩いたつもりだったが一つの反省点である。

反射板で

岩倉山三角点488m

鉄塔前広場で昼食
「岩原山」
 東六甲縦走路の譲葉山系を西に歩く。譲葉山は4つある。現在の国土地理院地形図にあるのが東峰、次いで祠のある北峰、旧国土地理院地形図にあった中峰、最も標高の高い西峰である。こちらを参照。NO.33道標は6差路である。縦走路に岩原山、岩原山バイパス、赤子谷、譲葉山西峰への道が交わる。岩原山への道を進む。10分足らずで宝塚最高峰岩原山573mにつく。ケルンに木柱が立つ。木立に囲まれて展望はない。元の道に引き返さず、西へ雪の踏跡道を辿り、縦走路へ戻る。

岩原山573m 宝塚最高峰
縦走路はアセビの異様な森を通り、県道82号線大谷乗越(おおたにのっこし)に出る。大谷乗越は大多田川と逆瀬川の分水界である。岩原山をパスした連中が待っていた。車道を下る。ヘアピンカーブの連続する道は冬季凍結すると通行止めになる。そのための盤滝トンネルができたわけだが通行料普通車¥250は高い。今日は通行車両が多いので、一列縦隊で歩く。途中で、阪神平野を望む展望地がある。これから歩く社家郷の山々も見える。しかし、谷を覗けば廃家電などの大型ごみが不法投棄されて眼を覆うばかりだ。

岩原山から雪道を下る

大谷乗越の車道を歩く
「逆瀬川源流」
 逆瀬川源流域に下り、緩やかに上ったところが小笠峠(おがさとうげ)で、仁川と逆瀬川を分ける分水界である。少し手前でガードレールを乗り越えて逆瀬川源流を遡る。夏場は背の高い雑草に覆われて踏み込む場所がわからない所だ。踏跡を辿ると古い堰堤が見えてきた。さらに奥へ踏み入ると次の堰堤が見える。ここから引き返すことにする。この先は大平山へ至るが、2003年に堰堤を築造するときに谷筋は通行できなくなり別のハイキング道を整備したがもう朽ちてしまって危険である。こちらを参照。

逆瀬川源流 上流を見る

逆瀬川源流 下流を見る

小笠峠から源流へ
「社家郷山」
 予定では小笠峠から社家郷山(しゃけごう)を経てゆずり葉緑地公園まで歩くが、体力的にしんどい人はエデンの園へ下ることにした。58人中約30人が社家郷山へ登る。社家郷は西宮神社を中心とする社家郷の持ち山。山系には小笠峰、樫ヶ峰がある。小笠峰までの登りは今日最もきつい。僅か70mほどの標高差だが立ち木や根っこに掴まりながらの登りである。社家郷山で最も標高の高いピークで標柱に490.3mとある。稜線を東へ歩く。小笠峰出合、西三ツ辻出合、東三ツ辻出合はいずれも社家郷山キャンプ場へ下る分岐である。馬の背展望台からは阪神平野や大阪湾が一望である。また逆瀬川を挟んで行者山から譲葉山など今日歩いた東六甲の山々を振り返ることができる。樫ヶ峰には社家郷山の石柱が立っている。林の中で展望はないが、東斜面からの展望は素晴らしいものであった。

社家郷山へ急登する

社家郷山のピーク 小笠峰490.3m

馬の背から樫ヶ峰へ向かう

樫ヶ峰457mに立つ社家郷山の石柱

馬の背から行者山を望む

樫ヶ峰東斜面からの展望
「ゆずり葉緑地公園」
 樫ヶ峰の東肩からゆずり葉緑地公園に向かって下る。鉄塔#28からは関電巡視路のプラ階段となるが、崩れていて危険なので慎重になる。岩倉橋に降り立つ。ゆずり葉緑地公園の中に立つ砂防モニュメントを見る。ドームの内壁には逆瀬川砂防の歴史が展示されている。明治年間までは荒れ山で「千石ズリ」の名前が残るように、雨の降る度に禿山から大量の土砂が流れ、下流は「逆瀬川砂漠」とも呼ばれていた。植林、砂防堰堤など砂防工事のおかげで今は緑の山となり、度重なる豪雨や台風にも耐え、市民の憩いの場となっている。先人の偉業に思いを馳せる。公園入口で解散する。エデンの園の道を下った人たちはすでに解散していた。武庫川エコハイクとしては久しぶりの山歩きとなった。ロープやハシゴのかかる厳しい道もあり、途中で隊列がのびのびとなることがあったが全員無事に帰着することができた。

ゆずり葉緑地公園と砂防モニュメント

諭鶴羽橋からゆずり葉緑地公園を見る
逆瀬川:
六甲山系大平山南側を源流として花崗岩の六甲山東麓部を流下し宝怎Sルフ場を経由して宝恷sで武庫川に合流する。武庫川水系2級河川。延長約6.5km、標高差約200mの急傾斜の河川。川が逆流するとか流れが早いことから「逆瀬川」の名前がついたといわれる。明治年間までは逆瀬川上流地帯は荒れ山で「千石ズリ」の名前が残るように、雨の降る度に花崗岩の「マサ土」の禿山から大量の土砂が流れ、下流は「逆瀬川砂漠」とも呼ばれた。砂防の父といわれる赤木正雄博士(1887〜1972)の指導により我が国で始めての治山治水工事が行われた。この特徴は上流から土砂止め(山腹工:山腹に段を切り客土し植樹)を行った(明治8年〜大正6年、今も山中に痕跡が残る)。土石流を防ぐためにダム工(砂防堰堤)を設置した。下流は流路を安定させるため玉石積みの擁壁で固定し、川の急流を抑えるため落差工が設けられている。(流路工、昭和3年〜)。明治25(1892)年発生した大水害は六甲山の災害対策に目が向けられ、良元(りょうげん)砂防工営所が設置され、明治32(1899)年上流から工事が行われた。これらの砂防工事は現在のような重機もなく、人力による作業で行われ、これにより昭和13(1938)年の阪神大水害にも耐え、その後も水害は起こっていない。(武庫川エコハイク資料より、写真は砂防モニュメント内展示写真)

@千石ズリ(明治中期)、左:譲葉山中峰、右:東峰

A山腹工事(明治・大正)

B昭和初期

C逆瀬川砂漠、遠景は甲山(流路工着工前)

D流路工工事中(1932年 昭和7年頃)

E阪神大水害で土砂に埋もれた逆瀬川(1938年 昭和13年)

1989年(平成元年)の逆瀬川

本ページは武庫川エコハイク資料を参考にさせていただいています。写真は一部エコハイクスタッフK氏から借用しました。


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