寺山と広照寺山             

やまぼうし
1.日時:1999.11.3
2.場所:三田市 2.5万木津
3.同行:単独
4.行程:波豆川公民館(14:15)→最奥民家→炭焼場(14:25)→藪漕ぎ→炭焼窯跡(14:50)→鞍部(15:00)
→広照寺山450m(15:05)→寺山492m(15:15)→鞍部(15:25)→波豆川公民館(16:00)
Route map はここ
波豆川公民館前から寺山(左)と広照寺山
<気がかりな山>
宝塚から西谷への道。十万辻から切畑を過ぎ大原野へのバイパス道は釣堀池の交差点に出る。この途中、老人ホーム付近の高台から北摂の山々のパノラマが広がる。一際目立つ大船山の右、ほぼ正面に独立した鋭峰が見える。西谷を通るたびに気になっていた山で何時かは挑戦しようと思っていた。地図を見ると、昼が岳から伸びる稜線の南端、大舟寺の裏手にある492.4mの無名峰で、南側に頂部がフラットな山がある。直下から見上げると双耳峰の山に見える。昨年偵察したときは全山紅葉で見事であった。山名は多田繁次著「なつかしの山やま」を見て初めて知った。ただしこの山の紹介ではなく隣の金毘羅山の紹介の地図にたまたま載っていた。高いほうが寺山492.4m、低いほうが広照寺山(こうしょうじ)450mという。

大原野南穴虫付近からの展望 2003.9.22撮影
<取り付き探し>
紅葉には少し早かったが11月3日文化の日午後単独で登る決心をした。麓の波豆公民館前に駐車。取り付きを探す。公民館横で工事中の7,8人の男性に聞くと、地元の人らしい中年男性が民家の奥から二つの山の鞍部につながる谷すじを登ると炭焼き小屋がある。多分そこから登れると思うという。誰も登った経験はなさそう。10軒ぐらいある山麓の民家の一番奥を目指す。たまたま畑仕事中の老人に尋ねると、いとも簡単に登れるよとの返事。気を良くして民家の庭先を回って割合広い道を進む。民家の表札を帰りに見たが「平岡」さんであった。
<藪漕ぎ>
道は二股に分かれるが、谷筋の方向を選ぶ。ゆるい登り10分、炭焼き跡の場所に出て、ここからは道がなくなる。草薮の踏み跡とおぼしきところを掻き分けて上りだす。背丈を越える藪、茨で難渋、左に谷を見ながらとにかく一直線に上に上に。感が頼り。踏み跡も見えない。足元も危険。この先本当に登れるのか?心細くなり何度かやめようか思うが、ここまで来たからには引き下がるわけにはゆかぬ。鎌でもないと立ちふさがる藪を越えられない。汗だくの体が茨の引っかき傷だらけ。20分も悪戦苦闘やっと森林帯に出る。
<森林帯から鞍部へ>
さて踏み跡も定かでないが歩きやすくなる。感を頼りに二つの山あいの鞍部を目指す。人工か自然石か石碑らしいもの発見。さらにジグザグ道を登ると石積みの炭焼窯跡がある。やはり昔は部落の人たちが登っていたのだ。鞍部に出る。休憩。右が広照寺山、左は寺山。帰りの下山の目印に木の枝にテープを結ぶ。
<二つの頂上>
右の尾根筋を広照寺山(450m)を目指す。10分もせず頂上らしいところに出る。1ヵ所今日はじめてみる赤テープがある。なるほど細長く木もまばらなフラットな山である。立木に覆われ眺望はほとんどない。頂上の先端を往復して赤テープに戻る。再び尾根を下り、先ほどの鞍部を通り、寺山(492m)を目指す。こちらは円錐状で尾根らしいものなく露岩の多い林の中を上に上に。道はない。鞍部から10分で頂上。赤白の測量旗がひっくり返っている。展望なし。三角点も見つからない(見落としていた)。
<下山>
すぐ下山、迷う。先ほどの鞍部の下に出てきたらしい。再度登りなおし、尾根を探す。やっと目印のテープ発見。目印がないと下山道を見失う。テープをはずして、登りの景色を思い出しながら慎重に下りる。窯跡、石碑をとおり、再び藪中へ。のぼりに藪を掻き分けた跡がそのまま下山道。一気に下ること約30分で平岡さん宅庭先へ出る。道端の車で着替え、汗が絞り出るほどびしょびしょ。振り返れば優美な姿が夕日に映える。やはりこの山は眺める山である。
関連ページ:2009.11.25山装う寺山〜高畑山
        2009.11.3 寺山と広照寺山

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